2023年3月に公開された映画「ロストケア」が特に介護業界を中心に注目を集めている。「ロストケア」は、ベテラン介護士(松山ケンイチさん)と、社会正義を貫く検事(長澤まさみさん)が対峙する社会派エンターテインメントだ。
※記事中には、一部ネタバレを含むためご注意ください。
映画「ロストケア」
みんなの介護 映画「ロストケア」が、老人ホーム検索サイト「みんなの介護」を利用されている一般の方や、施設で働かれているエッセンシャルワーカーの皆さんから注目を集めています。私たちも映画を見て改めて考えさせられました。
前田 ありがとうございます。2013年に葉真中顕さんが執筆された小説「ロスト・ケア」を読んですぐ、「日本の未来のためにも映画化したい!」と使命感に駆られて企画したものなんです。テーマが辛辣ということでなかなか企画が通せなかったのですが、日活の有重プロデューサーの尽力もあって、10年の月日を経て公開に至りました。
映画「ロストケア」とは?
介護士でありながら、42人を殺めた殺人犯・斯波宗典に松山ケンイチ。その彼を裁こうとする検事・大友秀美に長澤まさみ。社会に絶望し、自らの信念に従って犯行を重ねる斯波と、法の名のもとに斯波を追い詰める大友の、互いの正義をかけた緊迫のバトルが繰り広げられる。

―― 何がそこまで監督を駆り立てたのでしょうか?
前田 近年、「介護殺人」「介護心中」などの痛ましいニュースが次々に報道されています。原作にある「社会の穴」という表現がまさに的を得ていると感じたのですが、例えば重度の認知症の親を、面倒を看きれなくなった子どもが殺めたといった“事件”の背景を読み解いていくと、他人事ではないことがよくわかります。親子の愛と絆とは?人の尊厳とは何か?社会全体の責任として、「介護の問題」を世に問う必要があると、ずっと考えてきました。
―― 確かに、私たちの元にも介護を背負いきれなくて限界だという声が毎日のように寄せられています。
前田 そうして声を上げて誰かに助けを求められる方は、まだ良いんです。実際に取材をすると、まだまだ日本は親の面倒は子どもが看るもの、家族の話は家族の中で決着をつけるもの、といった観念に縛られて社会から孤立していく方が本当に多いですよね。
―― 作中でも、松山ケンイチさん扮する介護士の斯波が介護に追い詰められる中、生活保護の申請に行った時「あなたは働けるでしょ?」と突き放すように断られるシーンがありました。

前田 ええ、「社会の穴」に落ちてしまった人たちの現実を伝えたかったんです。ただ、行政や政治を悪者にしても状況が改善される訳ではありません。そうした社会を作った私たち自身の責任として考える必要があると思っています。
―― 映画「ロストケア」がそのきっかけになれば、ということでしょうか?
前田 はい。その意味では“未来に向けた映画”なんです。大きな声をあげ続けることも必要ですが、社会を変革していくには、映画などエンターテインメントの力を使って、多くの人たちに小さな声をあげてもらうことも必要だと考えています。
実は、主演の松山ケンイチさんには企画の初期段階からキャスティングして、制作にあたって議論を重ねて来たんですが、松山さんも家庭を持たれて考えが変化されたと思います。超高齢社会の日本を少しでも良い形で次の世代に託すにはどうしたら良いか?そんな問題意識はキャスト含めてスタッフ全員が共有して制作しました。
前田監督と介護
―― においまで伝わってくるような描写のリアリティに驚かされたのですが、前田監督自身も介護を経験されたのでしょうか?
前田 叔母の介護に関わっていました。家族もいない身寄りのなかった叔母が認知症になり、従兄弟から連絡を受けて、叔母の家を訪ねたら、「ゴミ屋敷」のような状況で…。預金通帳がどこにあるかもわからないので探したり、後見人の選定から老人ホーム選びまで、初めてのことばかりで戸惑いつつも、私がいる東京と叔母がいる大阪を何往復もして、煩雑な手続きを進めました。
その時の経験は、脚本に生きていると思います。映画の中では結果的には、ケアマネージャーさんのことなど実務的なことはオミットしていますが、脚本の段階では手続きのことなども入れた脚本も作りました。ドラマとして何を選択するのかは試行錯誤した結果、今の映画の形となっています。
―― 叔母さまの介護のあと、ご両親の介護も経験されたそうですね。
前田 そうなんです。叔母に続いて、父が認知症を発症しました。幸い軽度で、今も元気にしているのですが、肺炎などを併発して命に関わったこともありました。
父の病状が落ち着くと老老介護になって、今度は母が倒れて入院することになり、ショートステイに父を入れました。事務手続きの面は、叔母の件があって慌てることなく対応できたのですが、家族だからこその難しさや、やるせなさなどを両親の介護を通じて痛感させられました。

