米軍機事故は決して過去の出来事などではない。悲劇の記憶を風化させぬよう、後世へ語り継いでいきたい。

 1959年6月30日午前10時40分ごろ、米軍嘉手納基地を離陸したF100ジェット戦闘機が旧石川市(現うるま市)の住宅地に墜落した。
 機体は爆発の衝撃で跳ね上がり、家々を引きずるようにして近くの宮森小学校に激突。児童11人、住民6人、後に後遺症で1人の計18人が犠牲となったほか、重軽傷者は210人に上った。
 住宅27戸、公民館1棟、校舎3教室を全焼。住宅8戸、校舎2教室を半焼させる大惨事は当時、世界的にも例を見ない事故として内外に報道された。
 しかし、県内の基地問題の象徴的出来事として記憶に刻まれているのは被害の大きさだけではない。
 直前に脱出して助かったパイロットは「不可抗力だった」「(人口の多い)コザは危うく避けた」と話し、住民の怒りを買った。
 これには当時の米メディアも米本国との対応の違いを挙げ「惨事の背景に沖縄への差別意識があったのではないか」と問題視した。
 加えて米軍から提示された補償額はあまりに低く、完全賠償を求める運動は島ぐるみの取り組みにも発展した。
 背景には基地の安定的運用を優先させ、県民の人権や命が脅かされていた米軍統治下の沖縄の実態がある。
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 あれから66年。
 今なお後遺症やトラウマに苦しむ人は少なくない。
それでも事故の風化に危機感を覚え、一人また一人と新たな証言者が名乗りを上げている。
 共通するのは二度とあのような事故を起こしてはならないという声だ。
 そうした中、事故の教訓を継承しようと16年前設立されたのが「石川・宮森630会」だ。
 関係者からの聞き取り調査を重ね証言集の発刊は計4巻に。2019年に米公文書館の資料を翻訳・出版した資料集では、事故原因や損害賠償の交渉過程が明らかになるなど全容解明に大きな転機をもたらした。
 活動が評価され今年沖縄タイムス賞を受賞する。
 現在は地元の学生らと共に事故を題材にした漫画制作にも取り組む。裾野を広げる新たな試みに期待したい。
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 記憶継承の取り組みの一方、基地が集中する県内では今も米軍機による事故が後を絶たない。
 今年も1月と5月に米軍機が貨物などを落下させる事故が発生したが、事故の原因すら十分に明らかにされない状況がある。
 事故防止対策がどうなっているのかの情報もほとんどない。
 近年、日米合同訓練の大規模化などを受け、嘉手納基地や普天間飛行場の騒音回数は増加傾向だ。
事故の危険性は増している。
 二度と事故を起こさないよう、米軍や政府こそ過去から学ぶべきだ。 
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