【沖縄】「琉球人形の歴史を消してはいけない」と力強く語る沖縄市の座間味末子さん(76)は、県内で数少なくなった琉球人形作家の一人だ。27歳の時にこの道を歩み始めてから今年で50年。
「人形は『物言わぬ語り部』。多くの人に琉球人形の魅力を伝えたい」と話す座間味末子さん=14日、沖縄市城前の「小さな人形館 百十末」
座間味さんは1948年8月25日に本部町の瀬底島で生まれたが、その直前の6日に父親は亡くなった。伊江島で沖縄戦時の不発弾や未使用爆弾を積んだ米軍LCT(上陸用舟艇)が大爆発し、約180人が死傷した「米軍LCT爆発事件」に父親も巻き込まれ、家族の生活は一変した。
7人きょうだいで家計が苦しかったことから、仕事を求めて家族みんなで沖縄市に移住。座間味さんは家計を助けるため「手に職を付けよう」と、27歳の時に女性の就業を支援する県婦人就業援助センターの琉球人形科に通うようになった。
県婦人就業援助センター琉球人形科の受講修了生と関係者ら。中段右端が座間味末子さん=1980年(提供)
■観光ブームで「作る端から売れた」
琉球人形は沖縄戦後の混乱の中、女性たちが生み出した。家計を助けるための仕事としてだけではなく、物がない時代の憧れを形にすることでもあった。米軍のパラシュートの生地を縫い上げるなどして製品に仕立て、米兵向けの土産品にした。
戦後間もない頃に制作された琉球人形(小池千枝コレクション 世界の民俗人形博物館提供)
沖縄が日本に復帰した1972年には、コザ市(現沖縄市)に県立内職公共職業補導所(後の県婦人就業援助センター)が設置され、その中に琉球人形作りを学ぶ講習科もできた。1975年にあった沖縄国際海洋博覧会の前後は、観光ブームに乗って琉球人形が土産物の主流に。作る端から売れていくような時代に、座間味さんも琉球人形作りに関わった。
復帰当時の琉球人形の多くは、本土で大量生産されたマスク(顔)や手などのパーツを取り寄せ、琉装をさせただけの作りだった。
琉球人形を大量生産していた1970年代当時に使っていた本土産のマスク(顔)
「大量生産ではなく芸術的なものに温めていきたい」と思った座間味さんは琉球人形を作りながら、福岡で博多人形の面相描きを学び、東京の日本人形作家の故米川慶三さんの下で修業を積んだ。「顔も体も手も全部自分で作りたい。沖縄の人が沖縄の素材で作らないと本物の琉球人形にはならないと思った。人形への思いが私を動かした」と振り返る。
座間味末子さんが故米川慶三さんの指導を受けて最初に作った日本人形
■紅型や絣の衣装も 唯一無二の個性
座間味さんの人形作りはすべて手作業だ。周囲にいる人の顔を見ながら人形の面相を考えて粘土で造形し、衣装は本物の紅型や絣(かすり)などを使って手縫いで仕立てている。髪もジーファー(かんざし)で数種類に結い上げる。
2011年には沖縄市城前町に「小さな人形美術館 百十末(ももとすえ)」を開館。琉球国王即位の際に首里に上った行列、サングヮチャーで浜下りをする様子、空手をしている人たちの姿を再現した琉球人形など千体以上が展示されている。
琉球国王即位の際の行列を表現した人形
琉球王国時代に国の祭事をまとめる役割を担った最高の神職、聞得大君(きこえおおきみ)がペガサスに乗った人形
海外からの発注も多く、これまでに制作した琉球人形は数え切れない。県人のブラジル・アルゼンチン移民100周年に合わせ100体余の琉球人形を両国の県人会館などに寄贈したり、パリで展示会を開いたり県外国外で琉球人形の魅力を伝えている。「琉球人形が世界を駆け巡り、海外のどこかの家庭で飾られていることを想像するとワクワクする」と話す。
■伝統工芸品の指定を目指す
琉球人形は1980年代ごろから、大量生産による品質の課題や菓子など多様な土産品に押され、次第に人気が下降した。現在では家庭に飾られていたり、土産品店に並んでいたりする姿を見る機会は少なくなった。作り手の後継者不足も課題だ。
座間味さんは「琉球人形は女性たちの生活を支えながら沖縄の文化や風俗を各地に伝える役割も担った。その歴史を消してはいけない。
有志と共に、琉球人形が伝統工芸品として認められることを目指すNPO法人県琉球創作人形協会を2012年に立ち上げ、今は理事長としても活動している。後継者育成などを目的に講座や展示会を定期的に開催し、琉球の歴史や文化を琉球創作人形で表現した本なども小中学校などに配布しているが、なかなか後継者が育たないと危惧する。
「琉球人形のファンを広げたいと思っているが、私一人では発信力に限界がある。若いアーティストが琉球人形に興味を持ってくれたら。そのためにも工芸品としての価値を付けたい」と言葉に力を込めた。
座間味末子さんの新作「ミルク神」
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県婦人就業援助センター琉球人形科の受講修了生と関係者ら。中段右端が座間味末子さん=1980年(提供)">
戦後間もない頃に制作された琉球人形(小池千枝コレクション 世界の民俗人形博物館提供)">
琉球人形を大量生産していた1970年代当時に使っていた本土産のマスク(顔)">
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大量生産される土産品としてではなく、沖縄の人々の思いを表現した本物の琉球人形を作りたいと手作業で一体一体を丁寧に仕上げる。「人形はその土地の歴史や文化を表す。手が動くうちは作り続け、世界中に琉球人形の魅力を広げたい」と意気込みを語る。(中部報道部・吉川毅)
