【東京】中谷元防衛相は24日の記者会見で、沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官の「辞世の句」が軍中央によって書き換えられていたことについて「防衛省としては直接的な確認を取ることができない状況であり、お答えすることは困難だ」と述べ、自身の認識に関する言及を避けた。
 中谷氏は4月18日の衆院安全保障委員会で、陸上自衛隊第15旅団(沖縄県)が公式サイトに牛島司令官の辞世の句を掲載していることを巡り、「もう二度とあのようなこと(沖縄戦)が起こらないよう平和を願っているとの印象が強いのではないか」と持論を述べていた。

 中谷氏は24日の記者会見で、その辞世の句が軍中央によって書き換えられていたことへの見解を問われた。
 サイトの辞世の句は、15旅団の前身である臨時第1混成群の初代群長・桑江良逢氏が沖縄の日本復帰時の訓示で句に言及したことを紹介する形で掲載されており、中谷氏は「私の国会での答弁は、訓示における桑江氏の平和への決意を踏まえ、戦争の惨禍を二度と繰り返してはならないとの考えのもと、防衛大臣としてわが国の平和への願いを述べたものだ」とした。
 辞世の句は、牛島司令官が自決する前の1945年6月18日に大本営に送った「決別電報」の締めくくりに詠まれた句。
 電報の戦況を伝える内容や句の一部が軍中央によって書き換えられていたことを、沖縄国際大非常勤講師の吉川由紀さんが国立公文書館アジア歴史資料センターが公開している暗号電報の訳文などから確認した。
 一方、辞世の句をサイトに掲載している陸自第15旅団は本紙取材に「(決別電報と)記述が一部異なっているのは認識している」と回答している。
牛島司令官の「辞世の句」を日本軍中央が書き換え 中谷防衛相、...の画像はこちら >>
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