まさか自分ががんになるとは…

くらたま

篠田先生のご著書『介護のうしろから「がん」が来た!』(集英社)は一気に読ませていただきました。介護もさることながら先生が体験された闘病生活の臨場感がすごかったです。

篠田

ありがとうございます。

くらたま

男性にもあるそうですが、乳がんはやはり女性にとって一番身近ながんですよね。でも、ご著書ではそんなにショックな感じがしなくて、むしろ楽しく読めました。

2018年に乳がんが見つかって、右の乳房の切除と再建手術を受けられたそうですが、ご著書は翌年の2019年に出されているんですね。

篠田

そうなんです。乳がんになってからもずっと仕事はしてましたから(笑)。

最初は「まさか自分が乳がんになるとは…」という感じでしたね。以前に甲状腺の腫瘍が見つかっていたのですが、母親の介護などで検査を先延ばしにしてしまっていたんです。当初は「次はコレですかあ…」という感じでしたね。

くらたま

なるほど…。

篠田

でも、同じ手術をした同世代の友だちはみんな生きていて、手術そのものもけっこう軽く済みます。放射線治療はしんどいそうですが、友人は部分切除で温存して普通に生活していることが多かったので、私も同じような感じなんだろうなと考えていました。だから、手術はイヤですが、それほど深刻には捉えなかったですね。

篠田節子「乳房や子宮を取ることは”女性性の喪失”と無関係」の画像はこちら >>

くらたま

お友だちがいることで心強く感じられていたんですね。

篠田

そうですね。以前、彼女たちが手術したときには、入院前に職場の先輩や小説教室の仲間たちなどが集まって壮行会をやっています。ステーキや中華で乾杯して「じゃあ手術に行くぞ」と言うと「がんばってねー!」と送り出してくれる(笑)。

その後はみんなちゃんと戻ってきて、しばらくしたら一緒に温泉に行ったりしていましたね。私以外は温存なので、見た目はあまり変わりません。

くらたま

先生は術後からひと月も経たないうちにタイ旅行をされていましたよね。びっくりしました。

篠田

はい(笑)。乳がんの手術自体はラクなんです。転移と再発は心配ですが、早期発見と早期治療ができればほぼ大丈夫です。そもそも乳腺なんて皮膚の下にあって「内臓」じゃないでしょう?

くらたま

確かにそうですね。

篠田

私、ずいぶん前に子宮筋腫をやって子宮を全摘しているので、そのことも先生にお伝えしたら、先生も「ああ筋腫に比べればぜんぜんラクですよ」とおっしゃっていました。だから、手術がイヤだからって先送りにしたり、民間療法に頼ったりみたいなリスキーなことは止めた方がいいですね。

古い世代の方の中には乳房や子宮を取ることを「女性性の喪失」ととらえて忌避する向きもありますが、まったく無関係なんですから、惑わされないでほしいですよね。

篠田節子「乳房や子宮を取ることは”女性性の喪失”と無関係」

くらたま

そうですよね…。

篠田

そのあたりの「女性らしさ」なんてものは、男たちが勝手に作ってくれた神話の世界ですよ。

「切除」も「温存」も死亡率は変わらない

くらたま

切除と温存については、作家で医師の久坂部羊先生のアドバイスが印象的でした。乳房を残しても再建してもそれほど死亡率は変わらないというお話で、意外でしたね。

篠田節子「乳房や子宮を取ることは”女性性の喪失”と無関係」

篠田

そうなんです。久坂部先生のお話はとても示唆に富んでいまして、私だけでなく、いろんな人に聞いてほしいなと思って本の中で紹介させていただきました。

乳がんという病気も自分が実際にかかってみなければわからないことばかりでした。正確な医療情報にたどり着くのも難しいですし、なかなか臨場感をもってイメージできないですからね。

私も最初は乳房再建なんて考えてもみなかったのですが、たまたま入院先に選んだ聖路加病院が、そうしたことでは定評のあるところでした。とはいえ、このあたりは考え込んだらちょっと決断できないところだったと思います。

