俳優・広瀬すずが主演を務める映画『遠い山なみの光』(9月5日公開)は、「長崎」と「戦争」というテーマを新たな世代の感覚で描いた作品だ。
『私を離さないで』などで知られるノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの長編デビュー作を、『ある男』(2022年)の石川慶監督が映画化。戦後間もない1950年代の長崎と、1980年代のイギリスを舞台に、時代と国境を越えて交錯する“記憶”の謎に迫る、ヒューマン・ミステリー。長崎時代の悦子を広瀬、佐知子を二階堂ふみ、イギリス時代の悦子を吉田羊が演じるほか、松下洸平、三浦友和らが出演している。
製作陣は、世界公開が戦後80年となる2025年に決まり、「この大切な節目に、大きな事件ではなく、あの日を生きた市井の女性たちのミステリーを通して、今の私たちにつながる物語を描けたのではないかと思います」(福間美由紀プロデューサー)。「戦争を実体験した人々がますますいなくなっていくこのタイミングで、戦争を知らない世代が記憶を頼りに物語を描くことがこの映画のストーリーそのものと今の時代性にリンクしていると思いました」(石黒裕之プロデューサー)と語っている。
石川監督も「原作は戦後の長崎と1980年代のイギリスが舞台の話ですが、戦後の描かれ方が誠実でそこにとても共感しました。長崎や戦争というテーマや小津安二郎作品的な人物たちは、何度も日本映画で描かれてきましたが、イギリスからの視点が入ること、そしてカズオ・イシグロ的な“信頼できない語り手”によるミステリー感が加わることによって、全く新しい視座を獲得しているように思いました。これらのテーマを新しい世代の感覚でアップデートすることは、戦後80年の今必要なことだと実感しています」と語っている。
本作の原作者カズオ・イシグロからは、今の日本へのメッセージが詰まったインタビュー映像が到着。原作を書いてから40年、戦後80年となる年に、この作品が日本で公開されることについてイシグロは「適切な時期だと思います。日本だけでなく世界的に節目となる年で、我々は世界が混乱に陥っていた時代があったことを思い出さなければならない。特に若い世代の人たち、戦争が終わって何年も経ってから生まれた日本の人々はそう。今の日本は豊かさだけでなく、安定性を持った偉大な自由民主主義国家のひとつです。欧米諸国が経験してきたような不安定さは経験していないかもしれない。そんな中、この映画は、その平和な日常が当たり前のものではないことを思い出させてくれる」と語る。
続けて、「ほんの数世代前は違いました。当時の日本はとても暗い時代で、恐ろしい世界大戦も経験しました。だから今こそ思い出すべきで、こんなふうにそれぞれの世代が、私たちは幸運なのだと忘れないことが大切だと思う。同時にこの平和と民主主義を守り続けなくてはいけない。そんな思いもあって、この映画がこの節目を過ぎてからも、ずっと残っていくことを願っています。そして、何とかこの40年以上残ってきた僕が書いた原作のように、石川さんの映画も何十年も続いて、普遍的で時代を超えた作品として受け入れられると期待しています。なぜなら本作は最悪の状態からどのように人々が立ち直るかを描いているからです」と本作に込められている想いを語っている。
イシグロは、長崎で生まれ、5歳の時にイギリスへ渡った。「私が子どもの頃、イギリスでは私が長崎出身と言うと大勢が一つのことを連想しました。原爆です。長崎は“死と破壊の街”だと思われていました。それを聞いてとても不思議でした。私にとって長崎は、希望と明るさの場所だったからです。当時の長崎の雰囲気は、人々が自信を高めていた時期で感嘆と驚きに包まれていたんです。あの頃は毎月のように見たこともない電化製品が登場していました。新しい建物も建てられました。物事がよくなっていると感じていましたし、経済は上向きで人々も明るかった。もちろん長崎そのものもとても美しい街です。街は たくさんの海や山の景色にあふれて、その両方を楽しめました」と、思い出をたどる。
「だから私が覚えている長崎のイメージは、太陽、海、広い空、そして山と木々の風景です。街は再生と前進の雰囲気に包まれていたんです。それは、イギリスの人々が抱く『破壊された街』という印象とはまったく異なるものです」と述懐。
長崎で暮らしていた頃の思い出について「よく人は、そんな幼い頃の記憶など残っていないだろうと言いますが、実際にはそうではありません。幼いながらも、心の奥に刻まれた風景や感覚は、むしろ鮮明で、今でもはっきりと思い出すことができます。幼少期に離れた場所だからこそ、その記憶を失わないよう、無意識のうちに守り続けてきたのかもしれません」とも語っている。
また、原爆について深く考えるようになったのは、もっと大人になってからのことだと言い、「私にとって長崎は、皆が将来に対して希望を持つ街でした。多くの産業が回復して造船所も活気を取り戻し、全て復興していきました。父はアメリカで研究を行った後、イギリスでの生活を望んでいました。外に目を向ける時代でしたね。長崎は古くから『世界への架け橋』でその伝統は長い歴史に根ざしています。私にとって長崎は『近代への扉を開いていった街』です」と語った。
映画を鑑賞する人に向けては、「皆さんが石川慶さんのこの映画を観てくださるとうれしいです。私がこの小説を出版した時、彼はまだ小さな子どもでした。彼はこの美しい映画を日本の今の世代の人たちに向けてつくることを決めました。彼はこの物語に今の人々に響くものがあると信じているし、私もそう思っています。この作品を楽しんでください!」とメッセージを送っている。