「人形は『物言わぬ語り部』。多くの人に琉球人形の魅力を伝えたい」と話す座間味末子さん=14日、沖縄市城前の「小さな人形館 百十末」
座間味さんは1948年8月25日に本部町の瀬底島で生まれたが、その直前の6日に父親は亡くなった。伊江島で沖縄戦時の不発弾や未使用爆弾を積んだ米軍LCT(上陸用舟艇)が大爆発し、約180人が死傷した「米軍LCT爆発事件」に父親も巻き込まれ、家族の生活は一変した。
7人きょうだいで家計が苦しかったことから、仕事を求めて家族みんなで沖縄市に移住。座間味さんは家計を助けるため「手に職を付けよう」と、27歳の時に女性の就業を支援する県婦人就業援助センターの琉球人形科に通うようになった。
県婦人就業援助センター琉球人形科の受講修了生と関係者ら。中段右端が座間味末子さん=1980年(提供)
■観光ブームで「作る端から売れた」
琉球人形は沖縄戦後の混乱の中、女性たちが生み出した。家計を助けるための仕事としてだけではなく、物がない時代の憧れを形にすることでもあった。米軍のパラシュートの生地を縫い上げるなどして製品に仕立て、米兵向けの土産品にした。
米軍統治下の琉球政府も戦争で夫を亡くした女性の経済的自立を促す手内職として後押ししていた。
戦後間もない頃に制作された琉球人形(小池千枝コレクション 世界の民俗人形博物館提供)
沖縄が日本に復帰した1972年には、コザ市(現沖縄市)に県立内職公共職業補導所(後の県婦人就業援助センター)が設置され、その中に琉球人形作りを学ぶ講習科もできた。1975年にあった沖縄国際海洋博覧会の前後は、観光ブームに乗って琉球人形が土産物の主流に。作る端から売れていくような時代に、座間味さんも琉球人形作りに関わった。
復帰当時の琉球人形の多くは、本土で大量生産されたマスク(顔)や手などのパーツを取り寄せ、琉装をさせただけの作りだった。
琉球人形を大量生産していた1970年代当時に使っていた本土産のマスク(顔)
「大量生産ではなく芸術的なものに温めていきたい」と思った座間味さんは琉球人形を作りながら、福岡で博多人形の面相描きを学び、東京の日本人形作家の故米川慶三さんの下で修業を積んだ。「顔も体も手も全部自分で作りたい。沖縄の人が沖縄の素材で作らないと本物の琉球人形にはならないと思った。人形への思いが私を動かした」と振り返る。
座間味末子さんが故米川慶三さんの指導を受けて最初に作った日本人形
■紅型や絣の衣装も 唯一無二の個性
座間味さんの人形作りはすべて手作業だ。周囲にいる人の顔を見ながら人形の面相を考えて粘土で造形し、衣装は本物の紅型や絣(かすり)などを使って手縫いで仕立てている。髪もジーファー(かんざし)で数種類に結い上げる。
一体一体が唯一無二の個性的な作品だ。三線など小道具も本物と見まがうほど精巧に仕上げる。
2011年には沖縄市城前町に「小さな人形美術館 百十末(ももとすえ)」を開館。琉球国王即位の際に首里に上った行列、サングヮチャーで浜下りをする様子、空手をしている人たちの姿を再現した琉球人形など千体以上が展示されている。
琉球国王即位の際の行列を表現した人形
琉球王国時代に国の祭事をまとめる役割を担った最高の神職、聞得大君(きこえおおきみ)がペガサスに乗った人形
海外からの発注も多く、これまでに制作した琉球人形は数え切れない。県人のブラジル・アルゼンチン移民100周年に合わせ100体余の琉球人形を両国の県人会館などに寄贈したり、パリで展示会を開いたり県外国外で琉球人形の魅力を伝えている。「琉球人形が世界を駆け巡り、海外のどこかの家庭で飾られていることを想像するとワクワクする」と話す。
■伝統工芸品の指定を目指す
琉球人形は1980年代ごろから、大量生産による品質の課題や菓子など多様な土産品に押され、次第に人気が下降した。現在では家庭に飾られていたり、土産品店に並んでいたりする姿を見る機会は少なくなった。作り手の後継者不足も課題だ。
座間味さんは「琉球人形は女性たちの生活を支えながら沖縄の文化や風俗を各地に伝える役割も担った。その歴史を消してはいけない。
戦後史を知る『物言わぬ語り部』でもある」と強調する。
有志と共に、琉球人形が伝統工芸品として認められることを目指すNPO法人県琉球創作人形協会を2012年に立ち上げ、今は理事長としても活動している。後継者育成などを目的に講座や展示会を定期的に開催し、琉球の歴史や文化を琉球創作人形で表現した本なども小中学校などに配布しているが、なかなか後継者が育たないと危惧する。
「琉球人形のファンを広げたいと思っているが、私一人では発信力に限界がある。若いアーティストが琉球人形に興味を持ってくれたら。そのためにも工芸品としての価値を付けたい」と言葉に力を込めた。
座間味末子さんの新作「ミルク神」
「人形は『物言わぬ語り部』。多くの人に琉球人形の魅力を伝えたい」と話す座間味末子さん=14日、沖縄市城前の「小さな人形館 百十末」">







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更新:2024-09-10 14:44
更新:2024-09-10 14:44
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