「介護をするのは人間だけ…いまのところはね」
旭川市旭山動物園の元園長であられる小菅正夫氏はそう語る。なぜ人は介護をするのか。
一時は閉園の危機にあった旭山動物園を再建した「動物園の父」に、子どもに戻ったつもりになって、率直な疑問をぶつけてみた。
そもそもどうして人間は高齢社会を築けたの?
―― 「動物は介護をするのか?」「なぜ人間だけに高齢社会が見られるのか?」。そんな質問に、旭川市旭山動物園の元園長である小菅正夫先生にお答えいただきます。よろしくお願いします。
小菅 どうも。こちらこそよろしくお願いしますね。
―― まずは、人間社会に見られる高齢化という現象についてお話いただけますか。
小菅 高齢化とは、言い換えれば「繁殖適齢期を過ぎた個体が生きている」ことでもあります。「余生」という観点からお話させてもらいますね。
人間以外の動物は、メスに繁殖能力がなくなること自体が基本的には“寿命”なので、余生がないわけですよ。種を増やす点では、直接的な意味がないので。 進化をしていく過程で「意味のないこと」を動物は基本的にはやらないのです。
もちろん、ある特定の方向に進化を始めて、それが「行き詰まって」絶滅するケースはあります。
―― 絶滅の例を一つ教えてください。
小菅 例えばオオツノジカ。オオツノジカは角の「行き過ぎた発達」で絶滅しました。異性へのアピールとなる角を大きくしたがために、生息環境が制限されるようになり、個体数がどんどん減って、ついには絶滅してしまったという説があります。進化が行き詰まって絶滅する一例ですね。
それではなぜ人間だけが、一見すると種の維持に「不必要」な余生を過ごしながらも、個体数を増やしてこられたのか?これは、生物学上の“メス”の「妊娠、出産、育児」の負担が非常に大きいからだと私は考えています。

絶滅したオオツノジカ
―― 出産の負担を軽減する方向に進化するのではなく。
小菅 そう。子どもの大きさを考えてみてください。母体と比較すると非常に大きいですよね。少なくとも3キロもある。
一方、人間の子どもは脳も身体も未熟な状態で産まれるので、抱きつくことなんてもってのほか。なにもできない。母親が抱いて育てなければいけないだけでなく、その期間も非常に長い。

チンパンジーの育児の負担は人間に比べて小さい?
―― 出産前後で、母親にかなりの負担がかかりますよね。
小菅 シカなんかは生まれた途端に走り始めますから。それに比べたら人間は何もできない。出産で疲弊した母親が徹底的にサポートしなきゃならないんです。
私の考えはこうです。人類はどこかのタイミングでそれまでにない「長寿」的な遺伝子を獲得し、繁殖期を過ぎても長生きできるようになった。繁殖期を過ぎた個体、要するに「じいちゃん・ばあちゃん」が娘の育児へ徹底的にサポートをするようになり、新生児の死亡率をかなり引き下げた。
―― チンパンジーにも血縁者に子を預ける行為が見られるそうですね。
小菅 そう。本能的に備わっている能力なのかもしれないよね。繁栄を築けた理由のひとつに、産後の「おかあさん」がしばしの休息を経て、安心して働けたこともあるのではないでしょうか。私も「じいちゃん・ばあちゃん」にかわいがってもらってね、私の母も産後すぐにうちの商売を手伝っていました。目が離せない小さな子どもを育てるのは、“活発”に動けなくなったおじいちゃん、おばあちゃんということです。
―― 表現の是非はさておき、各世代の役割が明確な社会です。
小菅 昔々、人間の群れにおける閉経した「メス」は、自らが経験したことをもとに子どもの発育に関する的確なアドバイスをしていたと思います。“引退”した「オス」は、過去の自然災害や狩猟の経験を語り継いでいたんじゃないかな。老いてなお、人間のオスもメスも「次世代を安定的な成長に持っていく」という明確な目的があった。
―― 繁殖期を過ぎても生きることが「意味のない」進化でないことがよく分かりました。むしろ祖父母世代が繁栄をリードしていますよね。
小菅 はい。三世代による育児が「人間」の進化だったのではないでしょうか。見方を変えれば、高齢社会は進化のひとつの形だとも思うのです。
ところが現代はどうでしょう。「労働者」として生まれた地域から切り離されるような社会形態です。そこに核家族の問題が出てきました。 核家族というのは、父母が子を育てながら働かなければならないという生物学的には「非常に困難」なことを求められる形態です。特に女性は、授乳という行為があるために子育ての主体と考えられてしまい、負担が大きくのしかかっています。
―― 母親の負担を軽減すべきですが、核家族が増加しているだけでなく、保育所も圧倒的に不足しています。
小菅 子世代を見守るシステムがうまく機能していないよね。
社会を維持・育成するために貴重な存在だった高齢者が、核家族の増加に伴って役割をうまく果たせなくなりました。はっきりと言うけど、今の時代、高齢者はまるで「じゃま者」扱い。生産性が低いなどと言われています。
現代の社会のありかたは、かえって人間らしさを放棄してしまっていると思うのです。せっかく余生を活かして「人間らしく」繁栄を築いた人類が、人間らしさを失って衰退していくんじゃないかとも思いますね。

