沖縄の守り神、シーサー。実は今SNSで、シーサーにまつわる”ある儀式”が話題になっているのをご存じですか?なんと、買ってきてそのまま置いておくだけでは、シーサーは”寝ている”状態。
【沖縄ケンミンなら知っている】沖縄ステーキハウスに行くと必ず出てくる「あの白いスープ」を作ってみた!
「知らなかった!」の声続出!【3.4万いいね】シーサー覚醒の方法とは?
画像出典:photoAC
「シーサー覚醒の方法」を紹介しているポストはこちら。
シーサーは覚醒させな意味ないらしい。
ワイんちのシーサー、ずっと爆睡しとったみたいや( ˙꒳˙ ) pic.twitter.com/MWZYCzAXHB— 不謹シス党 (@I_vs_EYE) February 19, 2023
ポストには「えっ、まじ!?」「ぜっっんぜん知らなかった」「わが家のシーサーも十数年眠り続けてる」「うちのシーサーも爆睡したままか…」「シーサー早く覚醒させないと…」といったコメントが寄せられ、みなさん、驚きを隠せないご様子。
ちなみに、ポストで紹介してるこの張り紙は、投稿者の方が石垣島で立ち寄った土産物店に張ってあったらしいです。
張り紙の下の方にも書いてありますが、このシーサー覚醒方法は、比嘉淳子著『沖縄暮らしのしきたり読本 御願・行事編』(双葉社)という本で紹介しているみたいです。
それによると、覚醒の手順は以下の通り。
【シーサー覚醒の方法】
1. シーサーに塩を振りかけ、清める
2. 水をジャブジャブかけて洗い流す
3. シーサーの口に酒を注ぐ。
4. 大きく息を吸い込み、勢いよくシーサーに息を吹きかける
5. シーサーのそばで大きく柏手を打つ
これで、シーサーが目覚めるそうです。
塩で清め、水で洗い、酒を注ぎ、息を吹きかけ、柏手を打つ…。神仏に行う儀式を、総動員した感じですね。
その中でも変わっているのが、自分の息をシーサーに吹きかけること。
シーサー覚醒の儀式は、以上。けれど、いろいろ調べてみると、儀式はもちろん、”シーサーを目覚めさせる”という考え方そのものも、実は、沖縄では一般的なものではないよう。
シーサー覚醒の方法を掲載している『沖縄暮らしのしきたり読本』の著者、比嘉さんによると、50年以上前は当たり前に行われていたとのこと。けれど、今では沖縄の人のほとんどが知らず、儀式を知る人はかなり高齢の方だそうです。ちなみに、比嘉さんは那覇出身の昭和40年代生まれ。
50年くらい前まで当たり前に行われていたら、けっこう知っている人は多いような気もしますが…。どうなんでしょう?
また、調べていたら、シーサー工場で働いている方の「一連の所作は工場出荷時に行っているので、家でやらなくてもOK」とのコメントにも出会いました。ただ、このシーサー工場で代々受け継がれてやっていることなのか、比嘉さんの著書を見て、やり始めたのかはわかりません…。
沖縄では、魔除けに関する風習は、地域や各家族単位でもいろいろある様子。なので、ごく一部の地域で行われていた風習かもしれませんね。
"シーサーを目覚めさせる"というのは、キャッチーで、興味をくすぐるので、SNSで一気に広まったんだろうなと思います。
では最後に、沖縄独自のシーサー文化について少し触れておきますね。…少しと言いつつ、長くなりそうですが(笑)。
沖縄のシーサー豆知識♪
画像出典:photoAC
シーサーは、古代オリエント(紀元前3000年頃から紀元前300年頃)で、王の権力や聖なるものの象徴、また、魔除けとされていた「獅子(ライオン)像」がシルクロードから中国へ伝わり、琉球王国時代(14世紀ごろ)、中国から沖縄に伝わったそうです。
神社で見かける本土の狛犬も起源は同じですが、そちらは朝鮮半島経由で伝わったそう。狛犬とシーサーは起源が同じものの、伝来ルートがちょっと違うんですね。
そして、琉球王国に伝来した当初は魔除けではなく、”権威の象徴”として、王朝の陵墓や寺院、城郭に設置されていたとか。「宮獅子」と呼ぶそうです。
今では、現存する数が少ないそうですが、そのひとつが、琉球国王の一族が眠る陵墓「玉陵(たまうどぅん)」(1501年創建)の宮獅子です。
「玉陵」 画像出典:オリオンビール公式HP
「玉陵」には三体の宮獅子が置かれていて、そのうちの一体がこちら。
「玉陵」の宮獅子 画像出典:オリオンビール公式HP
子どもの獅子をかわいがっている宮獅子だそうです。
「玉陵」の宮獅子 画像出典:オリオンビール公式HP
四つ足ではなく、立ち上がった姿なのは、珍しいそうですよ。
土産物店で見かけるシーサーとは、雰囲気が違いますよね。
そして、時代が少し下り、17世紀ごろからは、村や集落を守るため、魔除けや火除けとして、村の入口や見晴らしのいい高台などに置かれるように。それを「村獅子」と呼ぶそうです。
記録に残る、最古にして最大の村獅子がこちら。
画像出典:photoAC
沖縄本島南部の八重瀬町富盛(ともり)にある、「富盛の石彫大獅子」。
高さ141.2cm、全長175.8cm。1689年に置かれたそうです。ちなみに本土は第5代将軍、徳川綱吉の時代。
この村獅子について、18世紀に編纂された琉球王国の歴史書『球陽』には、「その昔、火事が多かった富盛村が風水師に相談したところ、ヒーザン(火山)である八重瀬嶽(岳)に向かって獅子を立てよと助言され、石獅子置いたところ、火事はおさまった」という記述が残っているそうです。
それにしても、この村獅子は、福福しいお顔ですね。こちらは猫ではなく犬っぽい…かな(笑)。
