【屋我地島=名護】歌うことが大好きな名護市屋我区の玉城さよさんは、1920(大正9)年3月生まれで105歳を迎えた。24歳の時、1歳年上の平吉さんと結婚し、6人の子宝に恵まれ、今では孫24人、ひ孫37人のおばあちゃんだ。
(玉城学通信員)
 玉城さんの楽しみはカラオケ。「『娘よ』『二人は若い』などを歌う。「デイケア利用者の高齢者が私の年齢を聞いてびっくりしていた。孫やひ孫たちとカラオケハウスにも行く。今日は埼玉から44歳になる18番目のひ孫が来るよ。カラオケではなく食事会へのお誘いのようだ」と屈託のない笑顔を見せる。
 同居している三女の 美佐枝さん(73)は「母はとても明るくて周囲を元気にしてくれる。そばで見ている私も、ついもらい笑顔になる」と話す。
 85歳のお祝いをした年の末に他界した最愛の夫平吉さんの分まで長生きすると意気込む玉城さん。数え97歳のカジマヤーの時には屋我地島をオープンカーで道ジュネーし、多くの人にカリーを付け、自身も楽しんだという。
 100歳では内閣総理大臣から賞状と記念品が贈られ、子どもたちがカラオケでお祝いを開いた。カラオケで平吉さんとデュエットした「二人は若い」を長男の富弘さん(76)と歌った。
 ひ孫たちは玉城さんをおばあちゃんではなく、「さよさん」と呼ぶ。玉城さんは「家に遊びに来る人も私を呼び捨てにする人はいなくなっている。みんな、さん付け」と少し寂しそう。
 めいで同区の民生委員・児童委員の上地美智子さん(72)は「さよおばあは、一言で言うとスーパーオバー。気持ちが強いし好奇心が旺盛。グラウンドゴルフやミニボウリング大会の賞品を多くもらっている。さよおばあのサーターテンプラはとてもおいしいよ」と目を細めた。
 同区の儀間高志区長(66)は「『市民の広場』を配りに行ったら『元気でやっているな』と言われ恐縮した」と笑顔を見せる。
 玉城さんは戦争時の記憶も鮮明だ。「戦の時は、父親の61歳のお祝いで赤飯を炊いてウガンしていたら白と黒の飛行機が上空に飛んできて空襲警報が始まった」と説明。赤飯を持って両親と姉、弟の5人で真喜屋の山に避難したという。
 真喜屋の人もたくさん避難しており、隣組の人が木を切り倒し山竹などで水の近くに長屋の避難小屋を造ってくれた。
「戦が終わった知らせが山にもあり、下山すると真喜屋のムラは全部焼かれていた」と悲しそうに話し、「平和が一番。二度と戦はやってはいけない」と話した。
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