慰霊の日の23日、比嘉さんは朝鮮半島出身者の刻銘板を前にうなだれていた。
「がっかりだ」。半島出身者の名が刻まれるはずの空白の14面の刻銘板に、今年追加刻銘された米兵の名前があった。県は「一時的な刻銘」と説明する。だが比嘉さんは「空白は刻銘が進んでいない、とのメッセージにもなっていたのに」と肩を落とした。
半島出身者の刻銘は、比嘉さんらが1993年12月に旧厚生省の戦没者情報で作成した名簿を元に韓国や北朝鮮、韓国の大学教授の協力を得て確認した。
だが、調査を進めるうちに名簿が実態とかけ離れていることが分かった。さらに、創氏改名で強制的に日本語名に変えられていた氏名を本名に直す作業や、遺族の中には反日感情から刻銘を拒否する人も出るなど作業は難航。その後、大学教授への調査依頼をやめてから追加は減り、刻銘は2019年の2人が最後だ。
県は「戦没者の掘り起こしは半島出身者に限らず課題。
比嘉さんは3年前に共著で礎に関する本を出版し、依然、課題であることを訴えた。追加刻銘を進めることで半島出身者の戦時の「実相」に近づくこともできるのでは、とも考える。「いつまでも空白のままにしておくわけにはいかない」と強調した。