もともと思慮深い方ではないので「どうしますか?」「こういうことができますよ」みたいな説明を受けて「これは造ったほうが便利だな」と判断したんです。

水泳が趣味なので水着を着るのにパッドを入れないで済むというのが最大の理由でした。でも、実は私が着るのは競泳用でわざわざバストを潰して体を流線型にするデザインなので、あんまり関係なかったんですけどね。

ただ、温存した場合も変形が避けられないケースもあって、カタログを見ると そのための専用パッドなども販売されています。このあたりは経験者に「どうしてる?」と聞く話でもないので、情報がないんですよね。

くらたま

私も来年50歳なんで、周囲でもぼちぼちそういう話が出ているんですが、「いざそうなったらどうするか」と考えても、なかなか自分ごと化できないですよね…。

篠田

そう、ピンとこないですよね。

くらたま

はい。先生が最初におっしゃっていた「まさか自分が…」という気持ちはどうしてもありますね。

篠田

ありますね。倉田さんご自身はお体はどうですか?

くらたま

私、一回全身見てもらった時に脳が「70代のたばこを吸う男性」だと言われてしまったんです…。

篠田

えー!なんで!?(笑)

くらたま

わからないんですけど、脳溢血が自分にとって身近な病気だと思って気をつけようと思っています(笑)。

「あんた、アタシの何なのさ?」

くらたま

あとは父が若干認知症になっているんで心配です…。先生もお母様が認知症ですよね。お母様は、先生のことは認識されているんですか?

篠田

娘の顔だけは忘れないですよね。でも、ときどき「あんた、アタシのなんだっけ?」って聞かれることはあります。宇崎竜童の歌じゃないよって、ツッコミたくなるけどね(笑)。それでも、こういう口のきき方をして遠慮なく何かを頼める人という認識はあるんで、「娘だよ」って言うと、「ああそうだよね、娘だよね」って納得しています。

くらたま

そうですか…。

篠田

今は新型コロナウイルスの影響で面会できないので心配ですね。認知症専門病棟にいるんですが、2月から面会禁止になりました。一時、緩和されて5分間だけ病室の外で会えるようになったんですが、その後感染者数が増えたのでまた面会禁止に…。次にいつ会えるかもわからないんですね。

母はちゃんと食べるほうですが、今年96歳で、年齢のせいか痩せてきてしまって、いよいよ心配になってきています。身体が栄養を吸収しなくなっているようで、どこまで持つのかわかりません。

くらたま

高齢者は住み慣れた家で、ご家族の顔を見ながら記憶をつなげていくから、それができなくなると認知症が進むと聞いたことがあります。

篠田

なるほど。慣れた環境から移すと「記憶の手がかり」がなくなっちゃうということですね。

くらたま

お母様のこと、心配ですよね…。

篠田

はい。認知症なのでいろんなことがわかんなくなってるのはしょうがないけど、とにかく「生きててくださいよ」と思っています。今の状況ではお葬式もあげられないし、看護婦さんたちが忙しいのもわかっているから、病院に頻繁に電話をかけて様子を聞くのもはばかられます…。

くらたま

医療機関の現場は、今は本当に厳しいみたいですしね。新型コロナウイルスは介護のあり方も変えましたよね。

篠田

本当にそうです。ちょっと散歩っていうのもできないですしね。倉田さんのご両親はどうですか?

くらたま

実家で父母が同居しています。

父も「介護」というほどのものではないのですが、年々扱いづらくなってしまっていて、たまに帰ると娘ながら本当にうんざりするんです。

篠田

恋人なら「だめんずだった」で別れればいいけど、ご家族じゃねえ…。

くらたま

そうなんです。父は、自分の感情によくも悪くも素直になっていて、本当に意味がわからないところでキレるんです。しかも母にべったりで…。

私の息子も両親と一緒に暮らしているんですが、父は息子のことは好きじゃないんです。息子が母を呼んだだけで、「お前はおばあちゃんに何をさせるつもりなんだ!」って怒るんです。

篠田

おばあちゃんが大事なのはわかるけど…。

くらたま

おばあちゃん本人は嫌がってますけどね(苦笑)。

篠田節子「乳房や子宮を取ることは”女性性の喪失”と無関係」

篠田

おばあちゃんとしては孫のためにいろいろしてやりたい、と。そんなもんですよね。

「ムコへの怒り」に記憶が置き換わる

くらたま

介護について、ご夫婦でお話はされていますか?