画像出典:photoAC
そして、この村獅子の体には、無数の小さな穴が開いているんです。
画像出典:photoAC
この穴は、弾痕。
画像出典:photoAC
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、このあたりは沖縄地上戦の最前線だったそうです。
無数の銃弾を浴びながらも戦火を堪え抜き、毅然と建つこのシーサーから、地元の人たちは復興への勇気をもらったとか。
そして、権威の象徴から村の守り神になったことで、庶民の間でもシーサー信仰が広がり、琉球王国が解体されて沖縄県となった明治時代からは、一般家庭にも置かれるように。
そんな家を守ってくれるシーサーを、「家獅子」と呼ぶんですって。
画像出典:photoAC
家獅子が一気に庶民の間で広まったのは、沖縄文化の特徴でもある「赤瓦」が関係しているそうです。
琉球王国時代、高貴な身分の人にしか使用が認められてなかった赤瓦ですが、琉球王国の解体によって、庶民にも使用が許可されるように。そして、瓦葺き職人が、屋根を葺いた後の余った赤瓦と漆喰でシーサーを作って屋根の上に置いたことで、赤瓦の普及とともに、家獅子が一気に広がっていったそう。
家獅子は、赤瓦と漆喰で作ったものを屋根に置くだけでなく、沖縄の焼き物「やちむん」でも作り、門柱や屋敷内にも置くようになったのだとか。
画像出典:photoAC
シーサー覚醒の方法を掲載している『沖縄暮らしのしきたり読本』の著者、比嘉さんによると、赤瓦の家が多かった50年以上前は、新築工事や屋根の修理でシーサーを設置する際、大工さんや漆喰職人の棟梁が、その家の当主に「覚醒の儀式」を行うよう指示していたとか。それが1972年の沖縄の本土復帰以降、赤瓦の家屋からコンクリート家屋に変わる中で、この儀式も見られなくなっていったそうです。
本土で新築工事の際「地鎮祭」や「上棟式」をやるように、新しい家の屋根に置くシーサーに「家に災いが起こらないように」と、お願いする儀式をするようになったとしても、おかしくはないですよね。
ただ、王朝の陵墓や城郭に置かれた宮獅子にも「覚醒の儀式」が行われていたとしたら、なにかしら文献に記述されているかなと思いますが…。今のところ(わたしの調べた範囲では)、そういった文献はないようなので、家獅子が民間に広がった明治以降、一部の地域で行われていた儀式と考えるのが、自然なのかなと思います。あくまでわたしの見解ですが。
このように、石を彫った宮獅子や村獅子から、赤瓦や漆喰、焼き物で作る家獅子となり、さらに、沖縄の観光地化が進んだことで、威嚇するような怖い顔ではなく、愛嬌のあるキャラクター的シーサーも生まれました。
画像出典:photoAC
泡盛を楽しそうに飲むシーサーがいたり、沖縄の海の色と同じ青色のシーサーがいたり、
画像出典:photoAC
石垣島には、見渡す限りシーサーだらけの人気映えスポット「米子焼工房シーサー農園」があったり、
石垣島「米子焼工房シーサー農園」
画像出典:photoAC
宮古島の「カママ嶺公園」には、巨大シーサーすべり台があったりと、シーサーのスタイルも様々!沖縄の人たちに、どれほどシーサーが愛されているのか、わかりますよね。
宮古島「カママ嶺公園」のシーサーすべり台
画像出典:photoAC
ちなみにシーサーは、形にも色にも、ルールはないそうです。
ということで今回は、SNSで話題になっている、シーサーを目覚めさせる「覚醒の儀式」を紹介しました。…と言いつつ、シーサーの豆知識の方が、ボリュームある感じでしたけど。すみません(笑)。
わたし個人的な意見としては、シーサーは形にも色にもルールがないということなので、「覚醒の儀式」をやる・やらないも自由かなと思います。とあるシーサー職人さんは、「水をジャブジャブかけて洗い流す」のは、作品によっては完全にアウトなケースがあるのでご注意を!とおっしゃっていました。確かに!(笑)
<参考文献>
WEB
『壺屋焼窯元 育陶園~シーサーについて~』
https://shop.ikutouen.com/?mode=f5
『nippon.com~沖縄の家の守り神「シーサー」:その正体や役割、歴史をひもとく~』
https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900208/
『Jタウンネット~シーサーには「覚醒の儀式」が必要? 衝撃の事実にネット驚愕、沖縄県職員も「聞いたことない」→風習が消えてしまった理由とは~』
https://j-town.net/2023/03/16344141.html?p=all
『おきなわ物語~富盛の石彫大獅子(県指定有形民俗文化財)~』
https://www.okinawastory.jp/spot/30000023
『オリオンビール公式サイト~「玉陵」首里城周辺のおさんぽ前編【世界遺産めぐり】~』
https://www.orionbeer.co.jp/story/syuri-walking-1/
魔除けとして真の力を発揮してもらうには、目を覚まさせる「覚醒の儀式」をしなければいけないんですって。一体、覚醒の儀式とは、どのようなものなのでしょう?ちなみに、4月3日は「シーサーの日」だそうですよ♪
【沖縄ケンミンなら知っている】沖縄ステーキハウスに行くと必ず出てくる「あの白いスープ」を作ってみた!
「知らなかった!」の声続出!【3.4万いいね】シーサー覚醒の方法とは?

