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子供が生まれる前、ある夏の夜に夫婦で目にした説明できない体験。この世には、運命とか、言葉で説明できないような不思議な力みたいなものがある。

そして、子供が生まれたことによる予想外だった自分自身の変化のこと。

妖精の光

もう10年近くも前のことになるけれど、結婚後しばらくすると、夫婦で「うちにも子供が来てくれるといいね」という話が出るようになった。しかしそれから子宝に恵まれるまでにはなかなか時間がかかり、「もしかしたらうちには来てくれないんじゃないだろうか……」と、ふたりで暗いムードになりがちな時期も長かった。そんな折、すこし不思議で、今思いだしてもあれはなんだったんだろう? という出来事があって、いまだに忘れられない。

ある夏の夜、日中の暑さも和らぎ気持ちのいい気候で、なんとなく夫婦で、家の近所の石神井公園に散歩に行くことにした。石神井公園内は、東京23区内とは思えないくらいに自然豊かで、まるで避暑地に散策に来たかのようだ。しばらく歩いていると、前方の木々のあいだの空中に「妖精のよう」と表現するのがぴったりの、数十個ほどの光の粒が見えた。それはくるくると渦を巻きながら、踊るような、無邪気に遊ぶような軌道をしばらく描き、そして消えてしまった。近くに街灯でもあれば、それに照らされた虫だろうな、くらいにしか思わないが、光の消えた場所は完全な暗闇。夫婦ではっきりと見ていて、けれども自分たちの知識のなかで説明のつく現象ではなく、「今、なんかきれいな光見えたよね?」「うん、もしかして、うちにも子供がきてくれる前兆なんじゃないの?」なんて話をしながら帰った。

その後すぐに妻の妊娠が発覚し、今こうして子育てエッセイを書いている。僕は、過度にスピリチュアルに傾倒した人間ではない。けれどもこの世には、運命とか、言葉で説明できないような不思議な力みたいなものがあることは信じているし、全国各地にある神社仏閣や神様たちも敬うようにしている。

特に、人生をかけるほどに好きな「酒」や「酒場」に関しては、奇跡としか思えないような体験をたくさんしてきた。だからきっと、あの不思議な光も、我が家に子供がやってきてくれたこととなんらかの因果関係があるんだろうな、と、なんとなく思っていた。そういう神頼み的なものにさえ、とにかくすがりたかった時期でもあったんだろうけど。

それってもしかして……

娘が3歳くらいのころだったろうか。ある夜、いつもどおりに家でたわいのない話をしていたら、娘が突然こんなことを言いだした。

「ぼこちゃんね~、うまれるまえに、ようせいになって、そらからぱぱとままをみにきたことがあるんだよ」

僕はゾクっとした。当然、あの不思議な光のことを思いだして。そこで聞く。

「それってもしかして……石神井公園のお空?」

すると娘は言った。

「ううん、しゃくじいのね~、えきまえ」

思わず吹き出した。もし地点が一致してしまったら、「子供はあらかじめ親を選んで生まれてくる」みたいな、ぼくがいちばん嫌いな説をうっかり信じてしまうところだったかもしれない。たぶん娘は、そんなようなニュアンスの物語をどこかで聞いたかして、空想上の話をしただけだろう。あぶないあぶない。

不思議な話に、答え合わせなんていらないのだ。

もうひとつ、こんなこともあった。僕は男でひとりっ子だから、そもそも我が家に生まれてくるのが女の子という発想がなかった。ところが妻の妊娠が発覚し、まだ性別もわからないくらい小さな命だったころ、妻とふたりで部屋で過ごしていたら、突然、その部屋で、髪がサラサラの元気な女の子が遊んでいる後ろ姿のビジョンが、ぶわっと頭の中に浮かんだのだ。まさに今の娘のような。あれもなんだったんだろう? ただ酔っぱらいすぎていただけかもしれないけれど、その瞬間、「あ、うちに来るのって女の子なのかー」と自然に思い、実際、そのとおりになった。

そもそも、人の体にもうひとつの命が宿り、成長してふたりの人間になる。しかも、生まれた瞬間から肺呼吸をしだす。その不思議さって、よく考えたら普通じゃなさすぎる。今こんな文章を書いている自分も、それを読んでいるあなたも、すべからくその過程を経てここにいるのだ。まさに奇跡だし、妊娠中や、子供が小さなうちというのは、不思議なことのひとつやふたつ、そりゃ起こるだろうという話だ。

自分自身の変化

子供が生まれたことによる、予想外だった自分自身の変化もある。

僕はとにかく、死ぬのがこわかった。中学時代、「自分がいつか死ぬ」ということをただひたすらに、具体的に考えつめてみたら、おそろしくて涙が止まらなくなり、それ以降は二度と考えないようにした。そして、「せめて150歳までは生きたいなー! まだだいぶ先!」という楽観的死生観を採用して生きてきた。

ところがこれも、娘が3歳くらいのころ。ある初夏の休日で、家でだらだらと昼酒を飲み、窓から吹き込む心地よい風を感じつつ、半分昼寝状態になっていたときのこと。娘は本当によく笑う明るい子で、そのときも妻と、ふざけあってはなにやらずっと大爆笑していた。僕は夢うつつの状態でその声を聞きながら、「あの世ってこういう感じかな? だといいな」と思った。というか、「今、このまま死ぬのって、けっこう幸せなことなんじゃないの?」とすら思った。大いなる変化だ。

もちろん、きちんと頭が覚醒している今現在は、やっぱりできれば長生きしたい。けれど、中学時代のあの日ほどの恐怖はもうないというか。そんなふうに思えるようになったのも、「子供」と「酒」という、今現在の僕における、この世の二大神秘ともいえる存在の、不思議な力のおかげだろう。

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パリッコ『缶チューハイとベビーカー』次回第33回は、2023年6月2日(金)17時配信予定です。

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Credit: 文・イラスト=パリッコ

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