「Bar南国の夜」マスターで元南国ドロップスの與古田忠(左)と、地獄車のボーカル下條スープレックスホールド=8月、宜野湾市のBar南国の夜

 1990年代後半から2000年代にかけて、全国的にも広がりを見せ注目を浴びた沖縄のストリートカルチャー。今のようにスマホやSNSが普及していない時代に、ミュージシャンやライブハウス、クラブ、アパレル、CDショップ、メディア、雑誌などが「対面の横のつながり」で一体となって盛り上げていった。
その“一体感”を礎に、同時期には MONGOL800、HY、ORANGE RANGE といった全国的なヒットを記録するバンドも登場。まさにシーン全体が大きく花開いた時期である。
 その当時のシーンを当事者らが赤裸々に語るトークライブ「90年代後半~2000年代沖縄カルチャー、音楽シーンの証言」が9月11日午後7時半から、那覇市牧志のOutputで開催される。出演は、沖縄初のクラブ「火の玉ホール」を1989年に開設したkiichi、「Bar南国の夜」マスターで元南国ドロップスのリーダー與古田忠、ハードコアバンド・地獄車のボーカル下條スープレックスホールド、沖縄初のDJレコードショップ「Freee-K Show!」を経営していたunqle KAYA(アンクルカヤ)。
 本記事では、同じ宜野湾市出身の同い年でお互いを古くから知る與古田と下條の2人に、改めて当時の雰囲気を振り返ってもらいながら、ライブ当日の注目ポイントなどを聞く。
前例のない手探りな時代

90年代後半から2000年代を振り返る與古田忠=8月、宜野湾市のBar南国の夜

 ―音楽やカルチャーのシーンにとって、90年代後半から2000年代はどんな時代でしたか?
 與古田 元気でしたね。今が元気じゃないとかそういう意味ではなくて、前例がないことばっかり手探りでやっていました。
 下條 もともとタレントでもない普通の人が、(商業的な力を借りずに)セルフプロデュースでパッと表舞台に出てきた時代なのかなぁ。フライヤーとかも手書きで、自腹で印刷かけて、ライブハウスとか洋服屋さんとか、いろんなお店に配っていくんですよ。飛び込み営業のような感じでしたが、どこ行ってもウェルカムでしたよ。
 與古田 200店舗ぐらい回ってフライヤーを配っていました。友だちのお店か、友だちになりたいお店に行って。
当時は、今のようにSNSがないからみんな情報に飢えていて、その店に「なんか面白いことないですかー?」ってお客さんが来るんですよ。それで、お店の人がフライヤー見せて「これ面白そうだよ」って広めてくれて。そういう空気感を、自分もたっちゃん(=下條)も、作ったな!

90年代後半から2000年代を振り返る下條スープレックスホールド=8月、宜野湾市のBar南国の夜

 -イベント当日は、それぞれの立場で当時のシーンを作り上げたみなさんが登場しますね。
 與古田 当時は、若者が出会いを求めて行くような場所がディスコ、カルチャーや音楽に興味が強い人はクラブ、というように違いがありました。この「クラブシーン」で当時をけん引していたのがkiichiさんとunqle KAYAさんでした。
 下條 kiichiさんがやっていた火の玉ホールに行くのがすごく楽しみでした。いろんな音楽を聴きたくて、でも自分の持っているCDだけじゃ足りないわけ。普通のレコード屋さんに売ってないようなかっこいい音楽ばかり流れていましたから。
 與古田 そしてKAYAさんはFreee-K Show!っていうヒップホップのレーベルとレコード屋さんもやっていました。イベントを開催する時も、KAYAさんは「カッコいいな、頑張れよ」って絶対に応援してくれて。
 下條 僕は火の玉ホールのお客さんだったし、Freee-K Show!のお客さんだったし。この2人に加えて、よこちゃん(=與古田)も南国の夜をオープンさせていたので、よこちゃんのお客さんでもあったし。
3人は第一線の人です。同じテーブルで語るのは緊張します。恐縮です。
地獄車がいなかったら…
 ―バンドを取り巻く状況はいかがでしたか?
 與古田 何度でも言うけど、日本のインディーズバンドは、地獄車が無かったら、無い!
 下條 ははは(笑)それは言い過ぎじゃないか?
 與古田 いや、違う。言いすぎじゃない。「レーベルやメーカーに所属していない」ということを、初めて胸張ったわけよ。アマチュアではなくて、インディーズ。「属せない」のではなく「属さない」。インディーズで売れたのが地獄車だった。
(※地獄車は1999年発売の1stアルバム『地獄車』が、タワーレコード那覇店のランキングで同時期に発売されたSPEEDのアルバムをを抑えて1位を獲得したという逸話がある)
 下條 1996年の地獄車結成当時は、ライブハウスに椅子があるのが当たり前だったんだけど、椅子をどかしてスタンディングにしたのは俺たちが初めてだと思う。
 與古田 地獄車がいなかったらMONGOL800も出てこなかったと思うよ。
 下條 それも言い過ぎじゃないか?(笑)

お互いの活動を語り合う、「Bar南国の夜」マスターで元南国ドロップスの與古田忠(左)と、地獄車のボーカル下條スープレックスホールド=8月、宜野湾市のBar南国の夜

「昔は良かったね」ではなく、今をさらに良く
 -イベント当日はどんなお話をしていきたいですか?
 下條 僕からは3人に、それぞれの活動を始めたきっかけをぜひ聞きたいです。

 與古田 その当時に、どんな面白くて変わったイベントがあったのかも聞くのも楽しそうですね。
 ―イベント前に一言、呼びかけのメッセージをお願いします!
 與古田 キラキラしていた2000年代当時の話をしながら、2025年もキラキラしたいおじさんを応援してください。「昔は良かったね」ではなくて、新しいことを取り入れながら今をさらに良くしていきたいです。
 下條 同窓会的な意味合いで当時の皆さんにも来てほしいですし、それに興味を持ってくれる若い人にもぜひ来てほしいです。

 

 
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