農にまつわるリアルを伝えるドキュメンタリー連載。情熱をもって地元で「農」を盛り上げる「人」にスポットを当て、いま起こっているコトをお届けします。
今回は、父親のブルーベリー畑を引き継いで軌道に乗りかかった矢先、能登半島地震が発生…。混沌と葛藤の日々のなか、農園や産地を守るために奮闘する女性の姿をリポートします。

【田園日記~農と人の物語~ Vol.11】かすみそうを咲かせ続けて…めざすは”百年産地”

四人の子育てから一転、ブルーベリー栽培へ

令和六年の七月初旬、能登半島は奥能登と呼ばれる能登町を訪ねました。
能登半島地震から半年、復旧工事は進行途中で、金沢市内から車で三時間はかかります。

「朝夕は、どうしても車が混むため、震災前の倍の時間はかかります。ずいぶん道は整備されてきましたけどねぇ」

そう話すのは、町の柳田地域でブルーベリーの栽培や加工品作りをする「ひらみゆき農園」代表の平(ひら)美由記さん(46)です。

山あいの百五十アールの畑で、観光農園もしています。
美由記さんがブルーベリーと出合ったのは、四人の子育てに奮闘していた三十代前半の頃。
父の純夫さんが事故で亡くなったことがきっかけでした。

【田園日記~農と人の物語~ Vol.16】父子相承のブルーベリーを能登の地で実らせる


未経験だけど「やってみよう!」

平成元年、水田の転作作物として自治体が導入したブルーベリー。
柳田地域は「やなぎだブルーベリー生産組合」を創設し、純夫さんも栽培を始めます。
おいしいブルーベリー作りに尽力する姿を見て育った美由記さん。


父の遺した甘酸っぱく濃厚な味のブルーベリーをなくしたくないと、引き継ぐ決心をします。

「お客さんからの励ましの電話や翌年の注文も後押しになりました。未経験でしたが、やってみようって」

最初の二年間は、収穫するだけで手いっぱい。しかし味が薄くなったことに気づき、経験豊富な生産者を訪ねて、剪定(せんてい)や施肥など栽培法を改めて一から教わりました。

「こんなことも知らんのか?と叱りながらも、細かいところまで教えてくれて。『能登はやさしや土までも』の言葉どおり能登の人は優しい」

栽培に慣れた頃、美由記さんはブルーベリーを生業(なりわい)にしようと決意します。
しかし、当時、ブルーベリーの出荷価格は一キロ二千円台と今よりも安かったため、出荷時期の三か月で販売するほかはアルバイトもしていました。

そこで収入を上げたいと、オークションサイトに出品して調査。
一キロ四千円でも購入者が見込めるとわかり、オンラインショップを立ち上げます。

次に、通年販売できる加工品開発に着手。ブルーベリーはシーズンが短く、収穫の三~四割が規格外になるためです。さらに、能登町や金沢市の料理人や菓子職人との交流会に参加し、コラボ商品作りにも発展させます。


【田園日記~農と人の物語~ Vol.16】父子相承のブルーベリーを能登の地で実らせる


まさかの地震で、農園の被害は甚大…

仕事が軌道に乗ると、企業と生産者をつないだり、移住の相談を受けたりと、地域の盛り上げにも関わっていきます。

令和四年には、観光農園をスタート。
ブルーベリーと地域食材を使ったスイーツやドリンクを提供するキッチンカーも設置します。
近隣のマルシェやイベントに出向き、農園や能登の味をPRしてきました。

【田園日記~農と人の物語~ Vol.16】父子相承のブルーベリーを能登の地で実らせる


【田園日記~農と人の物語~ Vol.16】父子相承のブルーベリーを能登の地で実らせる


そんな活動のやさきでした。能登半島地震が発生。農園は甚大な被害に遭います。
「山のブルーベリー畑は、地滑りで百本ほど木が流されました。観光農園には、地割れがいくつも入ってね」

実家を改装した加工場は半壊状態。
電気・水道は止まり、加工用ブルーベリーや商品の保管が難しい状況でした。
今年はもう無理かなと諦めたとき、金沢市の仕事仲間から連絡が。

「冷凍材料を預かり、ショップ代行も引き受けてくれるとの申し出でした。
ありがたくて……」と、美由記さんは涙声で振り返ります。

周囲の温かいサポートに勇気をもらい、農園を守るためのクラウドファンディングにも挑戦します。多くの人に思いが届き、目標金額を超えての達成。
そこで資金の一部を産地のために使います。

「みんなでがんばりたい! との願いを込めて、九十人の生産組合メンバーに剪定ばさみを贈りました」

メンバーからの喜びの言葉は、美由記さんにさらなる一歩をもたらします。
今年は休園を決めていた観光農園を「地元の人が楽しめる場にしてほしい」との周囲の声もあり、六月末に開園したのです。

やるならにぎやかにと、二周年イベントとして開催。飲食店の仲間にも協力してもらい、農園に屋台を出して盛り上げました。

「お客さんも出店者も、いっしょに楽しむ場でした。諦めずに開園してよかったです」

【田園日記~農と人の物語~ Vol.16】父子相承のブルーベリーを能登の地で実らせる


今年、ひらみゆき農園は十五年めを迎えました。生産者が一丸となりブランド化を進めたこともあり、ブルーベリーの出荷価格は、一キロ五千円台となり、生業としての未来像が描けるようになってきました。

「地震を契機に、東北や関西にも販路が広がりました。
能登町を全国へ発信して、産地を次世代へつなげていきたいです」

能登の人は優しいだけでなく力強さがある、と話す美由記さん。

復旧まで長い時間がかかろうとも、受け継いだブルーベリーを〝能登町が誇る宝〟へと育てていきます。

【田園日記~農と人の物語~ Vol.16】父子相承のブルーベリーを能登の地で実らせる


※当記事は、JAグループの月刊誌『家の光』2024年10月号に掲載されたものです。
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