同記念会の高良政勝代表理事(85)は「追悼のことば」で「私たちがなすべきことは、犠牲となられた方々の無念を忘れず、戦争の悲惨さと命の大切さを語り継いでいくことだ」と述べた。
平和への願いを込めたオオゴマダラの放蝶(ほうちょう)、つしま丸児童合唱団による合唱もあった。
対馬丸は1944年8月21日午後6時35分、那覇港から長崎へ向け出航。翌22日午後10時12分ごろ、鹿児島県悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、同23分ごろ沈没した。対馬丸記念館によると、犠牲者は名前が判明しただけで1484人で、うち学童は784人に上る。