首里城復元に向けた作業が着々と進んでいる。工事中、風雨から守るため正殿に設置されていた素屋根は全て取り払われ、見慣れた赤瓦屋根が全容を現した。
「沖縄アイデンティティー」の象徴ともいえる城の復元は順調のようだ。
 2019年10月31日未明、夜空を赤く染めながら焼け落ちて6年。多くの県民が驚きと悲しみに包まれた火災直後から、国や県による復元に向けたプロジェクトが始動した。
 県内外だけでなく国外からも復興支援の寄付金が集まり、その額は61億5千万円にも上る。多くの人々の協力を得ながら、正殿完成まであと1年に迫った。
 首里城はこれまで5度、火事などにより焼失を繰り返してきた。今回5度目の再建に当たり最重要課題の一つとなったのが、防火・防災体制の在り方である。
 県は苦い経験を教訓に、指定管理者への業務発注の在り方を再考。これまで管理者が維持管理や防災業務などを一括で担っていたが、今後は仕様書やマニュアルなどは県が策定し、管理者が運営を担うなど役割分担し体制を強化する。
 また正殿内にはスプリンクラーや操作性の高い屋内消火栓を設置するほか、これから工事予定の北殿には、地震の揺れを感知して電気を遮断する感震ブレーカーや、漏電を防ぐための絶縁監視装置を新たに設置する。
 歴史的建造物と、そこに収容される美術品や文化財を守るため、二度と火事を起こさぬ手段を最後の最後まで考え抜く必要がある。
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 今回5度目の復元では、現代の高度な建築技術が駆使されているだけではなく、この間に新たに判明した歴史的事実に沿った内容が重視されている。

 正殿にかけられる扁額(へんがく)の一つ「中山世土」は、1992年の前回復元では地板が朱色に塗られたが、今回は2020年に修復された尚家文書の記述を基に、黄色塗りに変更された。
 その他、新たな知見に基づき、文様の描き方や色、塗料の原料や石柱の姿形など、細かい部分まで忠実に修正され、往年の姿に一層近づいている。
 さらに今後も検討が続くのは、正殿前の大龍柱の向きである。
 相対か、正面か。史料や専門家の意見を参考にしながら議論を重ね、より多くが納得できる形での決着を望みたい。
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 首里城の地下には、沖縄戦で旧日本軍が指揮を執った第32軍司令部壕があった。32軍がここから南部へ撤退したことで、南部に避難していた住民が米軍の無差別攻撃に巻き込まれ、多大な犠牲を出した。
 現在、32軍壕の保存・公開に向けた議論も進められている。26年度には第1坑口の発掘調査現場が公開予定、29年度には県立芸大の敷地内に壕の全体像を示す展示施設も新設される。
 首里城とその周辺は、沖縄戦の過酷な歴史と平和を考える大切な場だ。一体的な整備あってこそ、沖縄の歴史・戦争文化財としての価値や意義が高められる。
[社説]「首里城正殿」あと1年 高まる期待 教訓も胸にの画像はこちら >>
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