社民党(福島瑞穂党首)は、19日の常任幹事会で、新垣邦男衆院議員(沖縄2区)の離党を承認した。
 党執行部は思いとどまるよう説得を続けてきたが、両者の間に生じた溝を埋めることはできなかった。

 新垣氏は党勢拡大を巡る党執行部との考え方の違いを理由に挙げる。
 参院比例代表選出の福島党首の衆院くら替えによって、衆院で2議席を獲得し、参院も次点の繰り上げ当選によって議席を維持し、党勢拡大を図るというのが新垣氏の主張だ。
 党執行部は、くら替えしても当選する保証はなく「党首が衆院選に出ないことが離党理由というのは多くの人が理解できない」と真意をいぶかる。
 新垣氏は、衆院2区から6期連続当選した故照屋寛徳氏から後継者として指名され、2021年の衆院選で初当選した。
 照屋氏も在職中に「先輩方が築いた遺産を食いつぶした」と福島氏を名指しで批判したことがある。党の現状に共通の不満を抱いていたのは確かだ。
 しかし党執行部にとっても本人にとっても、離党によって何らかの展望が開けるわけではない。
 新垣氏の離党で社民党は結成以来初めて衆院での議席を失う。県内では1970年の「国政参加選挙」から守ってきた議席が消える。
 新垣氏に1票を投じた有権者の多くは、党内事情を知らない。改めて機会を設け、経緯について説明責任を果たすべきである。
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 社民党の前身、日本社会党が結成されてから今月2日で80年となった。

 野党第1党として自民党と対峙(たいじ)してきた社会党は、労働者の党、護憲の党として存在感を発揮してきた。
 社会党に決定的な転機が訪れたのは94年6月、村山富市委員長を首相とする自社さ連立政権が成立したときだ。
 村山首相は安保・自衛隊容認の政策転換を行い、そのことが現場の混乱と離反を生むことになった。
 党名を社会民主党に改称したのは、96年のことである。
 基地問題を抱える沖縄では、本土各県と違って、社民党に代わった後も急激な支持離れは起きていないが、新興政党に押され、衰退傾向が続いているのは否定できない。
 社民党県連は現在、代表が不在の状態で、県議も一人しかいない。
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 社民党は歴史的な役割を終えたのだろうか。党再生が至難の業であることは間違いない。
 社民党に限らず、共産、社大などの既成政党はどこも支持者の高齢化などで党勢拡大に苦戦している。
 だが、既成政党の役割が失われたわけではない。事態はむしろ逆である。
 台湾有事を巡る日中対立が表面化し、不穏な空気が漂い始めている今、切実に求められているのは、憲法前文にうたわれている「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」ことだ。

 政党の役割は重い。
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