挑戦の軌跡を記す連載『生涯現役!58歳 アーティスティックスイミング小谷実可子の挑戦』の5回目となる今回は「シンガポール大会で着用する勝負水着」について。小谷に『衣装デザインの特徴』、『現役時代の水着エピソード』などついて語ってもらった。
――ソロ、ミックスデュエット、チームと出場する全ての衣装が完成しました。各衣装のデザインの特徴について教えてください。
小谷:シンガポール大会に向けての衣装の打ち合わせをしたのが、2024年12月でした。そして3つの衣装(ソロ、チーム、ミックスデュエット・テクニカルルーティン)を新調しました。
最初の打ち合わせ時に「振付のイメージ」「演技の動画」「演じる時の曲」などを元アーティスティックスイミングの選手で、現在その競技用水着を製作している歳永ゆきねさんにお伝えして、作っていただきました。
ソロの水着は「赤」。演技する「ムーランルージュ」の曲にピッタリだと思ったからです。3月16日の東京アクアティクスセンター杯で初めてお披露目し、赤の色味が非常に好評でした。
私が気にいっているところは、前面のY字のようになっている切り替えしの部分です。対称な「Y」ではなくアンバランスで斜めに入っているラインのキラキラは、デザインしてくれた歳永さんもこだわってくれた部分なので、そこはとても気に入っているポイントです。
チームの水着は、演技曲を「マンマミーア」に決めた時から、衣装を白地に鮮やかな蛍光色を入れたいと、打ち合わせ時に伝えました。
チーム衣装の特徴としては、背中の紐の部分の色を1本1本違うカラーにしたことで、とても鮮やかなものにしました。やはり背中が水中から上がった時にとても映えるので、これは本当に良かったです。私が想像していた「鮮やか・華やか・元気」というキーワードがしっかりと反映された水着になりましたね。
3月16日の『東京アクアティクスセンター杯』で演技をしたときは、お団子カバー(髪をまとめる部分)を黒にしていたのですが、水着のように鮮やかな色を加えてみようかなと相談しています。
ミックスデュエット・テクニカルルーティンは「高貴な青」×「金」にしました。お気に入りは、初めて採用したレモン型のストーン。そのストーンが舞台に立った時に見えるかはさておき、私たちのミックスデュエットの演出をより効果的に見せるために、“あの石を使いたい”という作り手の想いと一緒に戦っている気持ちになるんですよね。
あとは首の部分も片方が青地の部分が上に来て、もう片方のほうは青地が下にきていて、そこもこだわっているポイントの1つです。立体感が出て、すごくオシャレに見えるかなと思います。衣装からは、すごくパワーをもらっているんです。
新調した3つの衣装については、本番前に1度着て演技をできたので、とても良かったです。
――現役時代の水着のエピソードはありますか?
小谷:1988年ソウルオリンピックなど国際大会に出場していた時は、会場のプールの水の色や観客席の色など、そういうものも全部調べたうえで、舞台映えする色を考えて、水着を決めていましたね。
ちなみにソウルオリンピックの時は、プレ大会(1987年ソウル)と本番で水着を変えて「マダム・バタフライ」を泳ぎました。
蝶をイメージして水着を作ったのですが、プレ大会のときは青地に蝶の模様にしました。水の中に入った時、水着が青なので馴染むんですよね。そこに蝶が水から浮かび上がる感じにしました。でも本番の時には、白地にしました。ピュアというか、特別感のある「白」にしようというのは戦略の中にあり、それを着てメダルを獲得することができました。
やはり演技する曲を決めた中で、その曲に合ったカラーは何だろう?と考えて水着の色を決めます。ただ曲のイメージもありますが、本人に合う・合わない色もあるので、泳ぎ手と曲のイメージ、両方を加味して色を選んでいきます。それは現役の時から変わりません。
――海外に遠征するとき水着はスーツケースに入れて持ち運ぶのでしょうか?
小谷:いえ、海外遠征の時には絶対に手荷物として機内に持ち込みます。
ちなみに1980年代、音源はカセットテープでした。そうすると、国よってテープを掛けた時に早さが違うんです。ちょっとゆっくり目に流れたり、少し速かったり…現地で使う機械の影響があったので、ゆっくり、速め、3秒長くなるバージョン、5秒長くなるバージョンなど、合計4本ぐらいテープを持ち込み、現地で対応できる準備をしていましたね。
今回のシンガポール大会も水着と音源は、必ず機内に持ち込みます。大会当日に現地でこの衣装を着て観客の前で演技ができると思うと、本当に“ワクワク”します。今から楽しみですね!
■小谷実可子(こたに・みかこ)
1966年8月30日生まれ、東京都出身。ソウルオリンピックでは夏季オリンピック初の女性旗手を務め、ソロ・デュエットで銅メダルを獲得。1992年に現役引退。東京2020招致アンバサダーを務めるなど国際的に活動。東京2020オリンピック・パラリンピックでは、スポーツディレクターに就任するなど幅広く活躍。