女性同士の親密な関係性を描く、百合というジャンル。
その起源から、国内外での多様な受容、そして近年の作品の潮流までを網羅した書籍、『はじめての百合スタディーズ』(近藤銀河,水上文,中村香住 著/太田出版)が、2026年2月27日(金)に発売されます。
はじめに
私たちは百合を愛している。
この本は、女性同士の恋愛や性愛を含め、友愛も名前のつけられない特別な絆も、あるいは敵対関係さえも含めて、ありとあらゆる親密性を描く「百合」というジャンル──このジャンルを愛してやまない三人が、百合について語るものである。
アニメや漫画、ドラマなど、百合と語られ得る物語はあらゆるところにある。はっきり百合として語られているものもあれば、そうではないものもある。たとえばGLやレズビアンなど、ほかの言葉を用いられていることもある。それでもなお私たちが百合という言葉を選ぶのは、何より私たちが百合と呼ばれるジャンルを愛してきたから。そして、恋愛や性愛に限らずあらゆる関係性を含む百合に、可能性を感じているから。
百合のどんなところに魅力を感じてきたのか? あるいは、どんなところに問題を感じているのか? あらゆるジャンルがそうであるように、百合にも決して問題がないわけではない。でもなおも百合を愛してやまない者として、どんな風に語ることができるだろう?
この本では、そんな問いを追求してみたいと思うのだ。
百合を愛し、だからこそその魅力や可能性を、問題点も含めて語り合いたい──そんな想いを持った三人が集まって出来たのが、この本である。
ただ、この本を手に取る人の中には、疑問を感じている人もいるかもしれない。
私たちは百合のオタクであり、同時にフェミニストで、かつ性的マイノリティの当事者でもある。
私たちは、まさにだからこそ、この本を作ったのだと思う。
百合のオタクとして、外部から語られる「百合」のイメージが自分たちの接している百合とあまりに乖離している──たとえば百合ファンダムにおける当事者の存在がなかったことにされたり、百合が「少女」表象の消費としてのみ捉えられたりしていることはままある──ことへのフラストレーションが、そこにはあった。あるいはオタクとフェミニズムがあたかも対立しているかのように語られること、また女性同士の関係性に焦点を当てるジャンルであるにもかかわらず、百合がフェミニストやクィアなるものとしばしば切り離されてしまうことへの違和感が、そこにはあったのだ。
百合はフィクションだけど、現実と関わらないわけではない。もちろんフィクションとは現実は異なるものだけど、それでもフィクションの書き手も読み手もまた現実社会で生きている以上、現実がフィクションに全く作用しないことも、その逆も、あり得ないのだ。
たとえば2024年には、日本人の女性同士のカップルがカナダで難民認定された、というニュースもあった。ニュースでは、彼女たちが同性愛者や女性であることによって、日本社会でいかに差別されてきたのかが語られていた。カナダ政府の移民難民委員会は、彼女たちの受けてきた扱いを「難民」と認定し得るほどに不当なものだと判断したのだった。
移民難民委員会は、同性カップルとしての彼女たちが、同性婚のできない日本では「法律上の家族と認識されず、異性婚夫婦と同じ利益を受けられない」ことを指摘している。また国連女性差別撤廃委員会の日本への所見なども踏まえ、日本には「家父長制的な観念が根強く残る」「職場には女性に対する複合的な形態の差別が存在する」とも言っている。
こうした社会で女性同士の物語である百合は、どんな意味を持っているのだろう?
女性差別と同性愛差別が根強く残る日本で、それでもなお多様に花開き──品田玲花の論考は、日本における百合というジャンルの複雑さを素描している──、また国外にも広がりを見せている──エリカ・フリードマンの論考は、アメリカにおける百合ジャンルの受容と変容を描き出している――このジャンルについて、フェミニズムやクィアといった視点から、どんな風に語れるだろう。
そもそも、フェミニズムやクィアという言葉は何を意味しているのだろう?
