昨年、山口県最北端の見島(みしま)へ行った。萩港から船で約70分の日本海に浮かぶ国境の島。

島内には、航空自衛隊のレーダーサイト「見島分屯基地」がある。大陸と本土の間に位置する国防の要衝として、古くから防人(さきもり)が配備された。

 今、彼らは「ジーコンボ古墳群」に眠っているとされている。島では、爺さん、婆さんを「ジーコ」「バーコ」と呼ぶので、先祖のお墓として大切に扱われているのだ。

 古墳があるのは、本土が見渡せる横浦海岸のすぐ近く。故郷に帰ることなく亡くなったか、島に残り続けようと決めたのかはわからないが、残された者たちの望郷の思いが感じられた。

 島内に、「八町八反」という1300年ほど前の律令制度下に作られた条里制の田んぼが今も使われている。

 見島の農家さんが言っていた。

 「おそらく、これまで区画を変えることなく、子々孫々、ここで稲作を続けてきたのだと思う」

 「防人たちも、国防の危機にない日常は、何をしていたかって考えると、やっぱり田植えもしていたのではないかな」

 本来、田植えは防人ではない島民が総出で行うものらしいが、もしかしたらと私も思う。

 1300年ほど前、律令国家の公的な祭祀(さいし)として、旧暦2月に五穀豊穣(ほうじょう)を祈る祈年祭が全国各地で行われるようになった。また、神道ではサクラの「サ」は稲の霊、「クラ」は神座(神が宿る場所)、花が咲くのは稲の霊の現れとされる。人々は、山のサクラの咲き具合を見て、秋の実りを占ってもいたらしい。

 防人も、そんな景色を一つ一つ目に映していただろうか。当時、花見(稲の霊が訪れるのを見る)や祈年祭などの年中行事は、故郷でも行われていたはずだから、それが「同じ国にいる」という安らぎになっていたらいいなと思う。

 「島には棚田もあって、味もそっちのほうが美味(おい)しんだけどね」

 そう言う農家さんは、今も八町八反で稲を育てる。とはいえ高齢化で農家さんが減り、千年の歴史を誇る田んぼも使われなくなってしまった区画が増えている。

 ジーコンボ古墳群のすぐ横に広がる草地には、日本在来牛の見島牛がのびのびと放牧されていた。かつては農耕用に重宝され、多い時に570頭ほどいたらしい。今は80頭前後をキープしている状況だ。

 千年の長い歴史が、これからまた千年続いていきますように。見島の夜空に煌(きら)めく星々に祈った。

KOBAYASHI Nozomi 1982年生まれ。出版社を退社し2011年末から世界放浪の旅を始め、14年作家デビュー。香川県の離島「広島」で住民たちと「島プロジェクト」を立ち上げ、古民家を再生しゲストハウスをつくるなど、島の活性化にも取り組む。

19年日本旅客船協会の船旅アンバサダー、22年島の宝観光連盟の島旅アンバサダー、本州四国連絡高速道路会社主催のせとうちアンバサダー。新刊「もっと!週末海外」(ワニブックス)など著書多数。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.13からの転載】

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