同じベトナムの人々が南北に分かれて戦った戦争は、南ベトナムを支援して軍事介入した米軍が撤退を迫られ、一気に攻勢を強めた北ベトナムが南ベトナム政府を制圧した。
戦争終結後のベトナムは、カンボジア侵攻や中国との戦闘などで経済が低迷したが、1986年に導入したドイモイ(刷新)政策で市場経済システムを取り入れ、目覚ましい経済発展を遂げている。
米国とは95年に国交を正常化し、貿易を通じて緊密な経済関係を築いている。人口は1億人を超えている。
米国がソ連と対立していた冷戦時代、ベトナムへの軍事介入に当たって米国側が繰り返したのは「南ベトナムが共産化すれば周辺国に共産主義が連鎖的に拡大する」というドミノ理論だった。
介入の本格化を進めた当時のマクナマラ国防長官は回顧録で「歴史、文化、政治への無知」「ナショナリズムの力を過小評価」など、米国が失敗した理由を11項目にわたって挙げている。
米国は過去の過ちに向き合っているだろうか。
トランプ政権は、駐ベトナム大使を含む外交官らに対し、戦争終結50年に関連する行事に参加しないよう指示したという。
米国は、またも同じ失敗を繰り返しているのではないか。
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ベトナム戦争で沖縄は、米軍の出撃・補給・訓練を担う重要拠点だった。
主力機だったB52戦略爆撃機は嘉手納基地を飛び立ち、ベトナムで無差別爆撃を繰り返した。当時のシャープ太平洋統合軍総司令官は「沖縄なくしてベトナム戦争を続けることはできない」と明言した。
ベトナムの人々は出撃拠点となった沖縄を「悪魔の島」と呼んだのである。
米軍がベトナムで散布した枯れ葉剤は、嘉手納基地や那覇軍港から輸送されたとされる。健康被害は300万人以上に上るとみられ、今も苦しむ人がいる。
北部訓練場ではベトナム戦争を想定した訓練で、ダイオキシンを含む枯れ葉剤を試験散布したという退役軍人の証言もある。
米軍基地は、今も加害の拠点になる可能性をはらんでいる。
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ベトナムに和平を導いたのは、米国内はもとより、世界中で高まった反戦世論だった。今日も各地で続く戦争に、平和を求める声を上げ続けなければならないことを半世紀前の戦争は教えている。
ベトナムを訪問した石破茂首相は、最高指導者トー・ラム共産党書記長らと会談し、自由貿易体制を強化する重要性を確認した。
日本はベトナムの最大の援助国であり、また日本の在留外国人はベトナムが中国に次いで2番目に多い。
互恵関係を拡大するとともに、人権状況の改善といった課題でも協力し合うべきである。