2019年に火災で焼失した首里城正殿の復元に携わった宮大工・後藤史樹(ふみき)さん(65)=島根県=がこのほど、自分史「志は世界の後藤屋」を発刊した。3章のうち1章を首里城復元に割いている。
日本建築と異なる気候風土に合わせた沖縄の先人の仕事に、共感と敬意を覚えた。半世紀に及ぶ宮大工の経験を踏まえ、写真と図を多用して工法を具体的に記述。「『令和の復元』は沖縄も含めて、若い大工が多く参加している。私は昔から伝わる手仕事にこだわった。宮大工の世界を知る機会になってほしい」と話している。(自分史コーディネーター・安里努)
 自分史は19年10月31日、出張先の山形県で首里城火災をテレビニュースで知る場面から始まる。「平成の復元」で副棟梁(ふくとうりょう)を務めた知人に連絡を入れ、「やれることは何でも協力します」と告げたことから今回の復元に関わることになった。
 23年2月に沖縄入りし、梁の加工を任される。長さ9メートル、直径90センチのオキナワウラジロガシを見て驚いた。通常梁に使われる木材はマツで、カシを使う例はなかった。重いカシを建物の腰である梁に用いることで安定すると合点がいった。硬いカシの上に乗り手斧(ちょうな)で不要な部分を落としていく作業は、ガラス越しに参観者の注目を浴びた。

 木材のつなぎ方には、日本建築に見られない一手間がかけられていることに気付いた。観光で訪れた竹富島の古民家にも同じ工法があるのを発見し強風に耐えられる工夫を凝らした沖縄の先人に、同じ大工として敬意を覚えた。
 1年5カ月の滞在中に出会った沖縄の人々から、「首里城はウチナーンチュの魂」「私の分も頑張って」などと声をかけられ続けたという。琉球という呼び名があることも知らなかった後藤さんは「沖縄の歴史、文化を義務教育で教えてほしい。日本の文化の多様さ、豊かさを知ることになる」と考えるようになった。
 自分史の後半は生い立ちにさかのぼり、工事例を詳細に紹介しながら、神社や仏閣など歴史的建造物の建築や修繕をする宮大工として歩んだ半生を書いた。自身が5代目である大工「後藤屋」の初代からの記録も残した。「『技は盗め』という慣習を脱して、宮大工を広く紹介したいとの思いを形にできたことが感慨深い」と、自分史制作の過程を振り返った。
 「志は世界の後藤屋」はA5判168ページ。沖縄タイムス社を通じて一般にも頒布する(手数料・税込み2千円)。問い合わせ・申し込みは出版コンテンツ部、電話098(860)3591(平日午前10時~午後6時)。または「ギャラリーショップ」サイト(https://shop.okinawatimes.co.jp/items/97064816)へ。

 
 
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首里城復元支え島根から沖縄へ 宮大工・後藤史樹さん、半世紀の経験伝える自分史「志は世界の後藤屋」発刊
「志は世界の後藤屋」の表紙
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