みなもとやは、源幸さんの祖父で故源太郎さんが1930年に同佐敷手登根で開いたクワァシヤー(お菓子屋)、父で故源雄さんが引き継いだ「宮城製菓所」に続き、1983年に新開でオープンした。
先々代のタンナファクルー、先代のこんぺんといった伝統菓子の技を継承しながら源幸さんが焼きたてパンとケーキを加えて弟や妹、妻の邦子さん(67)と共に支えてきた。
2017年に弘樹さんがアカヒロを開いたこともあり、3年ほど前から事業承継を検討。「働き方改革が重要視される時代に合わせた経営、商品開発が必要」と源幸さん。自身も4代続く店の100周年までは、現役職人として新店を支える考えだ。
一方、閉店1週間ほど前から連日200人を超える来客があり、店は早朝から夕方までパンを焼き続けるなど対応に追われた。
調理師学校時代、みなもとやで研修したというハイアットリージェンシー那覇沖縄のパティシエ桃原利瑠(みちる)さん(30)も閉店を聞きつけ来店。「家が近所で昔から通っていた。この店はお菓子作りの原点」と製菓の世界へ入るきっかけになった店の閉店を惜しんだ。
近くで刺し身屋を開く島袋アキさん(85)は毎週、食パンを注文する常連客。「毎朝、ここのパンを食べていて欠かせない。
学生アルバイトとして務めた人も約90人に上る。「仕事は楽しいものだと教えていただいたのは、今も仕事に対する私の原点。源幸さんから接客やスタッフなどへの気配りを教わった」。閉店を機に、懐かしい思い出を振り返る手紙なども届いている。