米軍嘉手納弾薬庫地区にある不発弾保管庫で不発弾が爆発する事故があった。 不発弾の状態を確認する作業を行っていた陸上自衛隊員4人がやけどなどのけがをした。

 現場は嘉手納飛行場に隣接する嘉手納弾薬庫地区内にある不発弾の保管庫。読谷村役場から北東に約4キロの距離にある。
 発見された不発弾を最終処理するまでの間、保管する場所として県が設置したもので、具体的な運用は自衛隊が行っている。
 事故は弾の表面のさびを落とす作業中に起きたという。
 1972年の復帰以降、自衛隊が不発弾処理の役割を担ってきたが、作業中の事故も、負傷者が出たのも今回が初めてである。
 それだけに住民らからは、取材用のヘリが上空を飛び交う物々しい空気に「何があったのか」と不安の声も漏れた。
 県内では工事現場などから、たびたび不発弾が発見される。住民を避難させ現地で処理するケースのほか、比較的危険性の低いと判断したものについては保管庫に運んだ後、処理する。
 危険性が低いと思われたものがなぜ爆発したのか。作業の操作手順はマニュアル通りに進められたのか。 原因究明と同時に、再発防止策を示してもらいたい。
 今回の不発弾事故は、戦後80年たっても、県民が危険と隣り合わせの生活を余儀なくされていることをあらためて感じさせた。

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 戦争中、沖縄で使用された弾薬量はおよそ20万トンで、うち5%に当たる約1万トンが不発弾として残ったと推定されている。
 戦後、収容所から帰郷し復興に取りかかった住民が最初に取り組んだのは、遺骨収集であり、屋敷や畑などから見つかった不発弾の処理だった。
 各地で事故が絶えなかったといわれる。
 県の消防防災年報によると、2023年時点で残された不発弾は推定約1850トン。
 復帰後、工事などで発見される不発弾は、陸自第101不発弾処理隊によって回収・処理されているが、現在のペースで、全てを処理するのにおよそ70年かかるという。
 気の遠くなるような話だ。
 沖縄戦がいかに激烈な戦闘だったかは、この一事からしても明らかである。
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 7月6日には、那覇市首里大中町の「中城御殿」復元工事現場で見つかった米国製125キロ爆弾の処理作業が行われる。米軍の猛烈な砲爆撃にさらされたこの一帯は、埋没不発弾が見つかる可能性が高い。
 戦後80年の節目に県は、不発弾処理を含む戦後処理問題の早急な解決を国に要請する予定だ。
 今も残る戦争の爪跡は国策によってもたらされたものである。その戦後処理に長い時間がかかっているのは、沖縄が27年間、米軍統治下にあったことも少なからず影響している。

 戦後処理のスピード・アップを強く国に求めたい。
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