玉城デニー知事(右)と対談するサッカー日本代表の森保一監督(中央)=23日、糸満市・県平和祈念資料館(金城拓撮影)
森保監督は長崎市出身。高校までを長崎で過ごし、選手や指導者として広島で長年過ごした。被爆者としては認定されていないものの、3歳だった父親は原爆の爆風に吹き飛ばされた。
2024年に日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞が決まった際に談話を発表するなど、平和に対する思い入れがある。
沖縄全戦没者追悼式には、戦後80年のタイミングで個人的な思いから一般参列者として出席した。
式典後、玉城デニー知事とも対談し、「サッカーは国と国をつなぎ、違う立場を認め合うということができるスポーツだと思う。世界平和を願いながら、サッカーに取り組んでいきたい」と気持ちを新たにした。
玉城知事は戦争体験の語り部が少なくなっていることに触れ「沖縄が長崎、広島と何を伝えていくか。お互いにつながっていくことが大切」と、平和へのパス交換を希望した。玉城デニー知事(右)と対談するサッカー日本代表の森保一監督(中央)=23日、糸満市・県平和祈念資料館(金城拓撮影)">