子どもたちが集まる場所に金属の窓が落下したニュースに背筋が凍る思いがした。
 宜野湾市立普天間第二小学校の運動場に米軍大型ヘリが重さ7・7キロの窓を落下させた事故から、きょうで8年となった。

 当時運動場では2、4年生54人が体育の授業中だった。多くの児童が運動場に出て遊ぶ20分間の休み時間を前にした出来事だ。人身に関わる大惨事が起こりかねない状況だった。
 「世界で一番危険な米軍施設。事故が起きないのが不思議だ」
 こう言ったのは、2003年に隣接する普天間飛行場を上空から視察した米国のラムズフェルド国防長官である。
 14年後、懸念したことが現実になった。
 窓落下事故の6日前には、同小から、わずか1キロしか離れていない緑ヶ丘保育園に米軍ヘリの部品が落下する事故も起きている。
 普天間第二小では事故後、米軍機が運動場の上空を飛ぶたびに監視員と誘導員が子どもたちを避難させた。運動場にはコンクリート製のシェルターも造られた。普通では考えられない状況である。
 8年たった今も、児童は「普通じゃない」と感じながら米軍機事故を想定した避難訓練に臨んでいる。
 事故当時6年生の担任だった多和田一美校長は「まだ安全に過ごせる学校ではない」と不安を吐露する。

 児童の安全を優先し学習環境を守るためにも、一日も早く危険性を除去しなければならない。
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 米軍は冷戦下、米軍機の騒音を「自由の音」と表現することがあった。いま、それが復活するかのように騒音が激化している。
 今年11月4~7日、普天間飛行場にF35ステルス戦闘機などの飛来が相次ぎ、激しい騒音が発生した。嘉手納基地で実施された即応訓練が原因という。
 沖縄防衛局の調査では、普天間飛行場周辺で1日100回を超える騒音が複数回確認された。普天間第二小で実施された別の調査では、聴覚機能に異常を来すレベルの100デシベル超えの騒音が4日間で24回あった。
 宜野湾市教育委員会には複数の学校から「窓を開けられない」「運動会の練習を中断した」など授業に支障が出たことが報告された。
 あわや大惨事の事故後、改善されるどころか状況はひどくなっている。
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 窓落下事故後、日米両政府は学校上空の飛行を「最大限可能な限り避ける」と合意したが、守られていない。
 そもそも普天間は1996年に日米両政府が「5~7年以内の返還」で合意している。日本政府はその後「5年以内の運用停止」も約束したが、ほごにした。
政府が唯一の解決策とする移設先の辺野古新基地は完成まで10年以上かかるとされ「危険性の除去」の議論は進まず放置されたままだ。
 小学校の運動場に米軍機から部品が落ちる日常はあまりにも異常だ。日米政府の責任は限りなく重い。
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