シーサー
画像出典:photoAC
「シーサー覚醒の方法」を紹介しているポストはこちら。
シーサーは覚醒させな意味ないらしい。
ワイんちのシーサー、ずっと爆睡しとったみたいや( ˙꒳˙ ) pic.twitter.com/MWZYCzAXHB— 不謹シス党 (@I_vs_EYE) February 19, 2023
ポストには「えっ、まじ!?」「ぜっっんぜん知らなかった」「わが家のシーサーも十数年眠り続けてる」「うちのシーサーも爆睡したままか…」「シーサー早く覚醒させないと…」といったコメントが寄せられ、みなさん、驚きを隠せないご様子。
ちなみに、ポストで紹介してるこの張り紙は、投稿者の方が石垣島で立ち寄った土産物店に張ってあったらしいです。
張り紙の下の方にも書いてありますが、このシーサー覚醒方法は、比嘉淳子著『沖縄暮らしのしきたり読本 御願・行事編』(双葉社)という本で紹介しているみたいです。
それによると、覚醒の手順は以下の通り。
【シーサー覚醒の方法】
1. シーサーに塩を振りかけ、清める
2. 水をジャブジャブかけて洗い流す
3. シーサーの口に酒を注ぐ。
4. 大きく息を吸い込み、勢いよくシーサーに息を吹きかける
5. シーサーのそばで大きく柏手を打つ
これで、シーサーが目覚めるそうです。
塩で清め、水で洗い、酒を注ぎ、息を吹きかけ、柏手を打つ…。神仏に行う儀式を、総動員した感じですね。
その中でも変わっているのが、自分の息をシーサーに吹きかけること。
守り神的存在に、わたしの世俗にまみれた息を吹きかけるなんて、すごく申し訳ない気がします(笑)。
シーサー覚醒の儀式は、以上。けれど、いろいろ調べてみると、儀式はもちろん、”シーサーを目覚めさせる”という考え方そのものも、実は、沖縄では一般的なものではないよう。
シーサー覚醒の方法を掲載している『沖縄暮らしのしきたり読本』の著者、比嘉さんによると、50年以上前は当たり前に行われていたとのこと。けれど、今では沖縄の人のほとんどが知らず、儀式を知る人はかなり高齢の方だそうです。ちなみに、比嘉さんは那覇出身の昭和40年代生まれ。
50年くらい前まで当たり前に行われていたら、けっこう知っている人は多いような気もしますが…。どうなんでしょう?
また、調べていたら、シーサー工場で働いている方の「一連の所作は工場出荷時に行っているので、家でやらなくてもOK」とのコメントにも出会いました。ただ、このシーサー工場で代々受け継がれてやっていることなのか、比嘉さんの著書を見て、やり始めたのかはわかりません…。
沖縄では、魔除けに関する風習は、地域や各家族単位でもいろいろある様子。なので、ごく一部の地域で行われていた風習かもしれませんね。
"シーサーを目覚めさせる"というのは、キャッチーで、興味をくすぐるので、SNSで一気に広まったんだろうなと思います。
では最後に、沖縄独自のシーサー文化について少し触れておきますね。…少しと言いつつ、長くなりそうですが(笑)。
沖縄のシーサー豆知識♪

