依存症は、現代人にとって、とても身近な「病」です。非合法のドラッグやアルコール、ギャンブルに限らず、市販薬・処方箋薬、カフェイン、ゲーム、スマホ、セックス、買い物、はたまた仕事や勉強など、様々なものに頼って、なんとか生き延びている。
そこで、本連載では自身もアルコール依存症の治療中で、数多くの自助グループを運営する横道誠さんと、「絶対にタバコをやめるつもりはない」と豪語するニコチン依存症(!?)で、依存症治療を専門とする精神科医・松本俊彦さんの、一筋縄ではいかない往復書簡をお届けします。最小単位、たったふたりから始まる自助グループの様子をこっそり公開。
精神分析について思うこと
ヘイ、トシ、ありがとう。
トシにも精神分析に憧れを抱いていた時代があるんだね。でも徒弟制的な階層構造、費やす時間と金額の膨大さに絶望したと。功なり名を遂げた医者の青年時代の挫折の話って美しいなと思いました。
じつは私にとっても精神分析は身近なものでした。私はドイツ文学が専門だから、「精神分析的読解」というスタイルの作品研究にはしばしば出くわすし、なによりもともとの専門は19世紀末から20世紀前半にかけてのウィーン文化研究だったんだね。フロイトがいた時代のオーストリア文学を文化的関心から切りとっていくという分野。
でも私はフロイトの著作を読んでも、弟子のユングの著作を読んでも──ドイツ語で彼らの書いた主要な著作を読むというゼミや読書会にも参加していました──、思いだすのは子どもの頃のカルト宗教のことばかりでした。科学的実証に背を向けた秘教的な「真理探究」の世界。とうてい非合理な内容を、「わかる人にはわかる」という甘えた態度で共有しあって、他分野との意見交換には背を向けた人々。
でも突きつめれば、哲学的な特質を帯びた言説って、そもそもそういうものなのかもしれない。たとえば私はフロイトの同時代人で、かつては非常に影響力のあったエルンスト・マッハ──音速の単位数「マッハ」の由来の人──の哲学を、すんなり受けいれていました。森羅万象は「要素」の集合体で、世界は感覚と物質が融合した一元論的な世界という科学哲学。神秘主義的経験(エクスターゼ)核にしていると思われるマルティン・ハイデガーの思想も、なんの迷いもなく「正しい」と考えていた。私に「解離」があって、心と体と外界の領域が揺れているから、すぐに「ゾーン」に入って「変性意識状態」を経験するからという事情が決定的なんだと思う。おそらく精神分析を信奉する人たちにも、なにかそういうプライベートでパーソナルな問題、心身感覚の特有性という背景があるのかなと想像しまう。そういう人なら精神分析に向いているのでしょう。
ゾーン状態(フロー体験)と共同体
発達障害があると、ものごとにうまく集中できない場面が「定型発達者」よりも多く出てきます。自閉スペクトラム症があると、興味の関心が限定的なために、関心のない対象にほとんど注意を傾けられないし、ADHDがあると、思考があちこちに分散するので、やはりうまく集中できない。
けれども、自閉スペクトラム症の「こだわり」を満たすものに関わる場面では、ADHDの自生思考──これは統合失調症に使われる用語だと思うけど、ADHDにももっと使われて良いと思う。
この過集中状態、言いかえれば「ゾーン状態」(フロー現象)に入ると、超人的な力が発揮されるんだけど、ひとつのことに集中するということは、ほかのことがおろそかになるということだから、私は長年この「過集中」をどう取りあつかって良いものかって、苦心してきたんだ。過集中にはいっていたせいで遅刻したり、物忘れをしたりと、いろんな失敗を重ねてしまった。その憂さを晴らすためにアルコールの過剰摂取に陥り、今度は不眠障害になってしまった。それが30代までの人生。
状況が変わったのは、40歳で大学を休職してからだ。まず発達障害の診断を受けて、じぶんの人生は特殊な状況で展開しつづけてきたんだと理解できた。薬物療法で、自閉スペクトラム症、ADHD、依存症による心身消耗の状態が解消された。認知行動療法を知って、ストレス・コーピングの重要さが理解できるようになった。自助グループを主宰するようになって、じぶんの「居場所」を確保することができるようになった。自助グループで当事者研究を進めて、どのようにすれば困りごとを減らしていけるかを、じぶんの体験からも参加者(「仲間」)の体験からも学べるようになっていった。