「おばあちゃんっ子」だった幼少期(佐渡にて)
【写真提供:小菅正夫氏】
小菅先生!人はなぜ生きるのでしょうか!
―― NHK子ども科学電話相談では、「生きている理由はなんですか」と子供に聞かれていましたね。先生は「私自身は動物のすごさを伝えていきたい」と、明確なお答えをお持ちでした。
先ほどのお話を伺っていると、先生のように確固とした生きる目標を持つことが難しい高齢者の方々も少なからずいらっしゃるのではないか?という漠然とした印象を持ちました。
小菅 …私はね、動物に限らず、全ての生き物は、子孫を残すために生きていると思っているのです。でも、その役割を「直接」果たすことができなくなっても、間接的には次世代をきちんと守って育て上げていく役割を果たしていくのが生きものだと考えています。人間はさらに、その役割と大きくして行ったのだと思います。
さきほど、祖父母の役割は経験を伝えていくとだとお伝えしましたよね。それは進化の過程で獲得したものと“全く同じ意味”でとても重要なことなんです。
―― 核家族の問題は父母世代の負担が増すばかりでなく、祖父母世代にも大きな影響を及ぼしていますね。
小菅 そう。だからね、「じゃま者にされている」という風潮が、今の高齢者に非常に大きな“クエスチョン”を引き起こしている可能性があります。
「自分は生きていて『じゃま』なのかな?」「もう死んだほうがいいのかしら?」と。
そんなことは絶対にありません。自分を見失ってはいけない。子や孫たちを見守ってサポートしていく役割があるんだから。
父母の世代は、そこのところをはき違えちゃいけないよね。「たまにしか会わないのに、余計な口は出さんでよ」なんて言わないで、子どもの成長を伝えることが大事です。そのことだけで「おじいちゃん」「おばあちゃん」は自分の孫のちょっとした危険性や更なるアドバイスを経験論として伝えることできますから。
―― 身につまされます。
小菅 それこそが本来的な人間が生きる意味です。いくつになっても次世代を育てていくという。そのために人類は「余生」を獲得したのですから。
私自身はね、動物を通じて経験させてもらったこと――なかなか他の方には経験できないこと――を伝えていきたい。地球上で一緒に暮らしている多くの動物たちの本当にすごいところを多くの人に伝えて、みんなもそういう思いで動物を見てほしいと思っています。
―― まさに「SDGs」や「生物多様性」という観点ですね。

