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 2011年3月11日の東日本大震災の発生にともない起こった、福島第一原子力発電所の事故。15年が経過した2026年、環境省は2045年までの福島県外での最終処分に向けた取組をさらに加速させています。


 このほどその取組の一環として環境省は、福島県の環境再生事業を紹介する、ツアー式の見学会を開催。記者は環境省職員の案内のもと、除去土壌の中間貯蔵施設を受け入れた福島県の大熊町と双葉町をバスで巡りました。


■ 除染作業によって生まれた除去土壌が貯蔵されている「中間貯蔵施設」

 東日本大震災の発生にともなって起こった福島第一原子力発電所の事故により、大量の放射性物質が環境中に放出されました。


 その汚染が全国で最も深刻な福島県では、放射性物質を生活環境から取り除く除染作業によって生まれた除去土壌が、県内各地の約1370か所に仮置きされていました。


 しかし現在では10か所程度にまで激減。その背景には除去土壌を貯蔵する中間貯蔵施設の存在があります。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
中間貯蔵事業情報センター


 中間貯蔵施設があるのは、福島県大熊町・双葉町にまたがる約1600ヘクタールという広大な区域。無人の場所に建設されたのではなく、震災前には多くの人が生活を営んでいたエリアです。


 住民の苦渋の決断によって建設された中間貯蔵施設には、2015年3月から県内各地に仮置きされていた除去土壌の搬入が開始され、帰宅困難区域を除き、2022年3月までに概ね完了しました。2025年12月末時点での累積搬入量は東京ドーム11個分、約1400万立方メートルに及びます。


 そして搬入された除去土壌について環境省は、2045年3月までの福島県外での最終処分に向け、少しでも多くの除去土壌を再生資材として利用するための取組を施設内で進めています。


 今回記者らが足を踏み入れたのは、その中間貯蔵施設となっている大熊町と双葉町です。


 ツアー形式での見学会となった今回、記者らは福島県の郡山駅に集合し、バスで2時間半ほどかけて大熊町へと移動しました。


 窓外を流れるのどかな福島の田園風景の中に、バリケードの張られた帰宅困難区域がパラパラと見え始めたところで、中間貯蔵事業の取組などを発信する「中間貯蔵事業情報センター」が入った施設「CREVAおおくま」に到着。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
CREVAおおくま


 2025年3月にオープンしたばかりという「CREVAおおくま」は、震災や原発事故の爪痕をあまり感じさせない、洗練された雰囲気の建物です。


 建物内のテナントは地元企業や新規で大熊町にやってきた企業によってすべて埋まっている状況とのことで、建物の綺麗さもあいまって、とても活気がある場所だと感じさせます。


 施設内の「中間貯蔵事業情報センター」にて環境省職員から簡単なガイダンスを受けたのち、再びバスに乗り込んで、いよいよ帰宅困難区域内である「中間貯蔵施設」へと向かっていきます。

■ 「時が止まったような場所」帰宅困難区域に指定された大熊町に貯蔵される除去土壌

 2011年3月11日以降、帰宅困難区域として指定を受けている大熊町のエリアは、ガイド役の環境省職員が「(震災から)時が止まったような場所」と表現する通りの場所です。


 窓の外には体育館やプールなど人の営みを感じさせる施設がいくつも姿形を残していますが、そこに出入りする人の姿はありません。


 乗用車などが不自然な場所で乗り捨てられているのも、15年前のあの日にこの街で何が起こったのかを強く物語っているようです。


 帰宅困難区域をさらに奥へと進み、バスは中間貯蔵施設へ。施設内は基本的にはバスで巡り、要所要所でバスから降りて見学するという形式です。


 最初にバスが停まったのは除去土壌を貯蔵する、その名の通り「土壌貯蔵施設」。大熊町と双葉町であわせて8工区ある土壌貯蔵施設は、古墳にも似た段状の形をした場所です。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
土壌貯蔵施設(大熊3工区)


 県内各地での除染作業により生じた除去土壌は中間貯蔵施設内に輸送された後、受入分別施設という場所で草木と、土とに仕分けられます。草木は焼却炉で燃やして灰にして保管し、土の方がこの土壌貯蔵施設に貯蔵されるという形です。


 記者たちが降り立ったのは8工区あるうちの、大熊3工区という土壌貯蔵施設。全体で約1400万立方メートルある除去土壌のうち、約170万立方メートルが貯蔵されているといいます。


 施設の足元は芝生に覆われており、何も説明がなければただの芝の地面としか思えないような姿をしています。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
土壌貯蔵施設の構造


 土壌貯蔵施設は除去土壌を15メートルほどの高さまで積み上げた後、その上に60cmほど汚染のない通常の土を被せ、さらにその上に芝生を覆っているという状態。また除去土壌はさまざまなシート類で覆われており、外部の環境とは接しないようになっているとのことです。


 除去土壌に立つ上で気になるのが、放射線の影響について。環境省職員が手にしていた放射線量モニターの表記は、約0.24マイクロシーベルト/毎時。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
土壌貯蔵施設の放射線量は約0.24マイクロシーベルト