いま44歳で、発達障害とアディクションの診断を受けてから5年目だけど、じぶんが日常的に半身を突っこみながら生きている「過集中」を以前とはぜんぜん違った形で制御できるようになった。過集中はすぐに発生するし、それを止めるのはむしろ私の主観的ウェルビーイング(幸福感)の減退につながってしまう。過集中を存分に発揮し、その「ゾーン体験」を楽しみながら、平常の生活や仕事も回転させていけるというように日常の設計をやりなおすべきだと悟ることになった。
このように頭を整理してみると、前回トシが書いてくれた、幻覚薬を用いたアディクションの治療という試みは、私の人生にも起こっていたのではないかと思う。北アメリカのネイティヴ・アメリカンが、サボテンから作ったメスカリンを主成分とする幻覚薬で、変性意識状態を作りだし、神話的と言える幻覚に依拠した共同体を構築するという話を書いてましたね。アルコホーリクス・アノニマスを始めた人物のひとりが、ベラドンナ・アルカロイドが原因と思われる幻視体験をもとに断酒に成功するとも書いていました。
私が「いつだってゾーン状態」のじぶんを肯定し、バリバリと本や論文を書いて、自助グループ活動にどっぷりに耽っている──いま私が主宰している自助グループの数は10前後!──というのは孤立した別々の現象ではないと思っています。なぜかというと、執筆をしているときも自助グループでしゃべっているときも、私は濃厚な「ゾーン」を楽しめるからで、まさにそんな快楽があるからこそやっていることであって、これは要するに頭のなかで「ドーパミンどぱどぱ状態」に依存しているということなわけです。基本的には「ゲーム依存症」と同じ脳のシャブ漬け状態。原稿を書いて「話を盛りあげる」にしても、グループでしゃべって「場の空気を盛りあげる」にしても、同じような「ゲーム性」が発生している。このアディクション的状態によって私の本や論文は多産状態になり、本の出版に絡まって人間関係は豊かになっていくし、もちろん自助グループが和気藹々とすれば、それによって共同体として活性化されていく。
そんなわけで、アディクションが共同体を強化する事例はもっと注目されて良いと思いました。
だからトシがトー横の子どもたちに関して、「仲間のネットワーク」を期待するのは、一見すると奇抜なんだけど、よくわかる話だなと思って読みました。
薬物と幸福
前回のトシは薬の話が多かったけど、さすがこうなるとトシの独壇場。シロウトかつそんなに薬物の話に興味が強いわけでもない私は、ただただ圧倒されてしまった。
糖尿病2型の患者として摂取しているのは、インスリン・デグルデク、シタグリプチン、ピタバスタチン。インスリン・デグルデクは持効型溶解インスリンアナログ製剤の「トレシーバ」を使って、腹に注射している。24時間以上持続して、血糖値を下げてくれるもので、朝に打つ。以前は「ヒューマログ」という別の注射を食前ごとに腹に打っていたけど、これは途中でやらなくてよくなった。シタグリプチンは朝に飲む血糖値効果薬。糖質が低い食事を続けると、どうしてもタンパク質を多くとって憂さ晴らしをしようとするので、今度はLDLコレステロールが増加してしまい、それで家族性高コレステロール血症や脂質異常症の人に処方されるピタバスタチンも朝に飲むようになった。
緑内障の薬としては、眼圧を上げないようにするタプコム(タフルプロスト・チモロールマレイン酸塩)とエイゾプト(ブリンゾラミド)という目薬。前者は朝に、後者は朝と夜に目に指す。それでも徐々に視野は狭まってきているので、将来の私の視界は暗澹たるものになってしまいそうです。
ADHDの薬としては、選択的ノルアドレナリン再取り込み阻害剤のアトモキセチン(「ストラテラ」のジェネリック)を処方してもらっています。そんなに効いているとは思えないけど、食欲減退の効果もあるので、朝に80mgを飲みつづけている感じ。
私の生活の質(QOL)を保つ上で、いちばんだいじなのはリスペリドン。眠る前に飲み、飲まなかったら必ず中途覚醒してしまう。最初に処方してもらったとき、ググったら「統合失調症に処方される」と出てきて、ドキッとしたけど、自閉スペクトラム症の感覚過敏にも効果があるんだってね。以前より環境にグラグラさせられなくなったような気もするけど、当事者研究の成果のほうが大きいと思うので、どのくらいリスペリドンが効いているのかはわからない。
