ニューヨークと東京をベースに活動する映像作家 / アーティスト / 翻訳家の空 音央(Neo Sora)。これまでに短編映画、ドキュメンタリー、PV、アート作品、コンサートフィルムなどを監督し、個人での活動と並行してアーティストグループ “Zakkubalan” で、写真と映画を交差するインスタレーションやビデオアート作品を制作。
シネコンに忍び込む学生時代、映画愛が生まれたきっかけ
ー映画監督を目指したきっかけやこれまでのキャリア、ルーツについて教えてください。名指しできる瞬間みたいなものは特にないんですけど、幼少期の頃からずっと映画は観ていたし、親にも観させられるし、友達と遊ぶ時も映画を観に行ってました。高校の頃は友達と動画作りみたいなことを遊びでやったりとか、学校から帰る途中にシネコンがあるんですけど、毎日のように忍び込む方法を見つけて忍び込んだりとかしてました。趣味が結構多くて、絵を描くのも好きだし、音楽ちょっとかじってみたりとか、写真もちょっとやってみたりとかしてたけど、どれもそんなに上手くないんですよ(笑)。大学に行って、ちょっと興味のあった映画の授業を始めてみたら、結構今までやってきたことが一気にできるような感じがしたので、本気でやってみようって。



実体験や日本の過去と将来への危機感から生まれた今作への想い
ー今回初の長編映画デビュー作ということで、今作を製作するにあたった経緯や想いについて教えてください。いろんな短編とか作ってますけど、それ以前から構想を持ち始めていました。経緯はいくつかありますが、2016年くらいに構想を持ち始めて、2017年くらいから書き始めました。それまでに蓄積されてきた自分の高校や大学の経験が割と元にあって、それに加えて2011年の東日本大震災の時に自分にも“政治性”が芽生え始めたんですよね。そこからいろんな社会問題を追うようになって、自分のなかの政治性がどんどん発展していったと思います。1923年の関東大震災をきっかけに起こった朝鮮人虐殺を知った時に、“こんなことが日本で起きたんだ”っていう驚きとショックがありました。なんでこんなことが起こってしまったんだろうって調べていくと、当時日本の帝国主義、植民地主義、日本の人たちに蓄積されていた差別みたいなものが、地震とデマによって噴出してしまったことが要因だと思うんです。それに似たようなことが2010年以降、日本でヘイトスピーチのデモが激化して、その後ヘイトスピーチ解消法が施行されて落ち着いてきて。しかし、その差別が消えることはなく、どこかに潜んでいる。近い将来、大地震が起きると言われているじゃないですか。
ー今回、7年かけて制作されたということで、新しく試してみたり既存作と変えた点などは何かありますか?映画作りの面でいうと、時間の使い方を大事にしました。過去に出した短編の一つは3日で撮影してたんですけど、タイトなスケジュールのなかでスタッフやキャストの心の余裕がなくなってしまったり、一緒に制作したコラボレーターとコミュニケーションをとる時間があまりなかったので、今作では意識的に学びを取り入れ、時間に余裕を持って制作しました。

多様なバックグラウンドを持ったキャストとの奇跡的な出会い
ー今作には多様なバックグラウンドを持った登場人物がいますが、キャスティングはどのように行っていきましたか?多様なバックグラウンドを持った人が登場するのも、大事な要素の一つで、近い将来、日本はもっともっと多様化していくっていう確信があってそれを特出せずに“当たり前かのように写す”っていうのは一つやりたいなと思いました。結構時間がかかったんですが、キャスティングは入念に行いました。一番大事にしていたのは直感で、入ってきた時に“この人しかいない!”って思わせるくらいの完璧な人に出会うまで決めないっていうのを、特にメインの5人に関しては徹底しました。直感的に「この人だ」と思った人たちが一番演技もちゃんとできるし、話し合ってみるとキャラクターの要素といろいろマッチするところがあって、やっぱり自分の直感を大事にしてよかったと思いました。でもその人を見つけるまでは本当に大変で、オーディションしまくってました。ー出演者の“その人らしさ”がそのまま出ているような演技でした。演技未経験の子が多かったので、最初から“想像上の設定の中でいかに自分らしく振る舞うか”っていうのを演技の方針として共有して、ワークショップをやったりしていました。なので本当に“彼ら自身が映っている”という感じです。ー登場人物の絶妙な感情の変化が演技や表情に表現されていましたが、どうやってキャストに共有したのでしょうか?演出の仕方は、与えられた状況のなかで“自分らしく生きて振る舞ってほしい”っていうのを徹していたので、そういうことが引き出せるように脚本を書くことを大事にしていました。
ー今作のタイトル『HAPPYEND』はどこから着想を得たのでしょうか?そんなに深く考えたわけではないです。元々『Earthquake(地震)』っていうタイトルで、ちょうど編集を終わらせようとしている時に、能登半島地震があったんです。元のタイトルも仮で、映画のなかに地震がメタファーとして入っているのでそういうタイトルにしてたんですけど、地震がもたらすトラウマと真摯に向き合っているような映画ではないから、そういうタイトルにしていいのか悩んでいました。いろいろ考えていくうちに、この映画のラストに感じる感情のことを考え、「ハッピー」と「エンド」っていう本当にシンプルな単語から構成されるフレーズだけど、2つの言葉が対義的なフィーリングを持っていて。

