「古代天皇の寿命が異常に長い」こんなことがネット上で話題になっていました。100歳ごえが多数いらっしゃるのだとか……なっなんだってー!
という嘘みたいな話ですが、実は「真実」なんです!と、言い切って良いものか迷うところではありますがそういうことになっているのです。
日本最古の歴史書とされる「古事記」(712年)そして、日本最古の正史とされる「日本書紀」(720年)の2つの書物があります。その両書物に書かれる古代天皇の誕生干支、崩御干支その他の情報をひろいあげ計算していくと、たしかに両方に長寿天皇が多く登場します。
両書物で多少の矛盾はありますが以下がその一覧です。なお、資料や基軸の考え方により、記載年齢には多少の誤差が考えられます。その点ご了承ください。
▼古代天皇没年齢(日本書紀/古事記) 初代:神武天皇 127歳/137歳 2代:綏靖天皇 84歳/45歳 3代:安寧天皇 67歳/49歳 4代:懿徳天皇 77歳/45歳 5代:孝昭天皇 114歳/93歳 6代:孝安天皇 137歳/123歳 7代:孝霊天皇 128歳/106歳 8代:孝元天皇 116歳/57歳 9代:開化天皇 111歳/63歳 10代:崇神天皇 119歳/168歳 11代:垂仁天皇 139歳/153歳 12代:景行天皇 147歳/137歳 13代:成務天皇 107歳/95歳 14代:仲哀天皇 53歳/52歳 15代:応神天皇 111歳/130歳 16代:仁徳天皇 143歳/83歳 17代:履中天皇 70歳/64歳 | 21代:雄略天皇 62歳/124歳
日本書紀だけで初代から21代までに100歳ごえが12柱。古事記だと8柱ということになります。この件については度々歴史家の間でも物議となっており、よく言われているのが古代の人々は現代の1年を2つに分けて暦を使っていたという「倍暦」の説。これは、二倍年暦、半年暦、春秋暦とも呼ばれる、1年に2歳年をとるという考え方。たしかにそう考えると、約半分になるのでしっくりきますね。
でも「古代の天皇達は書物どおり長寿だった!」と主張する意見もまだまだ根強いです。根拠として言われるのが、卑弥呼についての記載がある中国の歴史書『三国志』中の『魏書』(魏志倭人伝)。
中には「倭人は長寿で80歳~100歳のものもいる」と記されています。余談ですがこの箇所の続きには、当時の婚姻状態なども記されています。それによると、当時は一夫多妻制で、身分の低い人から高い人まで2~3人の奥さんがいたそうです。当時は男性の方が少なかったんでしょうか?
さて、古代天皇が長寿だったことについては、現代ではまだ「嘘か本当か」ハッキリしていません。そのため、世のオカルト好きの一部には「古代天皇は宇宙人に違いない!」なんて人もいるぐらいです。
ただ、古代から長生き、あるいは不老不死に憧れを持つ天皇はいたようで、日本書紀によると11代・垂仁天皇は不老不死をもとめ、部下の田道間守に不老不死薬を探しに行かせたそうです。 やっとのことで、田道間守が今で言う柑橘類を手にいれ戻ってきたときには、垂仁天皇は崩御しており、田道間守は嘆き悲しんで亡くなってしまったという話が残されています。
垂仁天皇陵に治定される宝来山古墳(奈良県奈良市)の堀の中には、田道間守墓とされる小島もあるんですよ。ちなみに、宝来山古墳の宝来(ほうらい)。同じ読みで中国の伝説に「蓬莱(ほうらい)」という仙境があります。そこには、不老不死の仙人が住んでいると伝えられているそうです。
▼参考: Wikipedia(天皇の一覧/魏志倭人伝) 全ては古事記の中に(天皇の没年と年齢一覧)
(文:宮崎美和子)