介護に直面したとき、男性ならではの価値観の中で苦しむことがあると語る津止正敏氏。それは個人の問題だけではなく、時代の価値観や社会の構造が色濃く影響しているという。
「ジェンダー規範」と「家族主義」で自縄自縛に
みんなの介護 中編では、男性介護者ならではの苦悩はなぜ生まれたのか、ということをもう少し深掘ってお聞きできればと思います。
津止 社会規範を最も深く内面化しているのは、その社会の主流派、支配層だと言われています。これまで仕事を通して社会との接点が多かった男性たちはまさにそうでした。
いまもこの社会に深く広く根を張った「ジェンダー規範」と「家族主義」。これが多くの男性たちの介護をより困難にしている要素だと思っています。他の誰でもない、自分自身がそう思い込んでいるからこそ厄介なのです。
例えば、男性介護者の苦労の種の一つは、「家族だから介護をして当然。そうでなければ、二流三流の劣等家族として烙印を押される」というような考えにあるように思います。これが家族主義です。
家族の大黒柱としての責任が自分にある。
一方で、家族主義の「家族がやって当然」と考えるときの“家族”は、決して自分ではない。妻や嫁や娘たちといった女性の役割だと思っています。要するにジェンダー規範ですね。
―― この2つが絶妙に絡み合っている。
津止 そうです。そうなると、どうしても世間の目というのは意識してしまいます。世間で「女性がやるべき」と考えられていることを男性の自分がやっている。
男性介護者は、介護を機に離職や貧困、孤立などを抱えるとともに、男性社会そのものから排除という危機に晒される。さらには常に自分自身の内なる男性性との葛藤という二重の困難を抱えることになります。
どうにもならなくなって駆け込んだときには介護離職など、ひどい状況になっているケースもたくさんありました。
―― 介護をする40~50代男性などは、職場で責任あるポジションを任されて長時間労働になっている方も多いですよね。
津止 男性は外で稼ぎ手として働き、女性が家で家事全般やケアを担う。それによって家族の生活が成り立つようなシステムやスタイルを戦後社会はつくりました。高度経済成長は、家族主義とジェンダー規範の最大化によって成されたといっても過言ではありません。
ですから、不得手な家事に戸惑う男性介護者に「家事をしてこなかったから自業自得」ということで済ませることはできないと思います。全体社会の在り方こそ問われなければなりません。
私たちの男性介護者の抱える課題の実践や研究には、時折「なんで女性じゃなくて男性の支援のことを言うんですか」との声も寄せられました。
そのような問いは、介護問題の現状分析にも近未来の介護の在り方を創造するうえでも決して意味あるものとは思えなかったからです。男性介護者の問題を焦点化することは、男性だけでなく、女性が担ってきた介護実態をも検証し直すことにつながります。
これまで女性たちが背負わされてきた介護問題に、男性が自分ごととして向き合っていく。解決のための考えを発信していく。それは即ち、ジェンダー平等の取り組みにもつながると思います。それこそ、現代に相応しい“男らしさ”の発揮のしどころではないでしょうか。
明治の「良妻賢母」によってケアは女性の役割とされた
―― 歴史をさかのぼって、介護が女性の役割とされたのはいつ頃からでしょうか?
津止 明治になって「良妻賢母」「富国強兵」という新しい国策が生まれました。後述するように江戸時代は徹底した女性蔑視の社会でしたが、明治の国策「良妻賢母」は、良き妻・賢き母として女性の社会参加の道を開きました。そして、家族のケアが女性の専業とされていったのです。いわゆる、ジェンダー規範の誕生です。
良妻賢母というと、今でこそカビの生えたような古臭い考えとして扱われています。しかし、江戸から明治への移行という視点で見れば、ものすごく革新的で進歩的な思想でした。
そして、教育環境の整備にも貢献しました。良妻賢母をスプリングボードにして、その制約をも突き抜けようとする果敢な女性が政治・経済・教育・文学・芸能など、各界・各分野に生まれました。
介護が女性の専業となったのは明治以降ということ。少なくとも江戸時代には育児や介護という家族のケアを引き受けるうえでの全責任は家長たる男性にあったことを歴史家の研究は教えています。人類発祥の時から当たり前のようにあった自然的営為ではない、ということは伝えておきたいと思います。

いつから「男性介護者」と呼ばれるようになったのか
―― その明治からの意識を引きずって今まで来ているということですね。具体的に「男性介護者」という言葉が出てきたのはいつ頃からでしょうか?
