圧倒的なクオリティを持つハードやソフトにより、家庭用ゲーム機の常識を覆したプレイステーション(PS)が、発売から25周年を迎えました。来年にはPS5の発売も予定され、まだまだ進化を続けるPSは、どのような経緯で誕生したのでしょうか?

ソニーは1980年代、スーパーファミコンのソフトに内蔵されるサウンドチップを製造していました。
その担当が、“プレイステーションの生みの親”として知られ、SCE(ソニー・コンピュータエンタテインメント)社長やソニー副社長も歴任した久夛良木健さんだったことから、スーファミ用のCD-ROMアダプタの開発を任天堂から請け負うことに。しかし、いくつかのバージョンが作られたものの企画は頓挫し、ここからソニー独自のゲーム機開発が始まりました。そして1994年12月3日に発売へと繋がります。しかし、最初から順調だったわけではありません。

PSのライバルといえばセガサターン。すでにアーケードで圧倒的な人気を博していた格闘ゲーム『バーチャファイター』をローンチタイトルに持ってきたこともあり、セガサターンは発売1カ月で50万台、半年後にはプレステよりも先に100万台を売り上げました。ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)のワールドワイド・スタジオで長年ソフト戦略と開発の責任者を務めた吉田修平さんは、このときのPSの状況を、

「セガさんにラインナップの充実度で劣り、苦しい立場にありました。特に1995年末に『バーチャファイター2』(100万本以上を売り上げたセガのメガヒットタイトル)を投入されたときには非常にきつかったですね」

と振り返ります。

ところが、次世代ゲーム機戦争が3年目に突入した1996年1月、PSとセガサターンの立場はいきなり逆転します。人気RPG『ファイナルファンタジー(FF)』がPSに参入すると発表されたのです。同年には『バイオハザード』『鉄拳2』というヒットタイトルも発売され、年末には出荷台数1000万を突破。そして年明けに『FFVII』が発売されると、初週200万本という驚異的なセールスを記録しました。
この成功により『ドラクエ』の参入も決まり、“全てのゲームは、ここに集まる”というコピーがたった3年で現実のものになったのです。

ちなみに、長らく幻の存在として語られていた、「任天堂プレイステーション」は2015年にアメリカのゲームファンがネットオークションで発見。それをイベントで公開したことから、幻のゲーム機が初めて私たちの前に姿を現すという事件もありました。

◆ケトルVOL.51(2019年12月17日発売)
編集部おすすめ