パリッコ 「たぬきや」最後の思い出の画像はこちら >>

自分のようにいい加減で中途半端な人間が娘に残してやれるものなんて、さほど多くないだろう。情けなくもそんなふうに思いつつ、それでもまぁ、日々できる限りの努力はしつつ暮らしている。

が、「これだけは君の財産であり、自慢に思っていいぞ」と胸を張って言えることが、ひとつある。今回は、娘に対しての記録という意味も込めて、そんな個人的な思い出を書き記しておきたい。

伝説の天国酒場

かつて、一部の酒飲みのあいだではもはや伝説となっている、「たぬきや」という店があった。神奈川県川崎市、JR東日本南武線稲田堤駅、および京王電鉄相模原線京王稲田堤駅から徒歩10分ほど。広大な多摩川の河川敷に、突然ぽつんと存在した、1軒のあばら屋のような建物。海の家の河原版、「川茶屋」とでも表現したらいいだろうか。軽食、甘味、お菓子、ドリンクなどのほかに、つまみや酒のメニューも思いのほか豊富で、しかもうまい。

初めて訪れたのは友達に噂を聞いた2012年で、その日はあまりの心地よさに、同行の妻や友達と、昼間から日が暮れるまで、ぼ~っと飲み続けてしまった。屋外と屋内が一体化したようなその店で、河原から吹いてくる風を感じつつ酒を飲んでいると、もはや会話も必要なくなってくる。広大な川面は刻々と表情を変え、眺めていて飽きることがない。ほろ酔いのぽわぽわとした気分とあいまって、やがて目の前の多摩川が、三途の川のように見えてくる。今見ているのは夢? それともうつつ? まぁどっちでもいいや。とにかく最高の気分だ……。

そんなことがあって、僕らはたぬきやを「天国にいちばん近い酒場」なんて呼び、しばしば通うようになった。

時は流れて2018年。突然、80年以上の歴史を持つたぬきやが、その年の10月28日で閉店してしまうという噂を聞いた。信じたくはなかったが、すぐに女将さんの手書きによる閉店のしらせの写真などが出回りはじめ、その事実を受け入れざるをえない状況となった。閉店の理由を要約すると、「近年の気候変動にともなう水位の上昇や大型の台風などに対応しきれないため」とのことらしく、実際、翌年の夏の大型台風の際、一帯の川がかつてないほどに増水し、たぬきやのあったはずの場所がすさまじい濁流に飲み込まれているニュース映像を見た。もしあのまま営業を続けていたら、たぬきやが川の氾濫によって跡形もなく流されるという、より悲しい事態になっていたかもしれない。長年あの場所で商売を続けてこられた女将さんは、誰よりも強く、そんな自然の変化を感じていたということだろう。

やっぱり最後にもう一度……

ファンの多い店だったから、閉店が近づくにつれ、店は全国各地から訪れる客たちで大変混雑した。開店時間前など、店の前に大行列ができている写真などもSNSで目にした。基本女将さんがひとりで切り盛りされている店だから、きっとものすごく負担も大きいだろう。僕みたいなにわかファンがそれを助長してしまってもなんだか悪いので、思い出だけを胸にしまい、実際にもう一度行くことは遠慮しておこうかな。しばらくそう思っていた。のだけれど、日に日に「おまえは、それで後悔しないのか……」という想いがつのる。

「どうしてももう一度だけ、店に入れなければ営業している様子だけでも、この目で見ておきたい!」

そう思い直して妻に相談すると、妻にとっても思い出の店であるから、大賛成してくれた。そこで、閉店日の約2週間前、なるべく営業の邪魔にならないよう、平日のオープン時間に狙いを定め、たぬきやに行ってみることにした。

ただし、ひとつ問題がある。まだまだ小さな娘を連れて行くとなると、バスやら電車やらを何度も乗り継いで行くよりも、家の隣駅にある実家で車を借りて、それで行ったほうがスムーズだ。となると僕が運転することになるから、自ずと酒は飲めなくなる。「う~ん、ラストたぬきやでノンアルコールか~……」と、一瞬迷いはしたけれど、よく考えたら僕は、営業中のたぬきやを見られるだけでもいいと思っていたはずじゃないか。贅沢を言ってる場合じゃない。

加えて、この小さな娘を一緒に連れていってやれば、もしかしたらそれこそ、娘が「実際にたぬきやの空気を吸ったことのある、この世でいちばん若い人間」になれる可能性だってあるんじゃないか? 「すでに閉店してしまった名酒場に行ったことがある」というのは、そうでない酒飲みにとって大いなるアドバンテージだ。はたして将来、娘がそれをアドバンテージと感じるかどうかは別として(というか、そんなせこい考えかたの人間に育ってほしくないような気もするけど)、体験させてやっておいて損はないはず。

というわけで、まだ会社員だった僕は、わざわざ有給をとり、営業開始の1時間前には着くように家を出て、家族でたぬきやへと向かった。

女将さん、おつかれさまでした

さて、ほぼ予定通りに現地に到着。裏手の公園の駐車場に車を停め、娘を抱っこひもで体にくくりつけ、ドキドキしながらたぬきやへ向かう。

すると、行列はまだ5人ほど。やった! これなら入れる! と、列に並ぶ。そこから約1時間。行列はどんどん伸びて、最終的には50~60人になっていた。

営業開始の15時5分前、女将さんがスクーターに乗って颯爽と現れる。そのさまはまるでヒーローで、人々から歓声が上がる。娘は、何がなんだかわかっていない様子でぽかんとしている。

やがて開店時間となると、行列が行儀よくゆっくりと進みながら、女将さんに思い思いの注文をしてゆく。とにかく女将さんの手をわずらわせてはいけないから、注文は1回で済ませたい。しかも、焼鳥なんかの手のかかるものは避けたい。そこで、煮込み、おでん、人数分のソフトドリンク、それからとっさにお菓子コーナーにあった「とんがりコーン」も手にとり、それらを注文。

あぁ、たぬきやは今日もいつものたぬきやのままだ。

だけど、本当にこれで最後なんだよな……。妻と一緒に、しみじみとその空気感を味わう。娘は娘で、いつもと違う環境に上機嫌。にこにこしながらテーブルの周りをよちよち歩いたりしている。娘よ、これがたぬきやだ。きっと記憶には残らないだろうけど、この場所に来たことがあるという事実だけは一生残る。それは、自慢していいことのはずだよ。

これが、僕が最後にたぬきやを訪れた日の記録。……と言いたいところなんだけど、実は後日、お酒の神様からのちょっとしたプレゼントがあった。

長年たぬきやの女将さんと懇意にされており、イベントなども多く開催されてきた、とある雑誌編集部があった。僕もよくお仕事をさせてもらっていて、なんとその編集部主催で、たぬきやの閉店から数日後、まだ残っているお店で特別に「たぬきやを偲ぶ会」という飲み会が開催されるという。もちろん女将さんもやって来るそうで、なんとそこに、僕もお声がけいただいてしまった。

正真正銘、最後の別れ。その会は早い時間から開催されるということもあり、関係者限定だから行列などの混雑もないので、娘よ、我慢してくれ! と、今度は電車とバスを使って、家族でおじゃまさせてもらった。

もう二度と訪れられないと思っていたたぬきやで、もう二度と飲めないと思っていた酒を飲んでいる。わいわいがやがやとしたその場には、家族や友達の顔もある。天国にいちばん近いどころじゃない、こりゃ、正真正銘の天国だな……なんて思いながら、ちびちびと缶チューハイを飲んでいた。

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