2023年2月、たった1館の劇場で封が切られた映画『茶飲友達』が静かな話題を呼んでいるのをご存知だろうか?「高齢者向け売春クラブ」という実際の事件に着想を得たこの作品は、「高齢者の性」というある種タブー視されてきたテーマを扱いつつ、「孤独」「家族のあり方」といった現代日本が抱える課題を真正面に突きつけてくる。メガホンを取ったのは、これまで“高齢者”が主役の作品を撮り続けてきた外山文治監督。
※記事中には一部ネタバレを含みます。ご注意ください。
「高齢者の性・孤独・家族」を描いた注目作品
みんなの介護ニュース編集部(以下、―― )本日の『賢人論。』は、『茶飲友達』の監督・脚本・演出を務めた外山文治さんにお越しいただきました。
外山 よろしくお願いします。本作『茶飲友達』は、2013年に摘発された「高齢者売春クラブ」の事件から着想を得て製作した作品です。少しセンセーショナルな話題と感じられるかもしれませんが、「高齢者の性」だけでなく、世代を問わず現代人なら誰でも抱える孤独や閉塞感といった心の隙間を描いた人間ドラマです。

【作品あらすじ】
29歳のマナ(岡本玲)をリーダーとする若者たちは、高齢者専門の売春クラブ『茶飲友達(ティー・フレンド)』を設立。 新聞の三行広告に「茶飲友達、募集。」と掲載し、連絡してきた高齢男性のもとへ、同じシニア世代の在籍女性・通称“ティー・ガール”を派遣していた。
ギャンブル依存や介護疲れといった、さまざまな事情を抱えたティー・ガールたち。組織を運営する若者らも、それぞれが出口の見えない閉塞感に喘いでいる。マナは彼らを「ファミリー」と呼び、家族のような絆を結ぶが…。
―― たった1軒の映画館で公開がスタートした2月以降、今や全国78館にまで上映館数を広げています。ミニシアター作品としては異例のロングランヒットといえますね。
外山 正直、ここまで大きな反響があるとは制作サイドは誰も予想していませんでした。
そもそも映画って、公開前の時点でどれくらいの動員数や上映館数になるか予想を立てて作るものなんです。それでいうと『茶飲友達』は非常に小さな枠組みの中で動いている作品だったため、キャストとも「10館程度で上映が叶えば御の字だね」なんて話していたくらいで。

―― 想定外ともいえる勢いですが、なぜこんなにも反響を呼んでいるとお考えですか?
外山 今の「時代感」にうまくマッチングしたのかなと。
私は今42歳ですが、20代の頃から高齢者を題材にした作品を撮っているんですね。その中で、今回の『茶飲友達』で扱った「性の問題」「孤独」をはじめ、シニアのリアルな本音を知りたいという人々のニーズはずっと感じ続けていました。
けれど数年前まではまだ時期尚早といった感があり、映画というコンテンツで真正面からこれらのテーマについて問題提起することができなかった。そういったさまざまな弊害を飛び越えることができ、かつ観客自身も構えることなく受け止められたのが、2023年の「今」だったんじゃないかと思っています。
70代男性の約8割は性欲がある
―― 本作には、孤独を抱えた高齢者たちが、同じくどこか満たされずにいる20代の若者たちと共に「疑似家族」を築き上げる姿が描かれていました。主にどの世代の観客から支持を集めているのですか?
外山 来場者は、やはり60~70代以上のご高齢の方が多いですね。コロナ禍で映画館離れしたといわれているシニア世代が、わざわざ劇場へ足を運んで観てくれている。

―― まさにこの作品の当事者ともいえる方々ですが、どういった感想を抱いていると思いますか?
外山 皆さん、等身大の話として捉えていると思います。「やっぱり一人は寂しいよね」「誰かと触れ合いたいよね」といった共感はもちろん、「高齢期を迎え、これからの人生をいかに輝かせていくか」というテーマに対しても共鳴する部分があったようです。
―― 皆さん、我が事として観ているんですね。
外山 たとえば【70代男性の約8割に性欲がある】というデータ結果に作品内で触れましたが、それって同世代の観客にとっては意外なことでも何でもなく「納得」な事実なわけです。ただ、これまでは表立って発信する人がいなかっただけで。
―― そちらのデータ、40代である私にとっては初めて知る事実でした。先ほど、高齢者のリアルを発信するにはこれまでさまざまな弊害があったとおっしゃいましたが、特に「高齢者の性」の問題は社会的には「無いもの」とされてきたフシがあるように感じます。本テーマを取り上げることに対してためらいなどはありませんでしたか?
外山 このテーマは、高齢者を描き続けてきた自分にしか撮れないという自負がありましたから、日和るような気持ちはなかったですよ。
ただ、今まで目を背けられていた領域に斬り込むわけなので、バッシングを受ける可能性はあると覚悟していました。けれど実際フタを開けてみたら、「性」というテーマ自体に対する否定的な意見は皆無だったんです。

