【豊見城】沖縄戦時の日本軍拠点で、米軍との激戦地となった豊見城市の旧海軍司令部壕で13日、第55回慰霊祭が開かれた。遺族や関係者ら約130人が犠牲者の冥福を祈り、世界の恒久平和を願った。
周辺では沖縄に配属された海軍兵約1万人中、約4千人が戦死したとされ、多くの住民も戦闘に巻き込まれた。主催者で沖縄観光コンベンションビューローの下地芳郎会長は「二度と悲惨な戦争を起こしてはならないという誓いを発信し続ける」とあいさつした。
宇栄原小の6年生約50人は沖縄戦を語り継ぐ決意をつづった詩を朗読。「平和をつくるのは私たち一人一人」と声を合わせた。
同小の新垣春佳さん、下地夏恋さんらが黒木(クルチ)を植樹。県内外から参列した遺族らは白菊を手向け、静かに手を合わせていた。(南部報道部・新崎哲史)
■「政治で問題解決を」 大田実司令官の孫・聡さん参列
慰霊祭には当時の大田実海軍司令官の孫に当たる大田聡さん(64)=広島市=も参列した。祖父が県民への配慮を求めた電文を政治家が都合良く引用していることを懸念し、「政治の力で『配慮』を実現してほしい」と呼びかけた。
大田司令官は1945年6月、海軍司令部壕が米軍に包囲される中、戦闘を継続。海軍次官宛ての電文に県民の戦争協力をつづり、「沖縄県民斯(か)く戦へり。後世特別の御高配を賜らんことを」と要望した。
「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」と発言した自民党の西田昌司参院議員が月刊誌でこの電文を引用し、「県民は立派に戦った」と書いた。
聡さんは「沖縄県民は命、文化までも破壊し尽くされた。自らの政治的発言を根拠づけるために祖父の言葉を引用するのは県民、祖父をも侮辱している」と批判した。
「電文の主は『特別の御高配』であり『斯く戦へり』ではない。政治家は沖縄の複雑な問題の解決に取り組み、戦争を二度と起こさないでほしい」と託した。(南部報道部・新崎哲史)