篠田

正面切って相談するというより、何かコトが起これば「どうしよう?」と話していますね。以前は「こうなった場合には、こうしよう」って想定しながら近い将来を考えて準備していたこともあったんですけど、準備すればするほど予測もつかないような事態が発生するんです。

くらたま

確かに…。

篠田

心とお金の準備はしたほうがいいけど、手順は考えれば考えるほど想定外のことが起きる。

くらたま

お金の準備はしたほうがいいですね。お母様は、お金は大丈夫なんですか?

篠田

認知症もあってどんどんケチになって、必要なことにもお金をかけなくなっちゃって…。

くらたま

ご自身で管理できるんですか?

篠田

小銭については入院する前までは私がいつもお財布に入れていましたが、預貯金の管理とか大金については私が見ていました。自分で金庫を買って通帳や家の権利証を全部入れているんですが、開ける時の番号を忘れるわけですよ。

くらたま

それどうしようもないやつだ(笑)。

篠田

うちの亭主はもともと税金関係の仕事をしていて、査察の調査の手伝いをしたこともあったので、人がどこに何を隠すかをだいたいわかるんです。だから、母が隠して忘れていた金庫の開け方を書いた紙を探し出して「ハイ、開けましたよ」とやってみせる。

くらたま

それはすごい!さすが専門家ですね!!

篠田

ただ、厄介なのは母が「ムコが勝手に開けた」と思い込んでしまったんですね。それでけっこう大変なことになっちゃったんです。

あとはゴミの捨て方がわからなくなって、夫が行って捨ててきた時も「ムコが大事なものを持っていった」と言い出したり…。端から認知症とは見えない時から、そういう症状が出ていましたね。

くらたま

厄介ですね。それはトラブルになりますよ。大変なことをいくつも経ての、「今」なんですね。そういったトラブルもあるなんて、はじめて聞きました。

篠田

そう。認知症の初期の頃からそういう「記憶が置き換わる」ことは起きてくるんです。

いろんなことが、自分にとってつじつまがあう方向で記憶が置き換わってしまうんですね。でも、記憶が置き換わるのは健常者でもありますよね。

とはいえ、それが日常的に起きてましたから夫はかわいそうでしたね。家の中にいると母の妄想がふくらんじゃうので夫が母と私の分のお弁当を作ってくれて、それを持って近くの公園に出かけたりもしていました。夫婦で母の介護について相談する以前にそういう事態になってしまったんです。

作ってもらったお弁当を食べている最中に病院から電話がかかってきて、夫が自然気胸で倒れて緊急手術をする、と連絡が来たことがあったんです。でも、母の方は娘の気持ちが自分から離れてダンナに向いたのを敏感に察知して、怒りだすということもありました。

「アンタが今食ってた弁当はさあ…」って言いたくなりますよね(苦笑)。

篠田節子「乳房や子宮を取ることは”女性性の喪失”と無関係」

 

くらたま

なるほど…。お母さまの認知症に気が付かれたのはいつ頃なんですか?

篠田

20年くらい前ですね。雑誌のインタビューなんかだと「20年にわたる介護」とか書かれてますけど、初期の認知症からいわゆる「介護」は必要ないですよ。見守りとトラブルシューティングですね。金庫が開けられなくなった時期は、介護ではなかったですしね。

体からのサインを見逃さないように

くらたま

ところで、ご著書に「身体の声を聴くことが大事」とありましたが、乳がんになられる前に体から何かサインはあったんですか?