―― 好意とともに受け入れられたということですか?
外山 共感、ですね。
正直、私自身も、時代の流れというか、思いがけず誰もが受け入れてくれたことに驚きを感じました。数年前では考えられなかった光景だなって。
―― 高齢者作品を撮り続けてきた監督だからこそ肌で感じられる、時代の転換ですね。
外山 以前はこういった取材の場で「日本では5人に1人が高齢者で…」なんてお話ししていた記憶がありますが、今や4人に1人になっているし、3人に1人という状況さえ目前に迫っています。社会にとって、もはやシニアの存在は特別なものではなくなっているんですよね。
高齢者を撮ることについても、当初は「君、ずいぶんニッチなことやってるね」くらいに言われてたんですけど(笑)。ここまでシニアがマジョリティ化した現在、日常を描くことと高齢者を描くことが直結し始めている。
彼らが抱える悩みや苦しみは、ごく一部の特別な人だけの問題ではなく「みんなの問題」へと変わりました。そう考えると、本作への反響は必然の結果といえるかもしれません。

「ジャンル:高齢者」記号化で生まれる世代の断絶
―― 2010年公開の『此の岸のこと』も拝見しました。こちらは、妻の介護を担う男性が老老介護の果てに心中にいたる…というストーリーでしたね。
外山 あの映画の上映当時、率直な意見をもらおうと思って、介護当事者の方々にも観てもらう機会を設けたんです。するとここでも意外だったのが、否定的な感想が全然出てこなかったこと。
「介護の現実を描いてくれてありがとう」という声以外に、「献身的に介護してもらえた妻が羨ましい」なんて、私が想像もしていなかったポジティブな声も多数ありました。【心中】という悲劇的なラストのはずが、当事者の皆さんにとってはバッドエンドに映っていなかったんです。
―― 高齢者に対するイメージは、現実と一致しないことは多々ありますよね。『茶飲友達』でも、売春行為をする高齢者を小馬鹿にした若い仲間に対して「お年寄りにはひなたぼっこでもしておいてほしいと思っているの?」と、主人公が問うシーンもありました。
外山 その他の世代にとっては「おじいちゃん・おばあちゃんは縁側でのんびり穏やか」でいてくれた方が、余計な軋轢を生むことなく平和に過ごせますからね。
そもそも、自分にとって未知の存在には、一般的な枠組みの中に入ってもらっていた方が安心できるのが人間です。一対一で向き合うのって大変なことだし、特に若い世代はイレギュラーな相手とのコミュニケーションを苦手とする人が多い印象ですし。

―― 私たちは無意識のうちにカテゴライズしてしまっていると。
外山 結局、この国が抱える高齢者関連の課題の多くって、シニア全体を【高齢者】という記号で見ていることが原因のひとつじゃないでしょうか。行政がやってる高齢者対策もそうですよね。
ただ、2023年のこの世の中、年寄りはひなたぼっこでもしとけって望むほうが無理な話ではありますよね(苦笑)。彼らはSNSだって駆使するし、とにかく前向きで未来志向です。
ポジティブなシニア、ネガティブな若者
―― 本作に登場する“ティー・ガール(売春行為に加担する70代前後の女性)”たちも、基本的に明るく前向きな存在として描かれていましたね。一方で、売春クラブを運営する若者側の方が、強い閉塞感や生きづらさを抱えていて…。この対比がとても印象的でした。
外山 「超高齢化社会は悲惨だ」「老いることは絶望しかない」なんて嘆いているのは、高齢者本人じゃないよなと私は考えています。未来を悲観して不安になっているのは若者たち。当の高齢者は、自らの衰えや周囲の変化をあるがままに受け止めて、その中でいかに“一瞬の希望”を見つけ出せるかというベクトルを向けて生きています。
ティー・ガールを演じた彼女ら自身も、本当にパワフルな方ばかり。カメラが回っていない所でもずうっと元気で(笑)。