ーすごく都会を感じる作品ですが、例えば田舎の学生がみたらどう感じると思いますか?正直分からないです。遠くから見てると日本の印象がいろいろあります。若者の間で、政治的無関心な人が多い印象もあるけど、実際現実を見るとその印象とか、持っていた既成概念を乗り越えてくる現実が必ずたくさんある。平均律的な印象に当てはまる人って実はたくさんいないんじゃないかな。田舎はそんなに多様ではないんだろうな、とか想像するけど、実際は場所によって意外といるんじゃない?って思ったりします。ロケハンで北九州など地方に行ったりした時、普通に学校の帰り道の高校生グループにブラックルーツの子がいたりしたし、僕たちが想像しているほど単一的じゃないんじゃないかな、と思うんですよね。なので分からないというのが正直なところだし、場所によってだいぶ違うと思います。ー最後に今作の公開に向けてみどころやコメントをお願いします。無意味なルールがたくさんあるなかで、この映画のメインの5人はルールだからって自動的に享受せず「無意味なルールは、くだらないんだから従わなくていい。むしろ壊しちゃった方がいい」っていう風に意識的・無意識的に生きている。それは実はすごく大事なことで、社会は“無意味なルール”で溢れている。法律面でも、合法だからといって自動的にそれが良いことや道徳的なことだとは限らない。

監督が伝える私たちへのメッセージ
空 音央(Neo Sora)が描く最新作『HAPPYEND』は、今を生きる私たちに過去や今の概念にとらわれない大切さをナチュラルに提示してくれている。「社会は“無意味なルール”で溢れていて、それが良いことだとは限らない。状況によっては、ルールを逸脱してまで何かをやることの方が大事な局面だって必ず訪れると思う」とコメントでくれたように悪いことはもちろんダメだが、ルールが全てではない。自分の考えをきちんと持って“無意味なルール”は精査すること。今作が私たちの生き方を改めて考えていくきっかけとなるだろう。映画『HAPPYEND』
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2024/10/4より全国公開監督・脚本:空 音央キャスト:栗原颯人 日高由起刀 林裕太 シナ・ペン ARAZI 祷キララ 中島歩 矢作マサル PUSHIM 渡辺真起子/佐野史郎撮影:ビル・キルスタイン美術:安宅紀史音楽:リア・オユヤン・ルスリサウンドスーパーバイザー:野村みきプロデューサー:アルバート・トーレン、増渕愛子、エリック・ニアリ、アレックス・ロー アンソニー・チェン製作・制作: ZAKKUBALAN、シネリック・クリエイティブ、Cinema Inutile配給:ビターズ・エンド日本・アメリカ/2024/カラー/DCP/113分/5.1ch/1.85:1 【PG12】© 2024 Music Research Club LLC

空 音央
米国生まれ、日米育ち。ニューヨークと東京をベースに映像作家、アーティスト、そして翻訳家として活動している。これまでに短編映画、ドキュメンタリー、PV、アート作品、コンサートフィルムなどを監督。2017年には東京フィルメックス主催の Talents Tokyo 2017 に映画監督として参加。個人での活動と並行してアーティストグループ Zakkubalan の一人として、写真と映画を交差するインスタレーションやビデオアート作品を制作。2017年にワタリウム美術館で作品を展示、同年夏には石巻市で開催されている Reborn-Art Festival で短編映画とインスタレーションを制作。2020年、志賀直哉の短編小説をベースにした監督短編作品「The Chicken」がロカルノ国際映画祭で世界初上映したのち、ニューヨーク映画祭など、名だたる映画祭で上映される。業界紙Varietyやフランスの映画批評誌 Cahiers du Cinémaなどにピックアップされ、Filmmaker Magazineでは新進気鋭の映画人が選ばれる 25 New Faces of Independent Film の一人に選出された。今年公開された坂本龍一のコンサートドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』では、ピアノ演奏のみのシンプルかつストイックな演出ながらヴェネツィア国際映画祭でのワールドプレミア以降、山形、釜山、ニューヨーク、ロンドン、東京と世界中の映画祭で上映、絶賛された。本作が満を持しての長編劇映画デビュー作となる。