戦後80年の節目のことし、新聞やテレビなど多くの報道機関が「先の大戦」について報じている。
 本紙でも孫世代が高齢者の戦争体験をたどる企画や、沖縄戦による心の傷が戦後社会に与えた影響を浮き彫りにする連載などを掲載してきた。

 ここ社説では1944年5月から本格化した日本軍第32軍による飛行場建設を沖縄戦への起点として戦争の足跡をたどり「あの時、何が起きていたのか」を論じてきた。
 なぜか。社会が戦争の教訓を忘れないように。そして二度と同じ過ちを犯さないようにするためにほかならない。
 かつて新聞も積極的に戦争に加担してきた。
 県内で「戦意高揚」報道の最たるものが、与那国町出身の大舛松市陸軍中尉の戦死だ。43年1月に激戦地のガダルカナル島での戦没を各紙は1面トップで報じた。
 官民挙げた顕彰運動が繰り広げられ、そうした運動が再び紙面で取り上げられる相乗効果により「大舛に続け」との熱気が全県を覆うことになったのである。
 政府の「1県1紙体制」の下、各紙が統合されてできた「沖縄新報」の45年1月14日付社説では「大舛精神」を説き、県民に死の覚悟を迫った。
 軍部と一体化し、その意向を報じる中で新聞は売れた。
 そこに「使命感を持ったジャーナリズム」や「健全な言論空間」はなかったのである。部数を拡大する中、無謀な戦争へと県民をあおったのである。

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 あれから80年。日々のニュースから浮かび上がるのは、ひたひたと忍び寄る戦前の空気だ。
 自民党の西田昌司参院議員が、ひめゆりの塔の説明文について「歴史の書き換え」と言い放ったことは記憶に新しい。政治家が、自身の「歴史観」にそぐわない証言を否定する発言を公然としたのである。
 陸上自衛隊第15旅団のホームページ(HP)には、日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句が再掲載されている。
 自衛隊配備強化が進む宮古島市では、駐屯地トップの警備隊長が市民をどう喝する事態も起きた。
 批判を浴びて謝罪したものの、部隊が増強される中で、かつてのおごりがまたも頭をもたげてきてはいまいか。
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 自衛隊と米軍の共同訓練は拡大し、宮古・八重山の住民らを九州に避難させる計画なども進んでいる。  「新たな戦前」とも言われる現在。インターネット上で「フェイクニュース」が飛び交い、今また偏狭なナショナリズムや差別、排外主義が存在感を増している。
 そうした中で新聞はどう戦争を防ぐのか。ポピュリズムに流されず、権力を監視することが求められる。

 きょうから新聞週間が始まる。「戦争のためにペンは持たない」。多大な犠牲の上に得た尊い教訓に今こそ立ち返りたい。
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