「週刊少年ジャンプ」のヒット作が“生まれるゼロからイチ”までの軌跡を、作者に直接インタビューする特別企画「THE ZERO to ONE」が、集英社総合電子書店「ゼブラック」にて公開中。第2回が公開され、『地獄先生ぬ~べ~』作者の真倉翔氏(原作担当)と岡野剛氏(作画担当)の貴重なインタビューを読むことができる。
「週刊少年ジャンプ」1993年38号(1993年8月24日発売)で連載がスタートした『地獄先生ぬ~べ~』は、「鬼の手」を持つ小学校教師「ぬ~べ~」こと鵺野鳴介(ぬえの・めいすけ)が、妖怪や悪霊を退治する学園コメディアクションで人気を博している。
インタビューでは、作者の真倉翔氏(原作担当)と岡野剛氏(作画担当)が、初期構想からキャラクターデザインなど連載までの道のりや、当時の心境、漫画哲学までを語る、貴重なインタビューをお届け。また、本企画の第3弾は、9月に公開予定となっている。
なお、インタビュー記事の公開日は、各作品の連載第1話が掲載された「週刊少年ジャンプ」の「発売日」。読者は、作品が生まれたその“始まりの日”に立ち戻り、記事を通じて、作者の思考や情熱、野望を追体験できる。
紹介した作品は、「ゼブラック」限定の無料公開やまとめ買いなどのキャンペーンを実施。その想いを胸に「ゼブラック」で作品を読み返すことで、新たな“おもしろさの扉”が開かれる仕掛けとなっている。
真倉翔(原作担当)インタビュー抜粋
▼「(初めて持ち込んだ際、後に担当となる佐々木編集に)まず自分の描いた作品の単行本を出したんですけど、『それはいいから描いてきたマンガを見せて』と。原稿は常に持ち歩いていたので、15ページにまとめてあったギャグマンガをその場で見てもらいました。そしたら『あ、おもしろい。これ新人賞に出しておくから』と言われ。そしたら佳作に入って『やる気があるなら、これと同じ形でネームを毎週持ってきて』と言われたんです」
▼「(担当編集の)佐々木さんには『話はすごくおもしろい』といってもらえていて。
▼「つまり、人間が存在する限り恐怖はなくならず、恐怖がなくならない限り怪談もなくならない。子ども向けの都市伝説や怪奇シリーズの本は、今の方が多く出ています。そして『ぬ~べ~』は、その時々の怖いものは“妖怪の仕業だ”、という投げかけから始まっているので、ネタが尽きることはないです」
岡野剛(作画担当)インタビュー抜粋
▼「でも、原作者がネームまで描いて作画が絵をつける形は当時前例のないものでした。だからちょっと待てと。マンガはネームが命。それを描かずに絵をつけるだけなら自分の作品ではないじゃないか、と」
▼「真倉先生がネームで描いてきた鬼の手をそのまま描いたら、熊の手のようになってしまう。かといって鬼の手なんて見たことがない。グロテスクなんだけどカッコよく見える何かはないかと悩んだのは確かです。そこで当時、マンガ描きなら誰もが見ていたH・R・ギーガーの作品を参考に勢いで描きました」
▼「パソコンのソフトを制作する会社に月~金の週5日通っていて、残りの土日と平日の夜を使って描いていました」
▼でも、そのうち月曜日の朝がボロボロになってしまい、遅刻や欠勤が増えてしまったんです。そこで社長に打ち明けて『クビにしてください』と言ったら『おもしろいじゃない。そういう人がいてもいいよね』と言ってくれたんです」
「週刊少年ジャンプ」1993年38号(1993年8月24日発売)で連載がスタートした『地獄先生ぬ~べ~』は、「鬼の手」を持つ小学校教師「ぬ~べ~」こと鵺野鳴介(ぬえの・めいすけ)が、妖怪や悪霊を退治する学園コメディアクションで人気を博している。
インタビューでは、作者の真倉翔氏(原作担当)と岡野剛氏(作画担当)が、初期構想からキャラクターデザインなど連載までの道のりや、当時の心境、漫画哲学までを語る、貴重なインタビューをお届け。また、本企画の第3弾は、9月に公開予定となっている。
なお、インタビュー記事の公開日は、各作品の連載第1話が掲載された「週刊少年ジャンプ」の「発売日」。読者は、作品が生まれたその“始まりの日”に立ち戻り、記事を通じて、作者の思考や情熱、野望を追体験できる。
紹介した作品は、「ゼブラック」限定の無料公開やまとめ買いなどのキャンペーンを実施。その想いを胸に「ゼブラック」で作品を読み返すことで、新たな“おもしろさの扉”が開かれる仕掛けとなっている。
真倉翔(原作担当)インタビュー抜粋
▼「(初めて持ち込んだ際、後に担当となる佐々木編集に)まず自分の描いた作品の単行本を出したんですけど、『それはいいから描いてきたマンガを見せて』と。原稿は常に持ち歩いていたので、15ページにまとめてあったギャグマンガをその場で見てもらいました。そしたら『あ、おもしろい。これ新人賞に出しておくから』と言われ。そしたら佳作に入って『やる気があるなら、これと同じ形でネームを毎週持ってきて』と言われたんです」
▼「(担当編集の)佐々木さんには『話はすごくおもしろい』といってもらえていて。
『まじめな話も描けるんです』とネームで示したら、『じゃあちょっと路線を変えて絵の描ける先生と組めば、作画の負担が減って物語作りに集中できるだろう』と」
▼「つまり、人間が存在する限り恐怖はなくならず、恐怖がなくならない限り怪談もなくならない。子ども向けの都市伝説や怪奇シリーズの本は、今の方が多く出ています。そして『ぬ~べ~』は、その時々の怖いものは“妖怪の仕業だ”、という投げかけから始まっているので、ネタが尽きることはないです」
岡野剛(作画担当)インタビュー抜粋
▼「でも、原作者がネームまで描いて作画が絵をつける形は当時前例のないものでした。だからちょっと待てと。マンガはネームが命。それを描かずに絵をつけるだけなら自分の作品ではないじゃないか、と」
▼「真倉先生がネームで描いてきた鬼の手をそのまま描いたら、熊の手のようになってしまう。かといって鬼の手なんて見たことがない。グロテスクなんだけどカッコよく見える何かはないかと悩んだのは確かです。そこで当時、マンガ描きなら誰もが見ていたH・R・ギーガーの作品を参考に勢いで描きました」
▼「パソコンのソフトを制作する会社に月~金の週5日通っていて、残りの土日と平日の夜を使って描いていました」
▼でも、そのうち月曜日の朝がボロボロになってしまい、遅刻や欠勤が増えてしまったんです。そこで社長に打ち明けて『クビにしてください』と言ったら『おもしろいじゃない。そういう人がいてもいいよね』と言ってくれたんです」
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