滑らかな手さばきで常連客の髪を整えながら、時折交わす昔話に店内がなごやかな笑いに包まれる。「ただ髪を切るだけじゃない。この空間で元気になって帰ってくれることがうれしい」と眞榮田さんは語る。
今も店に立ち続けるのは人との触れ合いがうれしいからだ。「誰かの役に立てるなら、まだまだやりたい。お客さんが笑顔で帰るのを見るのが一番の喜び」と胸を張る。
眞榮田さんは中学卒業後、家族を支えるため理容師の道へ進んだ。町内にあった「照屋理容館」で3年間修業を積み、1955年に20歳で理容師免許を取得し、同町嘉手納に店を構えた。日中はハサミを握り、夜は洋酒店や氷屋を切り盛り。ためた金で3人の弟を高校、大学まで進学させた。
「自分は学びたくても通えんかった。
2008年には立ち退きで、水釜に移転した。現在は完全予約制で、1日数人に限定し、じっくり丁寧に対応する。車のない客には自ら送迎を行うなど、きめ細かな気配りを忘れない。
開店当初から通う同級生の伊波恒夫さん(89)は「昔と変わらない腕で、いつも丁寧に仕上げてくれる。ここに来るのが楽しみなんだ」と笑顔を見せる。
眞榮田さんは仕事以外も活動的だ。週2回カラオケレッスンに通い、毎朝のラジオ体操を欠かさない。沖縄の文化や歴史を学ぶ市民講座にも参加し、今年1月には念願だった書道も始めた。「習うのに遅過ぎることはないさ」と常に向上心を持って新しいことに挑戦し続けている。
そんな父の姿を娘の城間直美さんは「父は本当に働き者で、愚痴一つ聞いたことがない。何歳になっても前向きで、人生100年時代のお手本です」とほほ笑む。
「必要としてくれる人がいる限り店に立ち続けるよ」。その言葉通り、眞榮田さんは今日も人々の髪と心を整え続けている。
