おめでとう。そして極上の「夏の贈り物」をありがとう。
沖尚が県勢として初めて甲子園で優勝したのは、1999年春の選抜大会だ。
「夢を見ているようだ。体の震えが止まらない」
当時、本紙社説は、こう書き出している。
県民はテレビにかじりつき、道路はがらがら。甲子園では、相手応援団も含め4万8千人のウエーブが球場を3周。まちぐゎーでは紙吹雪が舞った。
えも言われぬ興奮状態に包まれていたことが分かる。
26年後の今回は、どうだったか。
優勝インタビューで眞喜志拓斗主将は「甲子園で優勝できるまでに育ててくれてありがとう」と母への感謝を素直に口にした。
声援を送る側も心臓が破裂しそうな極度の緊張感はなく、野球を純粋に楽しむ余裕が出てきたように見えた。
沖縄は、今では高校野球の「強豪県」。戦後の苦難の歴史と重ね合わせて、優勝の意味を語るということはもうない。県民の受け止めは大きく変わった。
それでも地元チームには特別の思いがある。球児のはつらつとしたプレー、一戦ごとに成長していく姿に、心が震え、思わず涙がこぼれそうになった。
春2回に続く夏制覇は、歴史的偉業である。
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今大会、沖尚は共に2年生の末吉良丞(りょうすけ)投手、新垣有絃(ゆいと)投手を二枚看板に、新時代を切り開く戦いぶりで沸かせてくれた。
金足農業との初戦は、末吉投手が完封し、緊迫の投手戦を勝ち抜いた。
仙台育英との3回戦は、延長11回タイブレークの激戦を制した。
準決勝の山梨学院戦では、エースが打たれても、守備が乱れても、はね返す力を発揮した。
そして迎えた日大三高との決勝戦。
相手は強豪ばかりで、そこを勝ち抜いてつかんだ栄冠は値千金だ。平常心を失わずピンチをチャンスに変えるたくましさとチーム力は、沖縄の高校野球の進化を強く印象付けた。
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沖縄チームが、強豪と呼ばれるようになったのは1980年前後。豊見城や沖水などの活躍からだ。練習環境が整い、本土との交流試合の機会も増えた。
その後、沖尚が春に2回、興南が春夏連覇を成し遂げた。
沖尚の比嘉公也監督は、選抜初優勝時のエース投手でもある。
切磋(せっさ)琢磨(たくま)する仲間。困難を乗り越える力。やればできるという自信。
今回の優勝が、選手たちにとっても、沖縄野球にとっても、次のステージへ進む自信になったことは間違いない。