『おもろい以外いらんねん』、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』で知られる大前粟生による世界初のピン芸人小説『ピン芸人、高崎犬彦』が3月22日に太田出版より刊行されました。
OHTABOOKSTANDでは、全六回にわたって本文の一部を試し読み公開します。
「高崎犬彦と言います。ピンで活動してます。芸歴二年目なんですけど、このあいだ『◯◯の人たち』に出たんです。全然ウケなかったです。それどころか席から転げ落ちてしまって。あーこれ、芸人人生終わったなって。でも放送にのったんです。安西煮転がしっていう同期の芸人がいてそいつの引き立て役として。悔しいっすね。安西とは収録後に喧嘩みたいになりました。
「ちょっと、一回止めてくれる? あのさ、高崎くん、きみの話、それなに?」
「なにって、漫談ですけど」
「違うやん。ただの報告やんか。こういうことがありました、っていう世間話。いやなにも私もね? 実際にあったことを話すな、なんて言ってませんよ? でもきみが今見せてくれたものは、少なくともネタではないですよね。日記やないんやから。高崎くん、今ここはどういう場所ですか?」
「え? 講評会……ですか」
「そう。正解。私はね、ピリオドの社長さんから直々にお願いされました。うちの事務所は芸人の層が薄いからネタを見てやってくれ、って。私楽しみにしてきました。きみたちのネタが見れるのを楽しみにしてるんです」
「……えっと」
「ネタを見せてくれますか」
講師として招かれた川島エリカは腕組みをしてパイプ椅子に深く座り直し、犬彦のことをじっと見つめた。
高崎犬彦は深呼吸をした。川島と目が合うと、咄嗟に逸らしてしまい、あわててまた目を合わせた。ふらついて後ろにあるホワイトボードに体をぶつけた。
「あの俺、頭の中におばあちゃんがいるんですよ。めちゃくちゃシワだらけのおばあちゃんなんですけど、前髪のこのあたりにだけ赤髪のメッシュ入れてて、イカしてるんです。趣味はブリッジすることで、ブリッジしたままアレクサにいろんな頼み事をして生活してるんですけどね、俺ある日おばあちゃんの家を訪ねたんですよ。夏のある日に、スイカがスーパーで安かったから手土産に。玄関のチャイム押そうとしたタイミングで、こんな言葉が聞こえてきたんですよ。『アレクサ、さわっさんがれて』って。おばあちゃん日頃からのブリッジで鍛えられてますからね。えげつない肺活量なんです。
数秒の間のあと、川島エリカが「終わり?」と聞いた。
「あ。はい」
比べられるのが怖かった。自分のネタは安西煮転がしと芸風が似てしまっている。それでも、川島エリカの前で披露できたというだけで満足感はあった。
「え───と、思ってたよりは悪くないな、というのが正直なところです。ただ、なんて言うたらええかなあ、発想にきみの体がついてきてないよね。わかる? わかるよね。声も出てないし、聞いててもきみのネタが本当のことやとは、まだまだ思えへんのよね。ネタなんやからそらせやろって思った? そんなんお客さんもわかってんのよ。それでも引き込まれるっていうのが本物。
「あっ、ありがとうございます!」
「ありがとうございます、やなくてさ。話の最中に手を後ろで組んでるのも違和感あるかな。笑わしてやるぞ、っていうその意気込み? 意味込みかなんか知らんけど、うーん、ちょっと気持ち悪いかもしれへんよね。お客さんが構えてしまうっていうか。あとは──、ごめんな? 貶してるわけではないねんで。ちょっと不思議系のネタやんか。きっときみが思ってる以上にそういうネタをやる子はたくさんいるのよね。きみはー、ごめんなほんまに、めちゃめちゃ普通の見た目やんか。印象に残りやすい方ではない。お客さんのね、期待値っていうか、安心感って大事やと思うのよ。『ああこの人がこのネタをするのは納得できるな』とか、もっと言うと、見知った人やと思わせる。
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ネタ見せで川島エリカから講評を受けた犬彦。果たして売れることできるのか。安西煮転がしとの関係はどう変化していくのか──。この続きは、書籍『ピン芸人、高崎犬彦』をお買い求めの上、お楽しみください。
これまで描かれることの少なかった“ピン芸人”にフォーカスをあてた大前粟生の最新作『ピン芸人、高崎犬彦』。からっぽの芸人・高崎犬彦とネタ至上主義の芸人・安西煮転がしの10年間を追いかけることで、芸人にまとわりつく「売れること」と「消費のされやすさ」の葛藤を描く。
『ピン芸人、高崎犬彦』(著:大前粟生)は現在全国の書店、書籍通販サイト、電子書籍配信サイトで発売中です。
Credit: 著・大前粟生