小菅 そう。私は昔からそういう視点を持っていました。だからね、私に限らず、それぞれの高齢者の経験や体験を通じて自らが学び取ったことがあるわけです。それこそが経験によって裏付けされた真実だと思うのです。
―― 近年、真実という言葉の意味が問われています。
小菅 うん。私は知識そのものには何の意味もないと思っている。体験、経験に裏打ちされた知識が真実なんです。それを伝えていくべきだよね。
たとえ祖父母が父母とは別の場所で暮らしていたりさ、ご自身にお子さんやお孫さんがいなかったりしても、自分の子どもを見るような目で地域の子どもたちを見るべきだと思います。
今の社会はさ、子どもに話しかけただけで「事件」になったりするじゃない。
―― なぜこのような社会になったのでしょうか。
小菅 ひとつには「コミュニティー」の崩壊だと思う。地域のコミュニティーが崩壊しているのに、ネットでは“繋がる”ことができる。それで、実体はないけれども、「自分は何かしらのコミュニティーに属している」という“おかしな”感覚をもって自分を満足させている。繋がりが希薄になった社会になっていると思うね。
今日もこうしてあなたとリモートでお話をしているけれども、これは心からの交流にはなれないと思う、残念ですがね。やっぱり直接触れられるような距離でいろんな感情が直接伝わるように交流したいよね。お互いに「壁」があるから、本当の自分を出し切ってない。私はそういうことは意識せずにコミュニケーションを取りたいから、ときには恥ずかしい話になっちゃうときもあるんだけれども(笑)。
―― オンラインとオフラインでは接し方がまったく異なりますよね。
小菅 だからこそ、恥ずかしかろうができるだけ自分そのものを出そうと私は思っているんだよ…いや、自然にそうなったよね。動物と付き合っていると自然とそうなるんだ。動物は絶対にそういうことをしないから。
真正面で見てくれるから、お互いを感じられるんだよ。こっちがいくらだまそうと思ってもできないわけ。人間なんてだまそうと思ったら簡単にだませるんだから。
―― (笑)。否定はできません。
小菅 そもそもさ、動物に人間の言葉なんて意味ないじゃん。言葉によるコミュニケーションと全身全霊によるコミュニケーションは違うんだよ。そういうことを社会できちっと感じられるようになってほしいかな。優しい「おばあちゃん」「おじいちゃん」が公園にいて、遊びに来た子どもが「あそこのおばあちゃんが、わたしにこんな昔を話してくれたよ」。
そういうことが当たり前にできるような社会になったら、「私の生きる目的は何もない」と感じる高齢者も減ってくんじゃないかなと思うんだけども。
―― 先生のご著書では、高齢の「長老」的な個体の重要性を説いていましたね。近しいお話だと感じました。
小菅 そう。群れの相談役的な「長老」がいることも群れにおける利点だよね。ただね、長老や群れのボスに限らず、ある個体が全体の意思を統一して「ワーッ」と進んでいくべきかというと、それは違うと思う。集団として“なんとなく”結びついていて、その群れがゆっくりかもしれないけど、ゆるやかに目的を決めていくほうが良いと思うんだよね。
―― 集団におけるひとつの理想です。
小菅 ちょっと面白い話があって。サル山の「ボスザル(α♂)」は絶大的な権力を持っていると昔は言われていたよね。でも、調査や研究が進むにつれて、昨今、「絶対的ではないのでは?」と言われているんだ。
例えば、群れが向かっている場所の方向は、ボスが「あっち行くぞ!」って決めているわけじゃく、群れの何頭かが何となく「一歩右へ行ったな」となると、「あいつ右へ行ったな」とみんなが見て、「じゃあみんなで一緒に右へ行こうか」という風に進んでいるシーンが観察されています。
これは参考にすべきなんじゃないかと考えさせられる。誰かの一存で決めるのではなく、みんながいいと思う方向にみんなで進んでいく。人間も動物のような暮らしをしたほうが、生きづらくない社会をつくれるんじゃないかと思わされるよね。
“よそのどこの国”とはいわないけれども、誰かの「独裁」で国民が生きるなんておかしな話じゃない。

