居座り続ける姿勢を見せてきた石破茂首相だが、7日の夕方に急きょ記者会見を開き、辞意を表明した。日米関税交渉の妥結や最低賃金の引き上げなどの“成果”を誇り、あたかも予定していた退任であるかのように豪語したが、誰の目にも万策尽きての未練ある“降伏宣言”に映った。

このまま自民党総裁選が順調に行われれば、石破首相の任期はちょうど1年で終わることになる。

 昨年の衆院選に続き、今年6月の東京都議選、そして7月の参院選でも自民党は惨敗を喫したにもかかわらず、石破首相は詭弁(きべん)を弄してきたが、ついに観念して辞任を決断したわけだ。判官びいきも手伝って、マスコミ各社の世論調査で「首相を辞める必要はない」が「辞めるべき」を上回り、まだまだ不支持率を下回るものの、内閣支持率も3割台を回復しつつある中での辞意表明であった。

 戦国時代の“三英傑”、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康の性格を語る際、しばしば「鳴かぬなら」「鳴くまで」といったホトトギスの鳴かせ方が比喩的に用いられる。石破首相の退陣劇を安倍晋三元首相、岸田文雄前首相と比較しながら、「仲間・味方」の観点から見てみるのも興味深いかもしれない。

 7年8カ月の超長期政権を担った安倍氏にも少なからず敵はいたし、相いれない考え方の者たちもいた。だが、仲間や味方が実に多かったし、先輩議員からかわいがられ、若手議員たちからも慕われた。そして何よりも「愛されキャラ」(自民中堅議員)だった。3年前の野田佳彦元首相による追悼演説でも、安倍氏の人懐っこい性格が描写された。

 一方、岸田氏は存在感が薄いと言われ続けたし、派閥は率いたものの、強力な味方がいたわけではない。安倍氏にように明るく冗談を飛ばすタイプではないし、一緒にいて楽しい人でもないという。人間味や温かみが伝わってくる政治家でもない。

だが、「たとえ好きでなくても、彼に対して強いアレルギーを抱く者はいない」(自民参院議員)というくらい敵が少なく、それが岸田氏の大きな強みであった。

 それに対し、自民党内には麻生太郎元首相をはじめ、「石破嫌い」が多い。のみならず、石破首相の仲間や味方はごくわずかだ。田村憲久元厚労相や斎藤健元経産相など、かつて同じ釜の飯を食み、一緒に石破政権の誕生を夢見た者たちでさえ、袂を分かっただけでなく、今回は「石破降ろし」に加わって早期退陣を迫った。赤澤亮正経済再生担当相は「石破最側近」と報じられてきたが、「『最』を付ける必要が全くない」(自民ベテラン議員)ほど石破氏の周りには人がいないのだ。

 首相の記者会見には正副の官房長官が立ち会うのが慣例とされている。しかし、7日の会見会場に橘慶一郎副長官の姿はなく、その時、地元にいた。腹心中の腹心であるはずの官房副長官にでさえ、石破首相は事前に何の連絡もしなかったということだ。橘副長官はその後の取材で石破首相を「根っこは優しい人」と控え目に表現したが、2人の間に強い信頼関係が成り立っていたとは言い難い。

 仲間や味方の多寡は、“大将”の性格によるところが大きい。石破首相を本気で支える人があまりにも少なかったところを見ると、そして支えていた者たちが去っていったところを見ると、人付き合いが苦手である以外にも、石破首相に何かしらの問題があるのではないかと思えなくもない。「彼と一緒に飲んでもつまらないし、彼もタバコを吸いながら家で本を読んでいる方が楽しいのだろう」(閣僚経験者)との指摘からも、仲間や味方が少ない理由の一端が垣間見られる。

 石破首相が若き頃、秘書として仕えた田中角栄元首相は派閥の規模拡大に躍起だったとの印象を持たれているが、むしろ「敵を減らすこと」に心血を注いだという。だが、石破首相は仲間が極めて少ないにもかかわらず、いたずらに敵を増やし続けた。タイミングの問題はさておき、広い意味での「数の論理」に鑑みれば、今回の石破首相の退陣は迎えるべくして迎えた結末だといってもよいのではないか。

【筆者略歴】

 本田雅俊(ほんだ・まさとし) 政治行政アナリスト・金城大学客員教授。1967年富山県生まれ。内閣官房副長官秘書などを経て、慶大院修了(法学博士)。武蔵野女子大助教授、米ジョージタウン大客員准教授、政策研究大学院大准教授などを経て現職。主な著書に「総理の辞め方」「元総理の晩節」「現代日本の政治と行政」など。

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