企業経営者も労働組合員も、ベビーカーを押す母親も制服の学生も、立場や党派を超えて日米両政府の理不尽な基地政策に「ノー」を突き付けた。
 30年前のきょう、宜野湾市で開かれた少女暴行事件に抗議する県民総決起大会。
約8万5千人(主催者発表)が集まり、復帰後最大規模となった大会は、基地負担に対する沖縄からの異議申し立てとして大きな反響を呼んだ。
 同時に、基地問題にジェンダー視点を取り入れた、新たな質を備えた運動の始まりでもあった。
 1995年9月に起きた米兵による少女暴行事件。
 女の子の被害に衝撃が走る中、米軍人による性暴力を「軍事基地がもたらす女性への人権侵害」とし、いち早く動いたのは女性たちのグループだ。
 基地はスペースだけの問題ではないとし、「基地暴力の構造性」を鋭く問いかけたのだった。
 沖縄の海兵隊はベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争など、米軍が関わった戦後の戦争のほとんどに投入された。沖縄で事前訓練を受け、激しい戦闘に加わり、任務を終え、沖縄に帰還する。
 このような軍隊が狭い島に常駐していることが、地域の人々にどれほど大きな負担となっているか。
 女性たちの怒りと行動がうねりとなり、大田昌秀知事の米軍用地強制使用手続きの代理署名拒否、県民大会へとつながった。
 安全保障の基盤を根底から揺さぶったのだ。
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 大会後、日米両政府は凶悪事件では起訴前の身柄引き渡しに米側が「好意的考慮を払う」とする、地位協定の運用改善で合意した。
 日米特別行動委員会(SACO)が設置され、翌年、普天間飛行場の5~7年以内の返還が発表された。

 沖縄側の闘いの成果でもあったが、運用改善の限界、県内移設を条件とした返還は、新たな問題を生むことになった。
 手元に基地・軍隊を許さない行動する女たちの会が、事件を契機に作成を始めた「沖縄・米兵による女性への性犯罪」年表がある。米兵による性犯罪を掘り起こしたもので13版目。沖縄の女性約950人が受けた暴力の数々が連綿とつづられている。
 30年たっても普天間は返還されず、変わらない現実がある。一方、大会を機に芽生えた、普遍的人権の問題として基地問題を捉え直す動きは、現在のさまざまな運動につながっている。
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 女性たちの活動の延長線上に、PFASなど生活の場から基地問題に取り組むグループが生まれている。
 昨秋、スイスであった国連の女性差別撤廃委員会では、県内団体の訴えもあり米兵による性暴力の処罰に関する勧告が出た。
 「決して諦めてはいけない。諦めてしまうことが次の悲しい出来事を生み出してしまう」と、30年前の大会で高校生代表が訴えた。
 理不尽な政策にはひるまず「ノー」を言い続ける。人々の尊厳や人権が守られる未来を築くためにも。
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