 年間で約1ミリシーベルトに相当し、これは国際的な基準に照らし合わせてもそれほど高くない数値になっています。

■ 住民の強い希望で残る海渡神社 秋分の日と春分の日には「夕日を見る会」を今なお開催

 バスに戻って次に向かうのは、大熊町の住民が集う拠りどころとなっていた「海渡神社」です。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
海渡神社


 施設内には中間貯蔵事業に関連する設備のほか、住民の強い希望によって残された建物があり、海渡神社もそのうちの1つ。双葉町の方にも正八幡神社という神社が残っています。


 神社へ移動する道中、バスの窓から見えるのは黒いシートをかぶったような大きな物体が積まれている風景。施設内のいたるところにあるこれは、土と草木に仕分けされる前の除去土壌です。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
仮置きされている除去土壌


 神社のような住民の営みを色濃く残す場所と、そうではない中間貯蔵事業のための場所。1つの町の中にある2つの時間に、記者の胸には複雑な思いが去来しました。


 バスを降り、並木を進んだ先に建っている海渡神社は、今もなお住民が草刈りや手入れなどをしにやってきて、大切に守られている場所です。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
海渡神社本殿


 本殿の裏手にある開けた場所からは、日隠山という山が見渡せるようになっています。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
海渡神社裏手からの眺望


 そこでは秋分の日と春分の日に、地元の方が中心になって山に夕日が沈む様子を眺める「夕日を見る会」というイベントが今なお開催されているそう。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
秋分の日と春分の日に「夕日を見る会」が開催


 また神社がある一帯は小入野という行政区になっており、地区の公営墓地などにあった墓石が、中間貯蔵施設の各種施設の建設のために、移設されている場所にもなっています。


 墓石の近くには地区の有志一同が掲げた碑が置かれており、そこには断腸の思いで先祖代々暮らしてきた小入野を離れる決意をした旨が記されています。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
墓石近くの碑


 「後世に私達がここ小入野に生きてきた証とふる里小入野への思いを残すことにした」という言葉で締めくくられる碑からは、住民の方々の決断の重さを感じさせられます。

■ 除去土壌は道路盛土として活用できるか 2045年の県外最終処分に向けた実証現場

 海渡神社を出て次に向かったのは「道路盛土実証現場」。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
道路盛土実証現場


 中間貯蔵施設内の除去土壌は、2045年3月までに福島県外で最終処分をするということが法律によって定められています。


 そのための鍵になるのは、いかに最終処分する量を減らすかということ。それに向けて環境省は1kgあたり8000Bq(ベクレル)以下の除去土壌について、復興再生土として再利用する方針を掲げています。


 8000Bq/kg(ベクレル毎キログラム)という数値については、除去土壌に覆土を行う作業員が1年間作業をし続けたとしても、年間被ばく線量が1mSvを下回る数値として設定されているとのことです。


 ではどのように除去土壌を再利用するのか。その1つとして「道路盛土」への活用が挙げられ、それを実証しているのが道路盛土実証現場です。


 2車線と歩道が付いた、一般的な地方の幹線道路(第3種第2級)をイメージした道路盛土実証現場は、6400Bq/kgの復興再生土が約2700立方メートル用いられ、その上に1.6mの路床盛土がされた状態となっています。側面についても覆土の厚みが50cm以上確保されているとのことです。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
道路盛土実証現場の構造


 実際に歩いたり立ったりしてみても、当然のごとく普通の道路との違いはまったく感じられません。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
現在はモニタリングの最中


 放射線量率については施工前と施工後での変化はなく、雨などで道路を通り抜けてきた水についても、実証現場内にある水処理施設では基本的に検出下限値未満とのことで、放射性物質が含まれていないことが確認されているとのことです。


 なお、道路盛土実証現場での実証はすでに完了しており、現在は基本的にモニタリングのみ。モニタリングしている数値自体も大きく変化することはないため、念の為という意味が強いようです。


 この実証現場での結果が、復興再生利用に関する基準やガイドラインの策定、首相官邸や中央官庁での花壇に再利用、といった結果に繋がっています。


 実証事業は今回見学した道路盛土のほか、農地造成においても実施。飯舘村にある長泥という地区で、除染により発生した除去土壌を使って農地の嵩上げを行い、面積の拡大を行っているそう。


 該当の農地で収穫された作物などの放射能濃度は0.2Bq/kgとなっており、高くても2Bq/kgのため、出荷基準として定められている100Bq/kgを大きく下回る結果になっているとのことです。

■ 初公開「東大和区建屋a」で目にした復興再生土 除去土壌の再利用はもう始まっている

 続いて向かったのは復興再生土を保管しておくための施設「東大和区建屋a」です。中間貯蔵施設内にある保管用のテントや建屋の中では最も大きいものになります。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
最大で数千立方メートルを保管することが可能