「糖尿病がある場合、禁忌ではないけど、投薬に注意が必要」とのことで、糖尿病を診断されたあとは、リスペリドンの代わりにデエビゴ(レンボレキサント)を処方してもらったこともあるけど、これは仮眠になってしまい、日中も眠気がするので、私には向いていなかった。血糖値が平均に近いあたりまで落ちついたことを主治医に伝えて、またリスペリドンに戻してもらいました。;
「複雑性PTSDがあると思う」とむかしの主治医に伝えて、選択的セロトニン再取り込み阻害剤;のジェイゾロフト(セルトラリン塩酸塩)を処方してもらったこともありました。鬱病、パニック障害、PTSDなどの薬。でも効いているのか効いていないのかよくわからないので、やめてしまった。
アルコール依存症の薬としては、セリンクロ(ナルメフェン塩酸塩水和物)。意識が白濁したようになり、多量の飲酒をする気が湧かなくなる薬。希死念慮が強い時期にはあんまり良くないと思うけど──意識が白濁すると自殺を止める心理が弱まるため──、いまのところは役に立ってます。酒を飲みたい気分を弱めるレグテクト(アカンプロサートカルシウム)は効果を感じられなかったので、やめてしまいました。
インターネットで読んだ程度の知識だけど、リスペリドンはドーパミンよりセロトニンに強く働きかけるらしいね。それがポイントなんだろうか。樺沢紫苑という人の『精神科医が見つけた3つの幸福──最新科学から最高の人生をつくる方法』(飛鳥新社、2021年)を読んでいたら、幸福をもたらす3大脳内物質には健康的な気分になるセロトニン、つながりの安心感をもたらすオキシトシン、高揚感で夢中にさせるドーパミンがあって、まずはセロトニン的な喜びが重要、それからオキシトシン的幸福、最後にドーパミン的幸福と書いてあった。この手の本って怪しいものが多いから、書かれている内容に納得できないところもあったけど、脳内物質を踏まえた幸福論は、なんとなく説得的だと思ってしまった。専門家のトシはどう思うかな?
通報よりも回復
往年の薬物依存症関連の学会の話、とてもおもしろかった。精神科医たちが、患者の尿中から違法の薬物成分が検出されたときに、その結果を警察に通報するのか否かという議論をしていたと。治療を推奨しておいて、検査で引っかかったら自首させる、官憲に売りわたして治療を放棄してしまうという二枚舌。トシが薬物依存症者のために、「ふつうの相談」ができる機運を高めるべく貢献してきたということ。
そういえば私は一度だけ、ナルコティクス・アノニマス(薬物依存症者の匿名会)のミーティングに参加させてもらったことがあります。違法薬物などは使ったことがないけど、「アルコールも薬物みたいなもの」と「向精神薬としてアトモキセチンやリスペリドンを飲んでるから」という理由をじぶんのなかに無理に構築しました。休職の時期が続いて、かなり精神的にまいってるときで、自助グループに縋りたい思いが強かったということが大きいです。いまなら、そんな理由をつけて無理に参加することはないんですけど。
そうしたら、参加者たちは違法薬物に関する話題を使って、「分かち合い」(報告の共有)をするわけです。ほかの自助グループでも(アルコールはもちろんだけど)さまざまな薬物に関する体験談を聞いたことはあるけど、集まってきた「仲間」が次々に違法薬物に関する話をするので、慣れていない私はすっかり仰天してしまいました。
それで、思ったのです。「この数日のうちに、そういう薬物を使ったと語った人もいた。いまこの場にいるということは、それで捕まったわけではないことを意味しているのだろう。その人について警察に通報すれば、もしかすると一般市民として「正しい」ことかもしれない。しかしその人は総合的に見れば治療から遠のくかもしれず、また通報する者がいたということで、グループを危機に瀕させることになる。このグループにつながりつつ、たまには違法薬物に手を出しながらでも、全体としては回復の道を歩んでいる人々を困らせることになる」と。
