事故は、同弾薬庫内の自衛隊が運用する不発弾保管庫周辺で起き、県民に大きな不安を与えた。
調査は、不発弾の信管の有無を確認する「再識別作業」の衝撃が伝わり信管が破裂したことが直接的要因だったと結論付けている。
陸自は通常、危険性が低い不発弾を回収した際、処分できる民間業者に引き渡す。引き渡し前の作業で、弾の底部分にある発射痕を確認するため、ハンマーやドライバーを使って土やさびを取り除いていた。
爆発したのは、糸満・豊見城市沖の無人島「岡波島(おかはじま)」で見つかった米国製75ミリ対戦車りゅう弾だった。腐食が進んで弾頭が損壊し、中にはほとんど火薬が残っていなかった。
不発弾は少しの振動でも爆発する危険がある。戦後80年がたち劣化が進んでも依然、殺傷力や破壊力があることに驚く。
陸自はさらに、爆破処分の機会が限定されているため「外注処分を追求する気風が部隊内で醸成されていた」ことを間接的要因に挙げている。
県内には爆破処分できる規模の演習場がなく、米軍キャンプ・シュワブとハンセンにまたがる「中部訓練場」で爆破処分を行っている。その機会は年1~2回程度に限られるという。
安全な処理へ向け、回数を増やすなどの交渉を米軍としてほしい。
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調査結果を受け、陸自は事故の再発防止策を全国の部隊に伝達した。
信管があるかどうか識別が困難な不発弾は外注せず爆破処分することとし、信管に衝撃を加える行為や工具の使用を禁止した。再発防止策を徹底してほしい。
米軍が沖縄戦で使用した弾薬量は約20万トンでこのうち5%に当たる約1万トンが不発弾として残ったとされる。県の推計によると、1800トン以上の不発弾がまだ地中に埋まっている。
国内で見つかった不発弾は自衛隊法に基づき自衛隊が処理する。県内では近年、年間400~600件を処理している。
永久に見つからないといわれる500トンを除き、全てを処理するには70~100年かかるとされる。気の遠くなる数字だ。
危険を元から絶つためには不発弾処理そのものをもっとスピードアップするべきだ。
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県内では6日にも大規模な不発弾処理が那覇市首里の住宅地であったばかりだ。琉球国王の世継ぎが住んだ屋敷「中城御殿」跡の工事現場で見つかった米国製125キロ爆弾である。
日曜日の朝、住民約2300人が避難した。
沖縄戦に起因した戦後処理である。処理に必要な費用はもちろん、休業補償など国が責任を負うのが筋だ。