篠田

ありましたね。そういえば、家で母をみている間は髪が大量に抜けていたんです。ダンナが掃除機をかけているとヘッドローラーに絡みついて動かなくなるほどで 、ヘアブラシも真っ黒になるくらい抜け毛がついているんですよ。お風呂場の排水溝もすごい状態でした…。

くらたま

確かに「気のせいかな?」で済ませてしまいそうですよね。私も数ヵ月前に夫が52歳で心筋梗塞をやったんですが、症状がテレビドラマとかで見てるのと全然違ってました。

前日の夜から「気持ち悪い」「みぞおちに違和感がある」と言っていたんですが、胃薬を飲んだら治ったんですね。でも、朝になってもまだよくならなくて、ネットで検索したら「心筋梗塞の症状」の可能性もあると出てきたんです。

篠田

心筋梗塞の一般的なイメージは、両手で胸を押さえて「ううっ」ですけど、そんななのね。びっくり。

くらたま

もともと夫は毎年の健康診断で心臓病のリスクを指摘されていたので、すぐに近くの病院の心臓外科に行ったら、「ここでは手術できないので救急車を呼びましょう」と言われたんです。1時間遅かったら死んでいたかもしれませんでした。

心筋梗塞というと、テレビとかだと突然苦しんで死ぬイメージですけど、全然違いましたね。だって、病院まで自転車を漕いで行ったんですよ。

篠田節子「乳房や子宮を取ることは”女性性の喪失”と無関係」

篠田

え!?そうなの?

くらたま

そうなんです。インターネットがあって本当によかったですよ。

篠田

ネット情報は弊害ばかりが取り沙汰されるけれど、そんな風に命を救われることもあるんだ。よかったですね。それにしても本当の意味でのボディコンシャスは重要ですね。

リラックス法は仕事をすること

くらたま

介護や闘病でのリラックス法って、ありましたか?

篠田

リラックスして面倒なことを完全に忘れるのは、やっぱり仕事ですね。心が落ち着きます。

くらたま

素晴らしい!

篠田節子「乳房や子宮を取ることは”女性性の喪失”と無関係」

篠田

書いてる最中は、完全に別の世界にいることができます。電話がかかってくると、こっちの世界に戻るという感じですね。

くらたま

お仕事場はご自宅ですか?

篠田

自宅です。母は入院するまではすぐそばに住んでいて、何かあると電話をかけてきて私が出動する、といった体制。でも、ある時期からかけられなくなってしまったので、短縮ダイヤルを設定して、私の携帯につながるボタン一つを残して、ドライバーで電話機のボタンを外して、その穴をガムテープでふさいだんです。これで電話をかけられなくても私とのホットラインは確保できました。

くらたま

それはすごい…。ボタンを外したのは先生のアイデアなんですか?

篠田

ダンナがやったの。

くらたま

ご主人、なかなかアイデアマンですね(笑)。

篠田

それでも使い方をなかなか覚えられなくて、何度も指で押してもらいました。そのうちに頭は忘れても手が覚えてかけられるようになったんですね。

くらたま

アイデアで解決していくのって大事ですね。ところで、先生はご自身の老後についてはどのように考えていらっしゃいますか?

篠田

まずは必要ないものをぜんぶ処分して暮らしをシンプルにすることですね。モノが少なければ「見つからない」とか「なくした」がなくなりますし、知的能力が衰えていても最期まで暮らせるかなと思っています。

高齢者住宅や老人ホームに引っ越すことになってもモノが少なければ身動きが取れるので、これからは断捨離を進めていこうかと思うんです。

ただ、一番困るのは自分の本ですよね。どんどんたまるし処分したらバチが当たりそうな気がして、怖くてできないし…。

  • 撮影:荻山 拓也
篠田節子「乳房や子宮を取ることは”女性性の喪失”と無関係」

篠田節子

1955年、東京都生まれ。東京学芸大学卒。東京都八王子市役所勤務を経て90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年『ゴサインタン』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で第直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マテーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。『長女たち』『静かな黄昏の国』「絹の変容』『アクアリウム』『転生』など著書多数。

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