[戦後80年]
戦後80年目の慰霊の日となる23日、「沖縄全戦没者追悼式」で49回目の平和宣言を、玉城デニー知事が読み上げる。沖縄戦の犠牲者の三十三回忌となった1977年に始まり、これまで7人の知事が計48回にわたって、戦争の実相を伝え、平和への思いを発信してきた。
平和宣言をする玉城デニー知事=23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園(金城健太撮影)
琉球政府主催の戦没者追悼式が始まったのは64年。日本復帰から5年後の77年、最後の法要となる三十三回忌に復帰後2代目の知事、平良幸市氏が初めての平和宣言を読み上げた。
「物欲と我欲に執着した国々の指導者たちは 戦争を繰り返し、人類史上に一大汚点を残した」と先の大戦を振り返ると共に「平和への念願をよそに、安全保障の名のもとに今なお膨大な軍事基地が存在し、県民に不安を与えている」と基地問題を取り上げている。
歴代知事の平和宣言での主な発言
保守系の西銘順治氏が引き継ぎ、歴代最多の12回の平和宣言を行った。「戦争は人類にとって最大の悲劇である」「戦争を二度と繰り返してはいけない」と短い言葉で平和の尊さを語り続けた。
鉄血勤皇隊として沖縄戦を経験し、多くの学友を失った大田昌秀氏。戦争の残酷さを被害者の立場から伝えるとともに「私たちもまた戦時中に近隣諸国民に対し、計り知れないほどの苦難を強いたことへの深い反省に立つ」と加害者としての側面を意識した。
米軍基地の大幅な整理縮小を求め、「基地のない平和な島」の実現を呼びかけたのも特徴といえる。
稲嶺恵一氏は「県民は時には激しく、時には穏やかに平和を、そして人権の尊重を求め続けてきた」と述べ、戦後の米軍統治下の苦難にも触れている。
安全保障を日本全体の問題と捉え、基地の整理縮小、日米地位協定の見直しなどを国の重要課題として取り組むよう求めた。
米軍普天間飛行場の返還問題が焦点となる中、仲井真弘多氏は「県外移設」を掲げて2期目の当選を果たした後の2011年の平和宣言で、前年までの「早急な危険性の除去」から「一日も早い県外移設」を要求するようになった。
ところが、13年12月に普天間飛行場の名護市辺野古移設に必要な国の埋め立て申請を承認し、事実上「県外移設」の公約を転換。14年6月の平和宣言では「普天間飛行場の機能を削減し、県外移設をはじめとするあらゆる方策を講じ、課題解決に全力を注がなければならない」などと微妙に表現を変えている。
辺野古移設反対を掲げ、当選した翁長雄志氏は基地の過重負担を指摘し、「憲法が国民に保障する自由、平等、人権そして民主主義は、沖縄県民に等しく保障されているのか」と問いかけた。すい臓がんで亡くなる直前の18年には「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は県民と共にあり、みじんも揺らぐことはない」と県民に思いを託すような言葉もあった。
翁長氏の後を継いだ玉城デニー氏は、政府に対し辺野古新基地建設の断念を訴え続ける。県内の自衛隊の増強には「悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、県民は強い不安を抱いている」との認識を示す。地域外交も取り上げている。また、しまくとぅばや英語を取り入れ、敵味方なく追悼する沖縄の心を発信している。
「戦争起こさぬ」決意は共通 ジャーナリスト諸見里道浩さん、印象に残る宣言は
歴代知事は沖縄戦最後の激戦地、糸満市摩文仁で何を訴えてきたのか。戦後80年を機に平和宣言を分析した「沖縄『平和宣言』全文を読む」(高文研)で解説を書いた元沖縄タイムス編集局長で、ジャーナリストの諸見里道浩氏(73)=写真=に聞いた。(聞き手=吉田光)
-7人の知事の平和宣言から感じたことは。
「沖縄戦の体験や土地の記憶がベースにあり、『二度と同じことが沖縄で起きてはいけない』という思いを感じた。
-印象に残る宣言は。
「最初の平良幸市知事。物欲と我欲に執着した国々の指導者たちは幾度か戦争を繰り返し、人類史上に一大汚点を残した-。1977年の言葉は沖縄戦を体験した知事だからこそ出てきた。平良知事は復帰運動にも携わり、日本に戻ることで平和な時代を実現できると願った。だが、復帰から5年が経過した77年は米軍統治時代と変わらない問題が存在していた。その状況が知事の厳しい言葉につながっている」
元沖縄タイムス編集局長でジャーナリストの諸見里道浩氏
-時代と共に変化する。
「変化している。95年の米軍人による少女暴行事件などを機に政府への異議申し立ての意味合いが強まった。首相が参列するようになったこともある。保守県政の稲嶺恵一、仲井真弘多の両知事も広大な基地の整理縮小や負担軽減を宣言に織り込み、政府に求めた」
-追悼式で政治的な話題を持ち出すべきではないといった指摘もある。
「政治的だとは思わない。ただ、沖縄戦で血塗られた大地を生み出したのは政治、戦争を沖縄に持ち込んだのは政治である。沖縄を二度と戦場にしないために、政治にもの申すのは当然のことだ」
-戦後80年の宣言に期待することは。
「玉城デニー知事が使ってきた寛容性や多様性という言葉は知事の生いたちと関係があるのではないか。摩文仁に立ち、沖縄戦の全ての犠牲者と向きあった時に、玉城知事にしかできない宣言を語ってほしい」平和宣言をする玉城デニー知事=23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園(金城健太撮影)">
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戦後80年目の慰霊の日となる23日、「沖縄全戦没者追悼式」で49回目の平和宣言を、玉城デニー知事が読み上げる。沖縄戦の犠牲者の三十三回忌となった1977年に始まり、これまで7人の知事が計48回にわたって、戦争の実相を伝え、平和への思いを発信してきた。