―― 今回の出演者はワークショップを経て選考されたと伺いました。
外山 ええ、役者経験の有無に関わらず数百人から応募がありました。
主人公のセリフにもありましたが、今はまさに『シニアが若者以上に人生の豊かさを求める初めての時代』ですよ。
―― シニアのパワーは、若い共演者たちにとっても刺激になったのでは?
外山 ティー・ガールズの輪の中に若い俳優たちが溶け込んで、インスタの使い方を教えたり、逆に人生相談に乗ってもらったりしていました。理想的な異世代コミュニケーションの場だったんじゃないかな。
何かが欠けているもの同士、支えあってひとつの「ファミリー」をつくろうというお話でしたから、現場の空気感は作品にも良い影響を与えていたのではないかと思います。

「血は水より濃し」は幻想なのか
―― とはいえ、作中では、希望にあふれているように見えた「ファミリー」は崩壊を迎えてしまいます。個人的な感想ですが、この擬似家族が存続していく未来が見たかった…とも思いました。監督の中に、ハッピーエンドの選択肢はなかったんでしょうか?
外山 基本的に「疑似家族」というコミュニティは、メンバーそれぞれが自分にとって都合の良い上澄みだけをすくい取って過ごしていけます。見たくないものは見ないで済むんですね。
けれど本来の家族は、相手の嫌な部分や許せない所も飲み込んだ上で関係を築いていかなくてはならない。心地良さだけを追求する疑似家族が"本物の家族”になりたいなら、その途中過程において必ずどこかにほころびが生まれます。人はそれを乗り越えられるのか。これだけはきちんと描かなければいけないという想いがありました。

―― 映画や物語の世界では「血よりも濃い絆」を描くのがもてはやされる印象ですが…。
外山 耳触りが良い話の方が、分かりやすく感動できますからね。けれど私個人としては、そんなインスタントなつながりで本当に幸せにたどり着けるのか、という疑問が常々あって。
一方で、血縁関係に悩み、救いを求める人が多くいるのも確かです。本作の主人公も、親との関係に苦しみ抜いて生きてきました。けれど、代替品として構築した理想のファミリーはあっけなく瓦解し、断ち切ったはずの肉親からは「家族」という関係を再び突きつけられる結果となります。
『茶飲友達』では、疑似家族を賛美するわけでも、家族の血縁を推奨するのでもなく、あえて着地点は明確にしたくなかった。今の社会は家族のあり方が多様化しています。最後に主人公が問う『家族って何?』というセリフを通して、この時代を生きる皆さんと議論してみたいという気持ちがありました。

寂しいのは私だけじゃない、という希望
―― 映画づくりを通してさまざまな介護現場に出会ってこられた中で、監督が抱いた率直なご意見やご感想を聞かせてください。
外山 まぁ…格差があるなとは思います。老いてもなお、幸せを与えられる境遇というのはこうも違うのかと。自分が年をとった際は、より良い老人ホームに入りたいなというのが正直な気持ちですよ。
―― ご自身の老後についても何か考えることはありますか?
外山 長く生きていくのに必要なお金の試算をするとゾッとはしますね。ただ、映画監督という職業は生涯現役でいられる可能性もありますから。退職後どのように生きるべきかといった迷いは持たなくていいかな。
―― 先ほど「良い老人ホームに入りたい」との言葉がありましたが、将来は老人ホームで過ごしたいといった願望をお持ちですか?
外山 最期まで自宅で、というより、どこかに入居することを選ぶと思います。やっぱり、誰かと一緒にいたいじゃないですか。特定のコミュニティに属しつつも、孤独を与えられる選択肢を持つという生き方がベストだなって思います。
私、青春時代に一時期、周りに田んぼしかないような田舎で過ごしたんです。誰かと話をしたい時も、隣にいるのは虫とかカエルとか(笑)。物理的に周囲に人がいない・話しかける相手がいないあの絶望感って、ちょっと言葉で言い表せないくらいの「孤独」ですよ。

