高島さんは當間保校長の教え子。5歳と15歳の時に白血病と診断された。闘病中は鼻血が止まらないなどの症状に加え、薬の副作用や友人と遊べない孤独感などに苦しんだ。転機になったのは母直美さんの言葉だった。
「輝一朗、あのね、『大変』って『大きく変わる』って書くでしょ。乗り越えたら成長できるよ」
そう励ましてもらって以来、「院内のお風呂に自力で入る」「退院して家で眠る」「公園に行ってみる」「キャッチボールをする」などの目標を立てて、一つずつ努力を重ねていったという。
高校も休みがちで「自分の居場所と存在価値」に悩んだ時期があった。だが「大好きな野球ができなくてもチームメートのサポートならできる」と思い直し、練習での声出しやボール拾いを進んで担った。甲子園に出場した友人たちが「頑張れたのはお前のおかげ」と言ってくれ、「見てくれている人はやっぱり見てくれているんだ」と胸が熱くなったと振り返った。
高島さんは闘病仲間との思い出にも触れた。
