岩手県出身の木村さん。同県立宮古高校2年生の頃、学校に来ていた移動採血車を見て「やってみよう」と実行に移したことが始まりだ。
18歳で故郷を離れて琉球大学に進学後、寮の先輩が持っていた献血50回記念の盾に目が止まった。学校が休みの日に那覇市のくもじ献血ルームを訪れて以降、2週に1度のペースで成分献血をするようになった。
「献血の間、飲み物を飲んでゆっくりしたり、終わった後は那覇を散策したり。楽しいことが多かった」と振り返る木村さん。寮や大学のエイサー仲間と「献血隊」をつくり、協力の輪を広げたこともある。
大学卒業後、教員になった後も献血を続けた。一方で、献血の機会が少ない離島での勤務や、体調不良のため事前の血液検査が通らず断念したことも。「このときは、健康の大切さを感じた」と振り返る。
300回目は娘で高校1年生の琴代さん(16)を伴ってのメモリアル献血となった。継続のモチベーションは「人の役に立つほか、自分の健康チェックもできる。献血ルームの心地よさもある」
今後の目標を400回に設定しており「教え子たちに達成をPRして、献血してみたいと思うようなきっかけをつくりたい」と笑顔で話した。