―― ご自身のエピソードも作品に反映されたのでしょうか?
前田 実は、藤田弓子さん扮する大友検事の母親の大腿骨骨折は、私の母とのエピソードを投影しています。
何より大切したのは、そうした事実や経験に裏打ちされた生活実感なんです。例えば、松山ケンイチさん扮する介護士の斯波は、柄本明さん扮する父親の介護をする中、仕事も失い、生活も困窮していきます。
認知症の方の介護というと、忘れても大丈夫なようにラベルを張ったり、ケガをしないようにクッションを様々なところに張り付けたりすることが多いのですが、映画の中ではくたびれた雑巾が机の角にガムテープで貼り付けてあります。

他にも、在宅介護のシーンが幾つかあるのですが、全部セットではなくロケで撮影しています。実際に登場人物がそこで暮らしているとしたらどういう家具の配置になるか?生活導線はどうなるか、人物の生活のリアリティを大切にして美術装飾を作り込んでもらっています。こうしたディテールから、介護について改めて思いを馳せてもらいたいですね。
取材で衝撃を受けた 介護職の方の言葉
―― 作中には様々な介護施設の現場も登場しますが、施設サイドについてはどんな思いで描かれたのでしょうか?

前田 制作で何より大事にしたのは実際に介護現場で働かれている方の肉声です。コロナ禍においても介護ワーカーの皆さんがエッセンシャルワーカーとして社会的にも大切だと言われながらも、なかなか一般の人には介護職の苦労は理解されていませんし、給与などの待遇も改善されていません。介護職の方たちの声なき声を、映画を通して伝えることになればいいなとは思っていました。
―― 取材中に出会った介護職の方の言葉で印象的なものがあれば教えてください。
前田 それは、「介護の仕事を首相が1日でも1週間でも経験したら日本は変わる」という言葉ですね。特に、「長」と名のつく地位や立場のある人たちが経験してもらえば、政策なども変わるのではないかという言葉は重く響きました。

介護は、見ると聞くとは大違いのように、見ても聞いてもわからない、経験してみて初めてその現実を身体で理解できることだと思います。

―― 介護職の「なり手不足」も叫ばれますが、仕事を無理なく続けられるような環境づくりも大切ですよね。
前田 制作を通じて痛感しましたが、介護現場の方が少しでも働きやすい状況にできるようになって欲しいですね。そのためには、介護職の方が「この労働環境ではきつい」などと声をあげてもらうことも必要だと思います。非常に難しいことだと想像できますが、勇気を持って、当事者である現場の方々に少しずつでも小さな声でも上げて欲しいと思っています。小さな声が集まって大きな声になっていくことが、社会の変革につながると信じています。メディアはその声を拡散していく使命があると感じています。
エンターテインメントだからこそ、伝えられることがある
―― 改めて伺いたいのですが、映画を”エンターテインメント”の観点から捉えたとき、監督が最も大事にされているのは、どんなことでしょうか?
前田 例えば「ブタがいた教室」は新米教師が、小学6年生の26人の生徒たちと、卒業までの1年間“食べる約束”で子ブタを飼うという現実にあったエピソードを映画化したものです。
―― 「命」について考えさせる、正解の無い話という点では「ロストケア」とも共通点がありますね。
前田 「ブタがいた教室」はディベートを主体とする作品なのですが、「ロストケア」では、対話の対決を観客にいかに飽きずに見てもらうかという観点から、まるで俳優同士がバトルするようなセリフ回し・カメラワークにこだわって制作しています。

松山ケンイチさんと長澤まさみさんの“演技バトル”でいかに観客の皆さんを惹きつけることができるか、挑戦でした。

やっぱり、映画は生き物です。
―― 改めて「みんなの介護」の読者である、介護当事者の皆さんに伝えたいことがあれば、教えてください。
前田 介護を受けている本人たちが思っていても言葉にできないことは多々あると思うのです。一番そばにいて面倒を診てくださっている介護に関わる方達には、思ったことをどしどし言葉にして声をあげていってもらいたいです。家族や経営者たち、周りの人たちがそれをしっかりと聞く、そして、政治や地域の共同体で受け止めて、手を差し伸べる。理想にゆっくりだけども少しづつでも近づいていくような…そんな社会になって欲しいですよね。
少しでも幸せになる人々を増やせるよう、映画というメディアの力を通してこれからも貢献していきたいですね。
作品情報
『ロストケア』
出演:松山ケンイチ 長澤まさみ
鈴鹿央士 坂井真紀 戸田菜穂 峯村リエ 加藤菜津 やす(ずん) 岩谷健司 井上 肇
綾戸智恵 梶原 善 藤田弓子/柄本 明
原作:葉真中顕「ロスト・ケア」(光文社文庫刊)
監督:前田 哲 脚本:龍居由佳里 前田 哲
主題歌:森山直太朗「さもありなん」(ユニバーサル ミュージック)
音楽:原 摩利彦
制作プロダクション:日活 ドラゴンフライ
配給:東京テアトル 日活 ©2023「ロストケア」製作委員会
公式サイト:lost-care.com
※前田監督作品は絶賛公開中の映画『ロストケア』のほか、6月9日より映画『水は海に向かって流れる』、23日より『大名倒産』が全国ロードショー予定