沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官が、自決する数日前に大本営に送った「決別電報」や「辞世の句」が軍中央に書き換えられていた。最後の一兵まで戦え、と言い残して司令官は絶命。
改ざんの前も後も皇国思想は一貫 瀬名波榮喜さん(96)
牛島司令官の辞世の句の書き換えは、歴史の改ざんであり許されない。ただ、書き換え前も後も「天皇中心の国を守りましょう」という皇国思想は一貫していると思う。
当時は軍国主義の時代。私たちを戦争に駆り立てたのが 大本営だった。天皇のために命をささげるという教育によって10代の若者も含め、多くの尊い命が失われた。
当時は偽りの大本営発表を疑うことなく、信じてしまった。今の学校教育では、批判的に物を見る能力を養ってほしい。
戦時中は「一億一心」が掲げられ、一億の国民が心は一つに、と鼓舞された。個々人の存在が否定され、自由な意見表明が制限された。
多角的視点も大事。沖縄戦を住民や第32軍、米軍、それぞれの視点で総合的に見て、沖縄戦の実相を正しく継承してほしい。(社会部・當銘悠)
どれだけの命を奪ったか 玉木利枝子さん(91)
牛島司令官は最期に思うところがあったのかもしれないが、兵隊も県民も最後まで戦えと言ってさじを投げた。責められるべきは変わらない。
だが、司令官も命令に従わなくてはいけない立場。大本営の人たちは自分たちは安全圏にいて、身勝手な指示を出して沖縄の住民を犠牲にした。
そして大本営は、松代大本営(長野県)の壕を完成させるため、何でもやれと沖縄戦を長引かせた。その間にどれだけ県民の命が奪われたか。非常に憤りを感じる。
(終戦を進言した)「近衛上奏文」に耳を傾けなかった昭和天皇は戦後、その松代壕を訪れ「無駄な穴を掘ったというがどこか」と言ったという。
私は10歳で砲弾飛び交う戦場を逃げ、家族10人のうち8人を失った。過去の過ちを見つめ、これからどうするのか。国をつかさどる人は学んでほしい。(社会部・吉田伸)