沖縄戦から80年の節目となった今年、「対馬丸」を巡って、大きな動きがいくつもあった。
 関心が集まったのは、対馬丸記念館(平良次子館長)で6月から開かれている沖縄関係戦時撃沈船舶に関する企画展「海の戦争を忘れない」だ。

 これまで県史などで記録されてきた対馬丸を含む船舶26隻に、記念館の調査で新たに判明した5隻を加え紹介している。
 体験者が一人また一人と旅立つ中、眠る資料を掘り起こし、住民犠牲という沖縄戦の事実を伝えていく取り組みはますます重要になっている。
 対馬丸の生き残りである平良啓子さんの体験を基に、演出家の宮本亞門さんが手がけた舞台「生きているから~対馬丸ものがたり~」も今月上演された。
 一昨年亡くなった平良啓子さんは、過酷な漂流体験で身に染みた戦争の悲惨さ、仲の良かったいとこを亡くした苦悩を語り続けてきた。その重い発信から、戦争の愚かさと命の尊さを伝える物語である。
 6月には天皇、皇后両陛下と長女の愛子さまが、記念館を訪問。沖縄戦の実相を知る上で欠かせない場で、生存者や遺族と言葉を交わした。
 節目の年に実現した「継承の旅」だ。
 記念館を含む県内八つの平和関連施設によるシンポジウムもあった。
 忘れてはならない記憶の継承を目的とする施設の連携は、多面的な平和発信という観点から意義深い。
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 学童や一般人ら1788人を乗せた疎開船「対馬丸」が、米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈されてから81年となる。
 犠牲者は氏名が判明しているだけで1484人、このうち亡くなった学童は784人。

 きょう那覇市の「小桜の塔」で慰霊祭が執り行われる。
 夜の暗い海に放り出された子どもたち。助けを求め、泣き叫び、海の底へ沈んでいった子どもたち。あまりに多くの幼い命が奪われただけに、沖縄戦被害の中でも最も痛ましい事件として記憶されている。
 やっとのことで生還した人たちも、心に深い傷を負った。
 平良啓子さんは、一緒に船に乗ったいとこを亡くした罪責感を背負い続けた。疎開を進めた引率教師の中には戦後、沖縄に戻らなかった人もいる。
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 「対馬丸」は、現代性を帯びている事件ともいえる。
 戦争で真っ先に犠牲になるのは、子どもや女性といった弱者だ。イスラエル軍によるガザ攻撃では、子どもの犠牲の多さや餓死といった悲劇に胸が締め付けられる。ロシアに連れ去られたウクライナの子どもたちの帰還も進まない。
 「対馬丸」を学ぶことは、ガザを考えることであり、ウクライナを考えることにつながる。

 戦争を起こしてはならないという戒めのためにも、「対馬丸」を継承する務めを果たしたい。
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