惣慶さんは高嶺中で「てぃんさぐぬ花」「故郷(ふるさと)」「赤とんぼ」などの童謡を習った。同校の教員だった津嘉山さんは28歳で結婚。横浜へ移住し、同校が最後の赴任地となった。
沖縄を離れた津嘉山さんだったが、民謡をたしなむ惣慶さんとの連絡は取り続けた。惣慶さんは23歳で土木建設業の会社を立ち上げる一方、神里茂夫民謡研究所に通い、30代後半でCDを出し、高齢者施設を訪問して民謡コンサートを開くなど活動を続けている。
15年前には、恩納村で開かれた津嘉山さんの母(故人)のカジマヤーで惣慶さんが民謡を披露した。歌詞の一部は、2人で協力して作り上げた。
津嘉山さんは、惣慶さんらの呼びかけで2000年ごろにあった高嶺小中学校出身者の同窓会に呼ばれ、かつての教え子と数十年ぶりに再会した。「短い教員人生だったが、慕ってくれる人がいるなんて本当に幸せ」と振り返った。
精力的に歌い続ける惣慶さんに刺激を受け、津嘉山さんも5年前から横浜市内の合唱サークルで本格的に練習を積んでいる。「教え子とのつながりを通じて歌う楽しさを学べた。
惣慶さんは「今振り返ると、中学時代に学んだ童謡を通じて、人の情けや親子の愛情を歌う民謡の奥深さを学べた。これからも互いに歌う楽しさを学び合っていきたい」と語った。