 今回メディア初公開となるこの施設は、過去に土壌貯蔵施設である大熊1工区の受入分別として使用していた建屋が活用されている形です。


 建屋内は非常に広く、天井も高いです。地面には復興再生土がビニールシートに包まれた状態で保管されており、担当者の説明によると現在は約600立方メートルがあるとのこと。最大で数千立方メートルを保管することができるそうです。


 そして記者たちの前には10立方メートルほどの復興再生土が、ビニールシートを剥がされた状態で公開されていました。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
東大和区建屋a内にある復興再生土


 復興再生土はもともとが農地の表土ということもあり、黒みを帯びた茶色。受入分別施設にて異物が除去されているため非常に均質な土になっています。


 記者たちの前に置かれた復興再生土の放射能濃度は4000Bq/kgとのことで、基準値となる8000Bq/kgを大きく下回っているため、安全性にも問題はありません。


 こうした復興再生土は、大型の霧吹きなどで水をかけながら粉塵が舞わないよう工夫して作業が行われ、再生先の用途にあわせて出荷されるそう。


 目の前にある復興再生土は、2025年夏ごろにこの建屋内に運び込まれ、作業を経た後に、同年秋ごろに中央省庁の花壇に用いるために持ち出されたものの残り。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
中央省庁の花壇のために持ち出されたものの残り


 除去土壌の再利用がすでに始まっていることを、この目で確かめることができる施設でした。

■ 双葉町で大切にされる「正八幡神社」気軽に帰れなくとも、住民たちの交流の場に

 「東大和区建屋a」を出たあと、大熊町を出て双葉町へ入ります。ツアーの最後に訪れたのは「正八幡神社」です。


 平安時代後期に創建されたというこの神社は、大熊町にあった海渡神社同様、地域住民がとても大切にしていた場所。今もなお草刈りなどの手入れも行われているとのことです。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
正八幡神社の本殿


 バスを降りてすぐ目の前に建っていたのは、立派な石の鳥居。こちらは震災時に倒壊してしまっており、2016年の4月に再建されたもの。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
正八幡神社


 すぐそばには再建と同じくして碑も設置され、そこには地域を離れなければならない無念さに続けて「再び人々の営みが蘇る事を願い、この鳥居を建立する」という文章が綴られています。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
鳥居のそばの碑


 鳥居のほか、本殿にあるしめ縄が2025年12月にしめ直されたり、毎年12月に祈禱祭が行われていたりと、住民の人々の正八幡神社に対する思いは強く残り続けています。


 実際に祈禱祭に参加した環境省職員の話によると、地区に住む20人ほどの住民が集まり、住んでいた当時の思い出話に花を咲かせるなどしていたそう。


 碑に綴られていた「再び人々の営みが蘇る事を願い」の言葉の通り、いまだ帰宅困難区域として気軽に帰れない場所になっていても、住民たちの交流の場であることに変わりはないようです。

■ 福島第一原発の電力はすべて首都圏へ 県外最終処分に向けて考えたい“負担の分かち合い”

 正八幡神社の見学を終えたあとはスクリーニングを行い、放射線による汚染がないことを確認してからバスに乗車。中間貯蔵施設および帰宅困難区域を出て、スタート地点となった「CREVAおおくま」へと戻りました。


2011年で時間が止まった町の“今” 福島県大熊町・双葉町内の「中間貯蔵施設」を巡る
スクリーニングを実施


 中間貯蔵施設内を含む帰宅困難区域をバスで走行している間、すれ違う車はすべて施設に関連する作業車。歩いている人の姿はなく、広大な敷地内に広がるのはほとんどが関連施設の建屋でした。


 しかし民家やバス停、空っぽの乗用車など、人が暮らした形跡は、域内の各所に残っています。


 これまで報道などで帰宅困難区域のことについて見聞きしてはいたものの、実際に足を踏み入れるのは今回が初めてだった記者。


 住み慣れた町を離れたのではなく、離れなければならなかったという無念さを、域内に点在する生活の形跡からひしひしと感じ、身につまされる思いがしました。


 2045年3月の県外最終処分まで残り19年。


 福島地方環境事務所の細川真宏次長は、実現に向けて関係省庁と連携しながら進めていくことを基本方針としつつ、事故を起こした福島第一原発の役割について、双葉町の伊澤史朗町長の言葉を引用しながら「(発電した電力は)首都圏にすべて送られていた」と話しました。


 首都圏の電力需要を満たすために存在していた福島第一原発の事故の負担を、中間貯蔵施設という形で大熊町と双葉町にだけ与えることは、果たして正しいのか。


 細川氏は「皆さんにぜひそこは考えていただきたい」と投げかけ、今回の見学会などをその一つの機会にしてほしいとコメント。「負担を分かち合うといった思いの延長線上に、県外最終処分の実現性をより高めていく。理解醸成に繋げていく」と結びました。


取材協力:環境省


(ヨシクラミク)

Publisher By おたくま経済新聞 | Edited By YoshikuraMiku | 記事元URL https://otakuma.net/archives/2026021806.html
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