沖縄戦の体験やこの土地の記憶を次代につなぐほか、米軍基地が集中する不条理への異議申し立ての場にもなっている。(吉田光)
平和宣言をする玉城デニー知事=23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園(金城健太撮影)
琉球政府主催の戦没者追悼式が始まったのは64年。日本復帰から5年後の77年、最後の法要となる三十三回忌に復帰後2代目の知事、平良幸市氏が初めての平和宣言を読み上げた。
「物欲と我欲に執着した国々の指導者たちは 戦争を繰り返し、人類史上に一大汚点を残した」と先の大戦を振り返ると共に「平和への念願をよそに、安全保障の名のもとに今なお膨大な軍事基地が存在し、県民に不安を与えている」と基地問題を取り上げている。
歴代知事の平和宣言での主な発言
保守系の西銘順治氏が引き継ぎ、歴代最多の12回の平和宣言を行った。「戦争は人類にとって最大の悲劇である」「戦争を二度と繰り返してはいけない」と短い言葉で平和の尊さを語り続けた。
鉄血勤皇隊として沖縄戦を経験し、多くの学友を失った大田昌秀氏。戦争の残酷さを被害者の立場から伝えるとともに「私たちもまた戦時中に近隣諸国民に対し、計り知れないほどの苦難を強いたことへの深い反省に立つ」と加害者としての側面を意識した。
米軍基地の大幅な整理縮小を求め、「基地のない平和な島」の実現を呼びかけたのも特徴といえる。
稲嶺恵一氏は「県民は時には激しく、時には穏やかに平和を、そして人権の尊重を求め続けてきた」と述べ、戦後の米軍統治下の苦難にも触れている。
安全保障を日本全体の問題と捉え、基地の整理縮小、日米地位協定の見直しなどを国の重要課題として取り組むよう求めた。
米軍普天間飛行場の返還問題が焦点となる中、仲井真弘多氏は「県外移設」を掲げて2期目の当選を果たした後の2011年の平和宣言で、前年までの「早急な危険性の除去」から「一日も早い県外移設」を要求するようになった。
ところが、13年12月に普天間飛行場の名護市辺野古移設に必要な国の埋め立て申請を承認し、事実上「県外移設」の公約を転換。14年6月の平和宣言では「普天間飛行場の機能を削減し、県外移設をはじめとするあらゆる方策を講じ、課題解決に全力を注がなければならない」などと微妙に表現を変えている。
辺野古移設反対を掲げ、当選した翁長雄志氏は基地の過重負担を指摘し、「憲法が国民に保障する自由、平等、人権そして民主主義は、沖縄県民に等しく保障されているのか」と問いかけた。すい臓がんで亡くなる直前の18年には「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は県民と共にあり、みじんも揺らぐことはない」と県民に思いを託すような言葉もあった。
翁長氏の後を継いだ玉城デニー氏は、政府に対し辺野古新基地建設の断念を訴え続ける。県内の自衛隊の増強には「悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、県民は強い不安を抱いている」との認識を示す。地域外交も取り上げている。また、しまくとぅばや英語を取り入れ、敵味方なく追悼する沖縄の心を発信している。
「戦争起こさぬ」決意は共通 ジャーナリスト諸見里道浩さん、印象に残る宣言は
歴代知事は沖縄戦最後の激戦地、糸満市摩文仁で何を訴えてきたのか。戦後80年を機に平和宣言を分析した「沖縄『平和宣言』全文を読む」(高文研)で解説を書いた元沖縄タイムス編集局長で、ジャーナリストの諸見里道浩氏(73)=写真=に聞いた。(聞き手=吉田光)
-7人の知事の平和宣言から感じたことは。
「沖縄戦の体験や土地の記憶がベースにあり、『二度と同じことが沖縄で起きてはいけない』という思いを感じた。
今も基地が置かれ、いくさの島が続いている現実にあらがう宣言だと読み解いた。同時に宣言に沖縄の現状を盛り込まなければならない知事の政策的判断は、沖縄の置かれている状況を表している」
-印象に残る宣言は。
「最初の平良幸市知事。物欲と我欲に執着した国々の指導者たちは幾度か戦争を繰り返し、人類史上に一大汚点を残した-。1977年の言葉は沖縄戦を体験した知事だからこそ出てきた。平良知事は復帰運動にも携わり、日本に戻ることで平和な時代を実現できると願った。だが、復帰から5年が経過した77年は米軍統治時代と変わらない問題が存在していた。その状況が知事の厳しい言葉につながっている」
元沖縄タイムス編集局長でジャーナリストの諸見里道浩氏
-時代と共に変化する。
「変化している。95年の米軍人による少女暴行事件などを機に政府への異議申し立ての意味合いが強まった。首相が参列するようになったこともある。保守県政の稲嶺恵一、仲井真弘多の両知事も広大な基地の整理縮小や負担軽減を宣言に織り込み、政府に求めた」
-追悼式で政治的な話題を持ち出すべきではないといった指摘もある。
「政治的だとは思わない。ただ、沖縄戦で血塗られた大地を生み出したのは政治、戦争を沖縄に持ち込んだのは政治である。沖縄を二度と戦場にしないために、政治にもの申すのは当然のことだ」
-戦後80年の宣言に期待することは。
「玉城デニー知事が使ってきた寛容性や多様性という言葉は知事の生いたちと関係があるのではないか。摩文仁に立ち、沖縄戦の全ての犠牲者と向きあった時に、玉城知事にしかできない宣言を語ってほしい」平和宣言をする玉城デニー知事=23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園(金城健太撮影)">


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