大自然に囲まれ、娯楽も何もない“おしまいの地”に生まれ育ったこだまさん。そんな”おしまいの地”から不定期に届くこだまさんから読者のみなさんへのお便りを掲載します。
今回は、思わぬ場所に引っ越したこだまさん……大丈夫!?
中学の卒業文集に「教師になって母校で働く」と将来の夢を綴っていた。いま思うと不思議だ。どうしてそんなことを書いたのだろう。ほぼ全員顔見知りという田舎町の息苦しさや煩わしさを肌で感じていた年頃である。人と密接にかかわることが苦手だった。同じ顔触れの中で関係性が築かれ、距離を置くことを許されないような空気があった。
私は外を歩いていて前から誰かがやって来るとサッと身を隠したり方向転換して逃げたりする癖があった。別に後ろめたい何かがあるわけではないが、見知った人とすれ違うのはちょっとしたストレスだった。挨拶するのも嫌、かといって無視する勇気もない。どうしたらいいかわからなくてとっさに逃げてしまうのだった。そんな私を見て両親は「恥ずかしいことをするな」「明るくなれ。みんなと仲良くしろ」と事あるごとに注意した。
教師になりたいのは本当だったけれど、母校に戻りたいなどと考えたことはない。地元から離れるための進学と就職だった。さまざまな人の目に触れることを考え「母校で教える」と書いたほうがかっこいいと思ったのかもしれない。内容が具体的になるし、文字数も稼げる。文集映えのためだけに心にもない母校愛や地元愛を付け加えたのだろう。小賢しい十五歳だ。
その夢は幸い叶わなかった。それでよかった。
たびたび帰省していたが、心の距離を置いていたので嫌な記憶も客観視できた。田舎のエピソードがいっぱいあって助かるな、くらいに思っていた。過ぎた話だからおかしな出来事としてまとめることができた。またあの地で暮らすのか。今度は夫も一緒だ。子どもの頃はあの窮屈な場所が世界のすべてだった。大人になったいま実際に生活してみてどう感じるだろう。不安と興味が交錯する引っ越しとなった。
夫の勤務初日。
夫の職場にも私の高校の同級生がいた。彼女はクラスの中で一際目立つ存在だった。
ああいう眩しい人たちの目に私みたいな人間はどう映っているのだろう、そもそも視界に入っているのだろうか、と当時思っていた。気持ち悪いものとして記憶に残っていただけかもしれないけれど、存在は認識されていたようだ。
少し困ったことも起きた。私が何もせず家の中にこもっていることを知り、職員の飲み会に誘う案が上がっているという。怖い怖い。
いたるところに知り合いがいる。集落に唯一あるスーパーでは小中学校の同級生が働いている。
ガソリンスタンドにも郵便局にも保育所にも役場にも同級生がいる。私は子どもの頃と同じように知り合いとの接触から逃げている。特に何をされるわけでもないのに一方的に避けるなんて異常かもしれない。
町内会活動もある。お祭りもある。「わたし参加しなくてもいい? 病気ってことにしてもらえない?」と夫に尋ねた。すると横で聞いていた母が「そんなことは許しません! 地域に暮らす者としてあり得ません! ちゃんとみんなと仲良くしなさい!」と昔と同じように声を荒げた。母の元職場にも私の同級生が働いており、私が戻ってくることを報告済みだという。中学の同級生の飲み会は定期的に開かれているらしく「うちの娘も呼んであげて」と余計なお願いまでしていたようだ。
こんなこと昔もよくあったなと思い出す。母は私の同級生を見かけると「うちの子も仲間に入れてあげて」と直談判する人だった。入れてあげてもなにも、自らひとりを選んでいるだけだった。母としては半分、社交辞令だったのかもしれないが、顔つきや口調がきついため脅迫じみたものになる。同級生にずいぶん気まずい思いをさせてきた。平穏な田舎暮らしのためにも母の暴走を食い止めなきゃな。やるべきことが見えてきた。社交的で常に輪の中心にいる母には人とかかわりたがらない私の行動が理解不能なのだ。
新居は防風林に囲まれた一軒家。人の気配がまるでない。数軒並ぶ空き家が風景を一段と侘しくさせている。玄関に「こども110番の家」という蛍光色のシールが貼ってあった。我が家は地域の駆け込み場になっているようだ。付近は熊の通り道になっているらしい。誰も来ないほうがいい。
ここに来てまだ二週間。知り合いだらけの地元で私の暮らしはどう変わっていくのだろう。こそこそ逃げず、会釈くらい普通にできるようになるだろうか。自分を無理に変えないまま、自分にとってちょうどいい距離で人とかかわり、生まれた町を好きになってみたい。子どもの頃はそれができなかった。やり直す機会を与えてもらったような気がする。 目下の大きな悩みは遠方でのイベントや打ち合わせの際に多用していた「実家に泊まりに行く」という夫への言い訳が使えなくなったこと。かなり切実な悩みである。実家は徒歩圏内。母が連絡もなく気軽にやって来る。しばらくはどこにも出掛けず山奥で書くことに専念しろと言われているような状況である。きっと何か方法はあるだろう。運命を受け入れつつ、おしまいの地で生き抜く道を探っていきたい。
Credit: 文・写真=こだま