「ボスザル」も空気を読んでいた!?
動物って介護をするの!?
―― 先生、動物は介護をするのでしょうか。
小菅 しません。
―― 群れで生活できない動物は「見捨てられる」ということでしょうか。
小菅 見捨てるわけじゃないよ。例えば、群れで移動するときに辛うじてついて来られるのだったら、その個体が来るのを待ちます。でも、遅れをとる動物に手を貸して「よし、頑張って行こうな」というのはしないように見えますね。
よく、戦争映画で傷ついた兵士をおぶって救護所まで連れて行くシーンがありますけど、あれはまさに人間的な行為。動物は基本的にはしない行為だと思う。
―― 若い動物が老いた動物をケアすることもないのでしょうか?
小菅 見たことないですね。だから「介護」は、非常に人間らしい生き方をしているんですよ。先ほどもお話しましたけど、動物はなんのために生きているのかが明確です。種を維持するために個を増やすこと。そのために個々が生きているわけです。
余生がないことはつまり「役に立たなくなったとき」もまた寿命なのです。人間以外の動物では、病になったり、子育てに参加できなくなったりしたら、その個体の生きている意味はその時点で、残念ながら失われてしまうのです。「延命」にエネルギーを費やす余裕はないから。
動物は自分が生きていることや子孫を育てることに100パーセントのエネルギーを注入する生き方をしています。もちろん、一瞬は死に対して感情的になります。チンパンジーなんか見ていても、自分の親が死んだときにすがりついて「なきます」から。
―― 「なく」んですね。
小菅 もう「ワーッ」と大きな声で。涙を流す人間とは違うかもしれないけど、すがりついて大きな声を出しますよ。
―― 感情を爆発させているのでしょうか。
小菅 そうそう。でもそれも一日も続かないんです。自分の産んだ子どもが死んでしまったときに親が亡骸を抱いていようとするんですが、それもそんなに長くは続きません。死に対しては諦めが早いわけです。
もう一つ言いますと、例えば自分が死ぬことによって群れが助かることがあります。例えば、50頭で構成される群れに、その日の「ギリギリ」の食料があるとします。もし、老いた一頭が死ねば一頭分の「余剰」が生まれて、49頭が十分に食べられることになるかもしれません。
一方、人間は自分たちの食料を生産して維持することができるからこそ、極論ですが「介護」という発想に行きつくのだと思います。自然に依存している動物には、不可能です。今、その瞬間に食べて「いまの命」をつなぐことで本当に精いっぱい。
―― たしかに介護も医療も未来を見据えた行為です。
小菅 以前、ウガンダのある森でチンパンジーを観察する機会がありました。その森はイチジクが「ものすごく」生っている。視界を埋め尽くさんばかりのイチジクなんか見たことないでしょう?それはすごい光景でした。
そこに一頭のチンパンジーがいたんです。そのチンパンジーが、イチジクをどうやって食べるかといったら、――その木には自分しかいない。あなたならおいしいものつまんでゆっくりと食べるでしょう?私もそうするし、人間はみんなそうするよね――そのチンパンジーはね、両手で口の中をイチジクでもう「パンパン」にしちゃうんだ。
その食べ方を見ていてね、推測でしかないけれども、他の動物に取られるからではない、と感じた。いまこの時点で、可能な限りエネルギーをとることで、明日もしくは明後日の命を保障しているんだ、と。でもね、3日後の命は保障してないわけ。そういう暮らしをせざるを得ない動物に、「他の個体にも食べさせてやる」という一種の義務感は発生しないんじゃないかと思うんだよ。

ルワンダ・ニュングェ国立公園にて。
イチジクの実を頬張るチンパンジー
【写真提供:小菅正夫氏】
―― 命に対する考え方がまったく違います。
小菅 そう。だからね、「人間らしく生きたい」と言う方がいらっしゃいますよね。実は、介護は非常に人間らしい生き方です。そういう発想をする動物は人間以外にはいないんだから。介護職の方々は自信を持って「人間らしい生き方をしている」と宣言していいと思います。
―― 初めて学んだ視点です。
小菅 そうですか。私は本を読むのが嫌いなんです。私の妻が図書館の司書でね、いわば本の専門家。そんな本の専門家が本嫌いな私と結婚した(笑)。
ただ、影響を受けていろいろな本を読むようになりました。本の世界もいいなあと思っているんです。まあ、相変わらず多くは読まないですが。
自分の中でいろんなことを――本で学んだことも、動物と体験したことも――考えて整理していくことが自分の「クセ」なんです。だから、私の考えは独善的な考え方です。 これは昔からそう思っているんだけど、人間って人間のことが分からんのですよ。だって自分のこともよく分からないじゃないですか。自分を知るためには自分以外の人をよく見ていないと分からないのです。「私はAさんとここが違う、Bさんとはここが違う」。それがあればあるほど自分自身がよく見えてくる。だから他人は自分を映す鏡です。
さらに種を超えて比較していくと、人と動物が全然違うことに気がつく。つまり動物は人間を映す鏡だと考えています。
―― 比較をすることで、人間の実態を理解できるわけですね。
小菅 そう。子どものために死んでしまう生き物はたくさんいますが、介護をする動物は他にいない。表現はよくないけれども、「死にゆくもの」のために努力をする生き物って、人間以外にはいないんじゃないかな。そういう意味でも、それこそが人間の特徴だと必然的に思います。そう思わないのは、他の動物はどう生きているかをみんなが知らないからだと思うね。