私は通報するかどうかを真剣に考えたわけではありません。独善的な行動に見えるものに対して、私は慎重に距離を置こうとする人間ですから。しかし、初めて体験する状況が衝撃的だったので、私はどう考えるのが適切なのかについて真剣に思考をめぐらせたのでした。
アルコール依存症の世界では、「イネイブラー」がよく話題になりますね。多くの場合は、アルコール依存に陥った人のパートナーのこと。その人がパートナーのアディクションを「可能にする人」(甘やかす人)として、アディクション問題のキーパーソンだと見なされ、アルコール依存とセットになった問題行動としての「共依存」が攻撃されてきました。でも、そのイネイブラーがいなかったら、アディクションの当事者はもっとひどい状況になっていたことが多いはず。共依存してくれる人がいるからこそ、アディクションの当事者が生きのびたという事例は、とても多いはず。そのことはもっと真剣に考えられるべきだと思う。
ですから、トシがSMARPPというプログラムの本質をワークブックでもマニュアルでもなく、患者がスリップしたと語っても、歓迎して応対すること、安心して失敗を語れる場所として、違法薬物を使いながらも通院できる場所を作ることだと考えているのには、心を打たれます。アディクションの当事者が安心して依存できるように──とはいえ、できるだけ害毒の低いものへと依存しなおしていけるように(ハームリダクション)──イネイブラーが安心してパートナーに共依存できるように、ということが「これからのアディクション治療」なのでしょうね。
浦河べてるの家──「手よりも口を動かせ」
2023年10月には1週間ちょっと、北海道の「浦河べてるの家」までフィールドワークに行っていました。数年前にも行こうとしたけど、コロナ禍の緊急事態宣言が出たりして、いけずじまいになったりしたんです。「当事者研究全国交流集会」も「ベテルまつり」もオンラインで参加したことはあったんだけど、やはり臨場感が足りなくて、そこまでワクワクするものとは思えなかった。それで今回はついに現地参加しようと計画したんです。
浦河には日本赤十字社の病院(日赤病院)があって、浦河べてるの家を率いてきた向谷地生良さんはもともとはその病院のソーシャルワーカーだったそうです。精神科には檻のような病室があったこと、統合失調症の患者がなにを言ってもまともに聞いてもらえなかったこと、べてるの家ができて45年に及ぶ社会実験をやってきたこと、統合失調症者たちと商売を始め、当事者研究を開発し、べてるまつりで「幻覚&妄想大会」を開催して、魅力的な幻覚や妄想を讃えながら、「当事者」と社会の接続を模索してきたこと。さまざまな過去の経験を向谷地さんやスタッフから聞いて、当事者研究全国交流集会もべてるまつりもたっぷり楽しめました。
浦河にある日赤病院の精神科の病床は2014年からゼロになって、いまでは精神科はずっと休診状態らしいです。患者たちが「問題行動」によって、地域社会に迷惑をかけることもどんどん減っていったそうです。その彼らを日常的に支えているのが、「3度の飯よりミーティング」とか当事者研究の理念。みんなで集まって、わいわいと楽しく交流する。それは結局、トシがSMARPPで気づいたものと一緒というわけなんだよね。トシはSMARPPの利用者が、「最も楽しみにしているのは、自身の近況や心境について報告するチェックインの時間帯、いや、それどころか、プログラム前後の雑談をしている時間だったのです」と書いていました。大体これと同じことが、べてるの家にも言えると思います。商売のための商品作りに従事する「作業」の時間があるんですが、そのルールは「手よりも口を動かそう」となっていました。
つまるところ統合失調症であれ、アディクションであれ、医療的な薬物療法は問題の半ばまでしか解決できず、残りの半ばからは福祉的な支援が活躍する領域となります。多くの精神科医は福祉的な支援にじぶんが関与していることについてそっけないように(患者の私には)見えるんですが、トシのように「福祉的なアプローチを併用する精神科医」が増えると、多くの精神疾患はグッと治りやすくなるはず、というのが私なりの見通しです。
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Credit: 松本俊彦 × 横道誠