津止 日本で初めて介護の実態調査を行ったのが、1968年の「居宅ねたきり老人実態調査」です。これは、厚生省が所管する全国社会福祉協議会と全国民生児童委員協議会という福祉団体が一緒になって行った調査でした。
高度経済成長の盛りにあって、第1次産業から産業構造は移行し、自営業から被雇用者(サラリーマン)へと働き方が変わりました。大家族から核家族へという家族の変化もありました。その過程で、ケアを担うということが家族の中に封印できなくなり、家族の殻を破って外部課題へと噴出していったのです。
当時は介護者の性別がクローズアップされることはほとんどありませんでした。
その後、1980年に「呆け老人をかかえる家族の会」(現・認知症の人と家族の会、本部京都市)が発足します。当時、会の代表だった髙見国生さんが次のように言っています。
これは興味深いコメントだと思います。
―― それはなぜでしょうか?
津止 介護を描いた小説に、有吉佐和子さんの『恍惚の人』があります。そこに、認知症になった舅を介護する嫁の嘆きがあります。「あなた、たまには自分もやったらどうなの。自分の親でしょう」と。
髙見さんのコメントは、それに対する男性側の返答のように感じたからです。『恍惚の人』の出版から10年後のことでした。
介護と家事を両立させるためにワークライフバランスの整備を
―― 徐々に”男性介護者”があらわれ、意識が変わってきたのですね。
津止 現代は、家事を自分事として担う男性たちも増えてきて、買い物なんかも当たり前にやっています。もっと時代が進むと、男女の家事分担に関してもより均等に変わっていくに違いありません。
それでも、男性たちの考え方以前に、家事の分担が困難になる労働環境はいまだに残っていると思います。
男性は、職場では基幹的労働者であることを求められ、家に帰れば良き夫であり良き父親、良き息子であることを求められる。そしてその期待にしっかり応えようとすればするほどに、どこにも逃げ場がなくてつらいのです。「男もつらいよ」といわれるゆえんです。男性のワークライフバランスを徹底的に実現していく課題が残っています。
―― 出産や育児がある女性と比べて、男性のワークライフバランスは目を向けられることが少ないですね。
津止 「男女がともに手を携えて家族のケアを担う。あるいは社会の労働を担っていく」。それを実現するためには、「ケアレスマン・モデル」(ケアをしない人たちをモデルに社会がつくられていること))と言われるような今の男性たちの働き方そのものが変わらなければいけません。家族のケアを引き受けても可能な働き方が標準になるようなことを想定していくことが必要です。
実際、年間の労働時間が2,000時間を超えるのは先進国の中でも日本ぐらいです。ヨーロッパの主要国はほとんどが1,500時間~1,600時間です。日本的雇用労働慣行の根深い構造的問題に、この国のジェンダー規範は確実に影響していると思います。
―― この長時間労働そのものに、まだ課題が残る。
津止 そのことについて本格的に取り組まないと、介護におけるジェンダー平等の道は険しいと思います。これまで女性たちは、無報酬で無制限、無限定に家族介護をして当たり前だと思われてきました。そして、家庭生活と仕事の両立が困難を極めるいうことは、女性たちの結婚退職・出産退職が今なお継続しているように、自明の理になりました。
家族のケアを担いながら、地域の取り組みや親族ネットワークに関することもすべて請け負いながらの長時間労働を想定すれば、当然です。
1985年の雇用機会均等法は「男性の働き方」をすべての労働者に求めたことでうまく機能しませんでした。女性はもちろんですが、標準の男性型労働を望まないワークライフバランス志向の男性だって増えています。
男性の介護にも、女性の労働課題と同様のことが言えるでしょう。女性が取り組んできた介護のシステムとスタイルを、なぞるだけでは無理があります。家族を無報酬・無制限・無限定な介護資源としてあてにするかのような在宅介護のあり方は、徹底して正していくべきです。
撮影:岩波純一