まずフェミニズムとは、暴力や理不尽に抗う女性たちが中心となって形作られた、性別による差別や不平等をなくして、より自由で平等に生きられる社会を目指す運動・考え方のことである。けれども、女性と言っても、住んでいる場所や経済的状況、国籍や人種、民族、障害の有無、あるいはセクシュアリティなど、様々な違いがある。私たちはまだ、あらゆる差別や暴力がなくなった世界を見たこともない。だからフェミニズムはひとつではない。フェミニズムは実際、一人一派とも呼ばれるほどに、多様で豊かなのである。
そのため、私たち三人の考えるフェミニズムもまた、完全に「同じ」ものではないかもしれない。にもかかわらず私たちが、百合について考えるうえでフェミニズムを重視するのは、女性、あるいは女性同士を描く物語である百合と、女性差別的な社会が無縁ではあり得ないと思っているから。どんな風に「女性」を描くのか、あるいはどんな風に「女性」が描かれたものを受け止めるのか、という判断には常に、社会が「女性」をどう扱ってきたのかが関わっているに違いないからなのだ。
そしてクィアとは、現在では性的マイノリティの総称として用いられることも多いものの、もとは男性同性愛者に対するひどく差別的な言葉だったものである。
聞いた瞬間に思わず身をすくませてしまうような、強い侮辱が込められていた言葉──けれどもこの言葉には、社会運動の中で性的マイノリティの当事者たちが自らを指すものとして積極的に用いることで、意味を塗り替えられた経緯がある。差別され、病に倒れても政府に見殺しにされ、その死を悼みさえされないような切迫した状況の中で生じた社会運動が、今のクィアなる言葉を生んだのだった。
私たちは、そんな「クィア」の視点から、百合について考えてみたかった。
とりわけ百合は、性的マイノリティとしてのアイデンティティを持っている人が登場しないこともままある。恋愛や性愛とは何か、それらと友愛に違いはあるのか、という問いかけもまた含んでいる。だからこそ私たちは、アイデンティティとはそもそも何なのかという問いかけを含み、あらゆる境界線を問い直す意味も込められた「クィア」の視点によって、百合について考えたかったのだ。
と同時に、性的マイノリティ、なかでも特にトランスジェンダーへの差別が吹き荒れ、にもかかわらず差別を禁じる法律もなく、同性婚も未だできない日本社会において、クィアという言葉に込められた政治的視点は欠かせない。何が描かれ、何が描かれていないか、問いかけずに済ませることはできないのだ。
考えるべきことはたくさんある──でも、誤解のないように言っておきたいのは、私たちは、女性や性的マイノリティ当事者のみの視点から百合を考えるべきだ、と主張しているのではない、という点である。
百合ジャンルの書き手や読み手には、女性も、女性ではない人も、性的マイノリティの当事者も、当事者ではない人もいる。女性同士の関係が描かれた物語を楽しみたい、という気持ちに、常に政治が関わるわけでもない。フェミニズムやクィアの政治と深く関わりながら、完全には重ならない百合を、それでも/あるいはだからこそ愛してきたクィア/フェミニストとして、私たちは語りたいと思うのだ。
あらゆる人にひらかれた百合、その可能性と未来のためにこそ。
* * *
書誌情報
『はじめての百合スタディーズ』
著者:近藤銀河、水上文、中村香住
カバーイラスト:森島明子
予価:3000円+税
ISBN:978-4-7783-4115-2
仕様:四六判/272ページ(仮)
発売:2026年2月27日(金)
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書籍情報(太田出版Web)Amazon目次
はじめに 水上文
第一部 現在の百合と私たち
百合と私たちのアイデンティティ/クィア/フェミニストとして百合を語りたい/百合ジャンルへの注目/「レズビアン」が出てこなかった百合/近年の百合を総括する百合ドラマ
第二部 アニメと百合
アニメとドラマの違い /現在の百合アニメの潮流/アイドルアニメの百合について
メディアミックスされる百合/『水星の魔女』の革新と問題
論考I ── アメリカの百合文化 エリカ・フリードマン
第三部 BLと百合の違い
百合とBLの共通点と違い/BLと百合の対等性と権力差/女性が女性を眼差すこと/百合と当事者性――森島明子作品/百合は誰のものなのか――『夢の国から目覚めても』
第四部 レズビアン救済願望と結婚
シスターフッドへの警戒/レズビアン救済願望と「本物のレズビアン」幻想/結婚後の人生――『LOVE MY LIFE』と『夢の端々』/「レズ風俗」と百合 /同性婚にまつわる現実の展開と、百合漫画/異性愛至上主義へのカウンターと百合の親和性
第五部 百合ジャンルの課題
百合ファンダムにおける男性嫌悪/男性性とアイデンティティ/商業百合と同人百合の影響関係/トランスジェンダー表象と百合/百合専門誌以外の「百合」――Web小説と百合/これからの百合ジャンル
論考II ──百合の歴史 品田玲花
おわりに 近藤銀河
「はじめに」執筆者
水上文(みずかみ・あや)
1992年生まれ、文筆家。書評や文芸評論の他、フェミニズムやクィアに関わる論考やエッセイも多数。著書に『クィアのカナダ旅行記』(柏書房)、企画・編著に『われらはすでに共にある――反トランス差別ブックレット』(現代書館)がある。
Credit: 文=水上文
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