シーサー
画像出典:photoAC
シーサーは、古代オリエント(紀元前3000年頃から紀元前300年頃)で、王の権力や聖なるものの象徴、また、魔除けとされていた「獅子(ライオン)像」がシルクロードから中国へ伝わり、琉球王国時代(14世紀ごろ)、中国から沖縄に伝わったそうです。
神社で見かける本土の狛犬も起源は同じですが、そちらは朝鮮半島経由で伝わったそう。狛犬とシーサーは起源が同じものの、伝来ルートがちょっと違うんですね。
そして、琉球王国に伝来した当初は魔除けではなく、”権威の象徴”として、王朝の陵墓や寺院、城郭に設置されていたとか。「宮獅子」と呼ぶそうです。
今では、現存する数が少ないそうですが、そのひとつが、琉球国王の一族が眠る陵墓「玉陵(たまうどぅん)」(1501年創建)の宮獅子です。

玉陵
「玉陵」 画像出典:オリオンビール公式HP
「玉陵」には三体の宮獅子が置かれていて、そのうちの一体がこちら。

宮獅子
「玉陵」の宮獅子 画像出典:オリオンビール公式HP
子どもの獅子をかわいがっている宮獅子だそうです。

宮獅子
「玉陵」の宮獅子 画像出典:オリオンビール公式HP
四つ足ではなく、立ち上がった姿なのは、珍しいそうですよ。
土産物店で見かけるシーサーとは、雰囲気が違いますよね。
獅子というより、猫っぽいかも。
そして、時代が少し下り、17世紀ごろからは、村や集落を守るため、魔除けや火除けとして、村の入口や見晴らしのいい高台などに置かれるように。それを「村獅子」と呼ぶそうです。
記録に残る、最古にして最大の村獅子がこちら。

獅子
画像出典:photoAC
沖縄本島南部の八重瀬町富盛(ともり)にある、「富盛の石彫大獅子」。
高さ141.2cm、全長175.8cm。1689年に置かれたそうです。ちなみに本土は第5代将軍、徳川綱吉の時代。
この村獅子について、18世紀に編纂された琉球王国の歴史書『球陽』には、「その昔、火事が多かった富盛村が風水師に相談したところ、ヒーザン(火山)である八重瀬嶽(岳)に向かって獅子を立てよと助言され、石獅子置いたところ、火事はおさまった」という記述が残っているそうです。
それにしても、この村獅子は、福福しいお顔ですね。こちらは猫ではなく犬っぽい…かな(笑)。

獅子
画像出典:photoAC
そして、この村獅子の体には、無数の小さな穴が開いているんです。

獅子
画像出典:photoAC
この穴は、弾痕。

獅子
画像出典:photoAC
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、このあたりは沖縄地上戦の最前線だったそうです。
無数の銃弾を浴びながらも戦火を堪え抜き、毅然と建つこのシーサーから、地元の人たちは復興への勇気をもらったとか。
そして、権威の象徴から村の守り神になったことで、庶民の間でもシーサー信仰が広がり、琉球王国が解体されて沖縄県となった明治時代からは、一般家庭にも置かれるように。
そんな家を守ってくれるシーサーを、「家獅子」と呼ぶんですって。

