学童や一般住民ら計1788人を乗せ、沖縄県の那覇港を出発した疎開船「対馬丸」が米軍潜水艦に撃沈されて81年となった22日午前、那覇市若狭の慰霊碑「小桜の塔」で対馬丸記念会主催の慰霊祭が始まった。生存者や遺族らが参列して、鎮魂の祈りをささげた。

 同記念会の高良政勝代表理事(85)は「追悼のことば」で「私たちがなすべきことは、犠牲となられた方々の無念を忘れず、戦争の悲惨さと命の大切さを語り継いでいくことだ」と述べた。
 平和への願いを込めたオオゴマダラの放蝶(ほうちょう)、つしま丸児童合唱団による合唱もあった。
 対馬丸は1944年8月21日午後6時35分、那覇港から長崎へ向け出航。翌22日午後10時12分ごろ、鹿児島県悪石島沖で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け、同23分ごろ沈没した。対馬丸記念館によると、犠牲者は名前が判明しただけで1484人で、うち学童は784人に上る。
対馬丸撃沈から81年、那覇市で慰霊祭 生存者や遺族ら、鎮魂の...の画像はこちら >>
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