『私を離さないで』などで知られるノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの長編デビュー作を、『ある男』(2022年)の石川慶監督が映画化。戦後間もない1950年代の長崎と、1980年代のイギリスを舞台に、時代と国境を越えて交錯する“記憶”の謎に迫る、ヒューマン・ミステリー。長崎時代の悦子を広瀬、佐知子を二階堂ふみ、イギリス時代の悦子を吉田羊が演じるほか、松下洸平、三浦友和らが出演している。
製作陣は、世界公開が戦後80年となる2025年に決まり、「この大切な節目に、大きな事件ではなく、あの日を生きた市井の女性たちのミステリーを通して、今の私たちにつながる物語を描けたのではないかと思います」(福間美由紀プロデューサー)。「戦争を実体験した人々がますますいなくなっていくこのタイミングで、戦争を知らない世代が記憶を頼りに物語を描くことがこの映画のストーリーそのものと今の時代性にリンクしていると思いました」(石黒裕之プロデューサー)と語っている。
石川監督も「原作は戦後の長崎と1980年代のイギリスが舞台の話ですが、戦後の描かれ方が誠実でそこにとても共感しました。長崎や戦争というテーマや小津安二郎作品的な人物たちは、何度も日本映画で描かれてきましたが、イギリスからの視点が入ること、そしてカズオ・イシグロ的な“信頼できない語り手”によるミステリー感が加わることによって、全く新しい視座を獲得しているように思いました。これらのテーマを新しい世代の感覚でアップデートすることは、戦後80年の今必要なことだと実感しています」と語っている。
本作の原作者カズオ・イシグロからは、今の日本へのメッセージが詰まったインタビュー映像が到着。原作を書いてから40年、戦後80年となる年に、この作品が日本で公開されることについてイシグロは「適切な時期だと思います。日本だけでなく世界的に節目となる年で、我々は世界が混乱に陥っていた時代があったことを思い出さなければならない。特に若い世代の人たち、戦争が終わって何年も経ってから生まれた日本の人々はそう。今の日本は豊かさだけでなく、安定性を持った偉大な自由民主主義国家のひとつです。欧米諸国が経験してきたような不安定さは経験していないかもしれない。そんな中、この映画は、その平和な日常が当たり前のものではないことを思い出させてくれる」と語る。
続けて、「ほんの数世代前は違いました。当時の日本はとても暗い時代で、恐ろしい世界大戦も経験しました。だから今こそ思い出すべきで、こんなふうにそれぞれの世代が、私たちは幸運なのだと忘れないことが大切だと思う。同時にこの平和と民主主義を守り続けなくてはいけない。そんな思いもあって、この映画がこの節目を過ぎてからも、ずっと残っていくことを願っています。そして、何とかこの40年以上残ってきた僕が書いた原作のように、石川さんの映画も何十年も続いて、普遍的で時代を超えた作品として受け入れられると期待しています。なぜなら本作は最悪の状態からどのように人々が立ち直るかを描いているからです」と本作に込められている想いを語っている。
イシグロは、長崎で生まれ、5歳の時にイギリスへ渡った。「私が子どもの頃、イギリスでは私が長崎出身と言うと大勢が一つのことを連想しました。原爆です。長崎は“死と破壊の街”だと思われていました。それを聞いてとても不思議でした。私にとって長崎は、希望と明るさの場所だったからです。当時の長崎の雰囲気は、人々が自信を高めていた時期で感嘆と驚きに包まれていたんです。あの頃は毎月のように見たこともない電化製品が登場していました。新しい建物も建てられました。物事がよくなっていると感じていましたし、経済は上向きで人々も明るかった。もちろん長崎そのものもとても美しい街です。街は たくさんの海や山の景色にあふれて、その両方を楽しめました」と、思い出をたどる。
「だから私が覚えている長崎のイメージは、太陽、海、広い空、そして山と木々の風景です。街は再生と前進の雰囲気に包まれていたんです。それは、イギリスの人々が抱く『破壊された街』という印象とはまったく異なるものです」と述懐。
長崎で暮らしていた頃の思い出について「よく人は、そんな幼い頃の記憶など残っていないだろうと言いますが、実際にはそうではありません。幼いながらも、心の奥に刻まれた風景や感覚は、むしろ鮮明で、今でもはっきりと思い出すことができます。幼少期に離れた場所だからこそ、その記憶を失わないよう、無意識のうちに守り続けてきたのかもしれません」とも語っている。
また、原爆について深く考えるようになったのは、もっと大人になってからのことだと言い、「私にとって長崎は、皆が将来に対して希望を持つ街でした。多くの産業が回復して造船所も活気を取り戻し、全て復興していきました。父はアメリカで研究を行った後、イギリスでの生活を望んでいました。外に目を向ける時代でしたね。長崎は古くから『世界への架け橋』でその伝統は長い歴史に根ざしています。私にとって長崎は『近代への扉を開いていった街』です」と語った。
映画を鑑賞する人に向けては、「皆さんが石川慶さんのこの映画を観てくださるとうれしいです。私がこの小説を出版した時、彼はまだ小さな子どもでした。彼はこの美しい映画を日本の今の世代の人たちに向けてつくることを決めました。彼はこの物語に今の人々に響くものがあると信じているし、私もそう思っています。この作品を楽しんでください!」とメッセージを送っている。
編集部おすすめ