昨年10月に、新日本海フェリーの新造船「はまなす」の命名・進水式が山口県下関市の三菱重工業下関造船所江浦(えのうら)工場で行われた。

 「はまなす」は今年6月に、北海道小樽市と京都府舞鶴市を結ぶ航路に就航する。

新造船の進水式で行う支綱(しこう)切断は、日本旅客船協会の船旅アンバサダーを務める私が担当させていただいた。

 これまで何度か進水式に出席しているが、新たな船の誕生は涙がこぼれるほど胸を打たれる。島国である日本で、長い歴史をかけて先人が培い、後世に伝えてきた技術の結晶が形となるのだから。

 新日本海フェリーの航路は、かつて北前船が往来した「西廻(まわ)り航路」の一部をなぞる日本海ルート。

 江戸時代、江戸の人口が爆発的に増え、幕府は天領である出羽(現在の山形・秋田県)のコメを大量に運ぶため、河村瑞賢(かわむら・ずいけん)に命じて安全な海上輸送ルートを開拓させた。航路の開拓には、瀬戸内海の島々をはじめ、全国よりすぐりの水夫たちが貢献した。また、1度に千石のコメが運べるという千石船も建造され、北前船と呼ばれている。私が毎年訪れている香川県塩飽(しわく)諸島の島々も、そんな水夫や造船に携わった人々の子孫が多くいる。

 こうして日本の物流は革新的に飛躍し、全国津々浦々に食料や人、技術などがより広がった。

 以前、山形県酒田市を訪れた。出羽のコメが大量に全国へと運ばれていく起点だった地域。そこで、市内に残る船宿帳には、北前船の水夫たちの出身地が記され、瀬戸内海の地名が残っていると聞いた。

 酒田港の北西約39キロ、船で75分の位置に山形県唯一の有人離島、飛島がある。バードウオッチングの聖地として知られ、海鳥などの鳴き声が飛び交ってにぎやかだった。

 島内には、北前船が酒田港へ出入りする際に、風待ち・潮待ちのために立ち寄った形跡が残る。例えば、港近くの遠賀美(おがみ)神社。航海安全の神様を祀(まつ)る神社で、北前船の水夫たちも参拝していたという。その証しに、彼らが滞在中に作った小さな石の狛(こま)犬が境内にある。定期船が入港する港付近の舘岩(たていわ)には、北前船を係留した石柱もある。

 船は日々、止まることなく進化を遂げている。それは日本が島国であり、船が今も重要なインフラであることを思い知らされる。今年6月、先人が築いた歴史的航路に、最先端技術が詰まった船が就航する。島で生きる誇りを胸に、乗船したいと思う。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.8からの転載】

小林希 KOBAYASHI Nozomi 1982年生まれ。

出版社を退社し2011年末から世界放浪の旅を始め、14年作家デビュー。香川県の離島「広島」で住民たちと「島プロジェクト」を立ち上げ、古民家を再生しゲストハウスをつくるなど、島の活性化にも取り組む。19年日本旅客船協会の船旅アンバサダー、22年島の宝観光連盟の島旅アンバサダー、本州四国連絡高速道路会社主催のせとうちアンバサダー。新刊「もっと!週末海外」(ワニブックス)など著書多数。

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