旭川市旭山動物園入園4年目の小菅氏。
アジルテナガザルと【写真提供:小菅正夫氏】

旭山動物園副園長時代の小菅氏。(1992年9月)
カバのザブコ(母)とナミコ(娘)と
【写真提供:小菅正夫氏】
動物も「ありがとう」って言うの?
―― 先生、「ありがとう」という感覚は、動物にもあるのでしょうか?
小菅 チンパンジーなんかでは、例えば「食べているものをちょうだい」といったシーンで実際にもらえたら、やっぱり喜んでいるようには見えます。
―― それは感謝の気持ちとは別なのでしょうか。
小菅 そこは分からないとこなんだよね! 感謝しているのかどうかっていうのはさ…「感謝」って長続きするでしょう? 人間の場合、「この方は私を助けてくれた人」といったように、生涯にわたって感謝の念を抱きますよね。でも、動物にもそういう感謝の気持ちがあるかどうかは私には分からない。
もちろん一瞬は感謝している。でも、三日後には「大げんか」をしたりするから。恩に似た感情はないような気がするな。
―― 介護同様、人間らしさを定義するうえで「ありがとう」という行為や気持ちは重要ですね。
小菅 そうです。ただ、10年程前に京都大学の実験で、自分にはなんの利益もないけど、相手が喜ぶことをしてやるという「利他行動」をチンパンジーが取ることを証明したんです。
でも実はさ、私が旭山動物園に勤務していた時代――40年ぐらい前かな――に利他行動をすることを実際に観察したことがあってね。
旭山動物園のチンパンジーで、妊娠中毒を起こしたメスがいたの。
―― 妊娠中毒症というのは、妊婦の高血圧やむくみによって、母体にも赤ちゃんの発育にも悪い影響を及ぼす病気ですよね。
小菅 そう。それでね、彼からは「どんなに餌を『しぼって』も子どもは成長するから、安心して低カロリー療法をやれ」と言われたんです。でもね、実際に始めてみたら、もうほんとうに大変で。一日3000カロリー以上の食事を与えていたものを900カロリーにまで落とすんだからさ、チンパンジーも腹が立つわけ、十分に食えないんだから。
そこで、担当の飼育係と「低カロリーでおなかいっぱいになるようにしよう」と考えたんだよ。例えば白菜を一日三玉も食べてもらったんだよ。でも、当たり前だけれども、おなかいっぱいにはなるけれども、「満足」はしない。
そうしたら当時の飼育係が偉くてねえ。さつまいもを5ミリ角に切って、チンパンジーが、おなかを空かせて寄って来たら、三粒ずつ渡したんです。チンパンジーはそれで満足してくれたんです。
「低カロリー療法」をやっていたときは、オスとメスのオリは別々にしていました。隣同士のオリではあるんだけれども、ちょっと隙間が空いている。目の前のオリにいるオスには、チーズやパンといった満足感のある食べ物をやっているわけ。
「低カロリー療法」を続けているある日、担当の飼育係が寝室に行ったら、オスが自分に与えられていたチーズをそのメスに渡しているところを見たんです。人差し指を中指に挟んで隙間から渡していたんです!それを見てしまった彼は、もうつらくなってね。
「俺にはもう耐えられない!低カロリー療法をやめる!」って私のところに夜中に飛んできたことがあるんです。私は「この先に出産があるんだぞ!」と彼を説得し、結局続けたんです。
このオスの行為は、まぎれもなく利他行動ですよね。他人を利する心。自身には直接的な見返りはないけれども、相手にはいい行動をしました、という。
―― 壮絶なお話ですが、まさに利他行動です。
小菅 なにかの学会でそれを発表したんです。そうしたら“アカデミア”の方々からは、「小菅さん、それは異常環境における異常行動です」と言われましてね。私は「異常であろうが何であろうが、この行動自体を否定すべきではない」と言いました。
―― おっしゃる通りです。
小菅 そうしたらそれから20年後か30年後。「チンパンジーに利他行動が見られました。大発見です」とある学会で発表されていました。「私が言ったことと同じことじゃねえか!」と思ったんだけど。まあ、学会とか学者とはそういうもんだな、と(笑)。
―― (笑)。今後の研究の行方を私たちも見守りたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
小菅 はい、どうも。

絶滅危惧種である「ミヤコカナヘビ」の繁殖風景
【写真提供:小菅正夫氏】

ヒグマと小菅氏
【写真提供:小菅正夫氏】