―― 『茶飲友達』では、高齢者が抱える「孤独」も大きなテーマの1つでした。
外山 妻に先立たれた高齢男性が、亡き妻の遺した衣類に顔を埋めるというシーンがありましたよね。でもこれって、年齢は関係ないなと思っていて。もしも今の自分が「後に残された立場」だったら、同じように大事な人の形見に想いを馳せるはずなんです。
だから「高齢者の孤独」に限定したわけではなく、全世代に共通する普遍的な寂しさを描きたいという気持ちでいました。
―― 普段、監督ご自身も「孤独」の苦しみを感じることはありますか?
外山 そりゃもう、しょっちゅう(苦笑)。映画製作を通して孤独を昇華させ、映画をつくる過程でまた孤独を感じてのた打ち回る…を繰り返しながら生きています。
ただ、昔は、こんなにいい大人になってまで心細さや寂しさを感じているなんて、自分ひとりだけだと思っていました。けれど、ふと辺りを見渡すと全然そうじゃない。心に穴がぽっかり空いたようなこの感覚って、今を生きる人なら誰もが抱く「現代病」だって気付いたんです。

―― コロナ禍を経て、孤独の問題はさらに加速化したようにも思えます。
外山 大きな社会課題ですよね。でも「寂しいのは私だけじゃない」とさえ分かっていれば、問題解決の糸口にもなり得るんじゃないかな。
だって、誰もが他者とのつながりを求めている可能性が高いということでしょう?自力で心の穴を塞ごうとがむしゃらにならなくても、誰かと少しずつ分かち合ったり補い合うことで、お互いが孤独という肩の荷を下ろせるかもしれない。そう考えれば、少しは救われると思いませんか?
自分ひとりで充実感を得られる人なら必要ないかもしれないけれど、大多数はそうじゃない。「幸せの条件」には、やはり他者とのつながりというのが必要不可欠だと感じます。
―― 介護の世界では特に必要とされる価値観かもしれません。
外山 「誰にも分かってもらえない」「自分が頑張らなければ不幸な結末が待っている」と一人で抱え込む。ゆえにどんどん追い詰められて、色んな悲惨な事件が起こっているわけですからね。
結局、人が孤独になっていく様というのは、性別や年齢問わず共通しています。要は「周りに誰もいない・自分はひとり」と思い込んでしまうことが一番の原因ではないでしょうか。
若輩者の私が、人生の大先輩であるシニアの皆さんへ、生き方や人生の答えを示すなんて大それたことはできません。けれど「映画」には、人を外の世界に連れ出す力があります。映画を見終わった後、それまで皆さんの見えていた景色に少しでも鮮やかな色がついていると嬉しい。孤独を自分のものだけとせず、他者へ発信できるきっかけにつながると良いですね。

幸せは1つじゃない。幸せには幅があるんだ
―― 改めてお聞きしたいのですが、外山監督が「高齢者」の姿を撮り続けるのはなぜでしょうか?
外山 映画をはじめ、多くのコンテンツは「高齢者」というモチーフに対して、重いテーマばかり担わせてきました。たとえば尊厳死や孤独死といった、娯楽として楽しむには躊躇するような内容です。
でも実際は、彼らも私たちとなんら変わらない人間臭さを持っています。それこそ、恋もすれば嫉妬もする。加えて、年を取ってからの遠慮のなさというか…。だいたい「老い先短い」って最強の免罪符まで所持してるんだからとんでもない(笑)。
そういった狡猾さやしたたかさも含めて、私にとって高齢者はすごく多面的で魅力がある存在に映ります。誰もが物語の主人公になりうる深みを持っていますよね。

―― これからもシニアを題材とした作品を届けていかれますか?
外山 もちろんです。それに、今後は高齢者が主役の作品はどんどん増えていくと思いますよ。だってもう彼らがいる風景は、私たちの当たり前の日常なわけですから。
―― 最後に、監督が映画づくりを通して伝えていきたい想いを教えてください。
外山 これまで私は一貫して、「人間は再生できる」ということをテーマに作品をつくっています。もっと言うと、人はいくつになっても生まれ直すことができると伝えたい。
何度失敗したってやり直せるし、「失敗したら後がない」なんて自分を追い込む必要はありません。たとえ、なりたい自分になれなくても、理想とは違う場所に行き着いても、人は必ず幸せを見つけられる。そんな希望の物語を紡いでいきたいです。


映画『茶飲友達』全国公開中!
上映情報は公式サイトをご覧ください。
撮影:熊坂勉