シーサー
画像出典:photoAC
家獅子が一気に庶民の間で広まったのは、沖縄文化の特徴でもある「赤瓦」が関係しているそうです。
琉球王国時代、高貴な身分の人にしか使用が認められてなかった赤瓦ですが、琉球王国の解体によって、庶民にも使用が許可されるように。そして、瓦葺き職人が、屋根を葺いた後の余った赤瓦と漆喰でシーサーを作って屋根の上に置いたことで、赤瓦の普及とともに、家獅子が一気に広がっていったそう。
家獅子は、赤瓦と漆喰で作ったものを屋根に置くだけでなく、沖縄の焼き物「やちむん」でも作り、門柱や屋敷内にも置くようになったのだとか。

シーサー
画像出典:photoAC
シーサー覚醒の方法を掲載している『沖縄暮らしのしきたり読本』の著者、比嘉さんによると、赤瓦の家が多かった50年以上前は、新築工事や屋根の修理でシーサーを設置する際、大工さんや漆喰職人の棟梁が、その家の当主に「覚醒の儀式」を行うよう指示していたとか。それが1972年の沖縄の本土復帰以降、赤瓦の家屋からコンクリート家屋に変わる中で、この儀式も見られなくなっていったそうです。
本土で新築工事の際「地鎮祭」や「上棟式」をやるように、新しい家の屋根に置くシーサーに「家に災いが起こらないように」と、お願いする儀式をするようになったとしても、おかしくはないですよね。
ただ、王朝の陵墓や城郭に置かれた宮獅子にも「覚醒の儀式」が行われていたとしたら、なにかしら文献に記述されているかなと思いますが…。今のところ(わたしの調べた範囲では)、そういった文献はないようなので、家獅子が民間に広がった明治以降、一部の地域で行われていた儀式と考えるのが、自然なのかなと思います。あくまでわたしの見解ですが。
このように、石を彫った宮獅子や村獅子から、赤瓦や漆喰、焼き物で作る家獅子となり、さらに、沖縄の観光地化が進んだことで、威嚇するような怖い顔ではなく、愛嬌のあるキャラクター的シーサーも生まれました。

シーサー
画像出典:photoAC
泡盛を楽しそうに飲むシーサーがいたり、沖縄の海の色と同じ青色のシーサーがいたり、

シーサー
画像出典:photoAC
石垣島には、見渡す限りシーサーだらけの人気映えスポット「米子焼工房シーサー農園」があったり、

シーサー
石垣島「米子焼工房シーサー農園」
画像出典:photoAC
宮古島の「カママ嶺公園」には、巨大シーサーすべり台があったりと、シーサーのスタイルも様々!沖縄の人たちに、どれほどシーサーが愛されているのか、わかりますよね。

シーサー
宮古島「カママ嶺公園」のシーサーすべり台
画像出典:photoAC
ちなみにシーサーは、形にも色にも、ルールはないそうです。
ということで今回は、SNSで話題になっている、シーサーを目覚めさせる「覚醒の儀式」を紹介しました。…と言いつつ、シーサーの豆知識の方が、ボリュームある感じでしたけど。すみません(笑)。
わたし個人的な意見としては、シーサーは形にも色にもルールがないということなので、「覚醒の儀式」をやる・やらないも自由かなと思います。とあるシーサー職人さんは、「水をジャブジャブかけて洗い流す」のは、作品によっては完全にアウトなケースがあるのでご注意を!とおっしゃっていました。確かに!(笑)
<参考文献>
WEB
『壺屋焼窯元 育陶園~シーサーについて~』
https://shop.ikutouen.com/?mode=f5
『nippon.com~沖縄の家の守り神「シーサー」:その正体や役割、歴史をひもとく~』
https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu900208/
『Jタウンネット~シーサーには「覚醒の儀式」が必要? 衝撃の事実にネット驚愕、沖縄県職員も「聞いたことない」→風習が消えてしまった理由とは~』
https://j-town.net/2023/03/16344141.html?p=all
『おきなわ物語~富盛の石彫大獅子(県指定有形民俗文化財)~』
https://www.okinawastory.jp/spot/30000023
『オリオンビール公式サイト~「玉陵」首里城周辺のおさんぽ前編【世界遺産めぐり】~』
https://www.orionbeer.co.jp/story/syuri-walking-1/
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